第10話 ビギナーズラック
石咲アンナの家の前。
普通の二階建ての一軒家。
彼女が雨洞亮介の部屋に来なくなり、俺達からのラインを未読無視しだして一週間。
俺は亮介から彼女の自宅の場所を聞き出し、そのチャイムを鳴らそうと指をのばしていた時だった。
『有島。あんた、今家にいないの?』
何の脈絡もなく唐突に石咲アンナからメッセージが来た。
『あ? 家って俺の家か?』
と、返信すると。
『そう。わたし、今あんたの家の前にいるの』
『メリーさん?』
すれ違いかよと、急いでチャリに乗り自宅へと向かう。
自転車のペダルを必死に漕いで、石咲アンナが逃げ出さないように一刻も早く家に戻らなければと焦る。
かといって交通ルールを破るわけにもいかない。
できる限り急いで漕いで漕いで漕いで。
家まであと一歩という道路の交差点で、ブレーキをかける。
信号は赤。
立ち往生させられる。
「……逃げるなよ。石咲」
こうやって信号を待っている間にも、彼女の気が変わってどこかへ行ってしまうのかもしれない。それだけは嫌だった。そう思うと、この信号を無視してもう家に向かってしまおうかと思った。
そんな思いを切るように、目の前を車が横切った———。
「あ……?」
————反対側の歩道に、ふっと石咲アンナが現れた。
「有島‼ 私、やったよ‼」
歩行者信号は赤のまま。
汗だくでワンピースが肌に張り付いているアンナは対面の歩道に立ち、スマホの画面を俺向けて突きつける。
「ビギナーズラック! 見てよ、これ! 自分から行ってみたら意外と釣れるもんだね!」
「いや見えるわけねぇだろ……」
おそらく釣った魚を持ったアンナの写真が映っているのだろうが、当然横断歩道を挟んだ距離ではぼんやりとしか見えない。
「大物! 凄いでしょ! 有島!」
よく見れば石咲の手は泥で汚れていた。
「お前……そんなことのためにずっと俺達からの連絡無視してたのかよ!」
「違う! でも、釣れたおかげで決めることができた! 自分がどうするべきか決めることができた!」
「何を言って……」
その瞬間、信号が青に変わった。
ダッとアンナは駆け出し、道路を横断し、俺へと飛びついてきた。
ぎゅっと抱きしめられる。
「好き。あんたを誰にも渡したくない」
「お前、それ……この間と、言っていることが、違うぞ……愛情と友情の違いがわからないんじゃなかったのか?」
「そんなことどうでもいい! 愛情と友情の違いなんかどうでもいい。ただ私は有島とずっと一緒にいたい。有島の隣にいる女は私だけがいい。私の隣にいる男は有島だけがいい。それが誰かにとって迷惑でも、有島にとって迷惑だとしても、それでもあんたの傍にいたい。こんなことを言うキャラじゃないのはわかってるけど、もうこの気持ちに嘘をつきたくない。今更こんなこと言われても、都合が良すぎると思うでしょうね。だから……断っても、いいよ」
と、彼女は俺の体に回す手に力を込める。
「お前、それは卑怯だぞ」
「そうだね。ごめんね……」
アンナはそのまま顔を近づけ、唇が触れ合った。
ただの道端。点滅する歩行者信号の下。人通りはなかったが車は何台か通り過ぎる。
そんな場所で人目もはばからず、キスをし、だがなんだかんだでお互いにどこか冷静で、もうすぐ赤になるとなったら急いで横断歩道を渡り終えて信号機の真下で落ち着く。
そして、急いで渡ろうとした時に無意識で互いに手を繋いでいたことに気づいて、慌てて手を離した。




