番外編 パンドラの箱
実は、今年の1月頃、この『シニアサッカー奮闘記』の第六章までをひと作品として、ある出版社主催のエッセイコンテストに応募した。案の定、大賞を逃した私は、「さもありなん」とその後、その出版社からのメールをチェックするのを止めた。
そして、約半年が経過したある日のこと……。
私は、インフルエンザに罹った家人の看護のため、県リーグの後半第6節の試合をキャンセルした。そのため、『シニアサッカー奮闘記』第三十九章を執筆するネタがなくなってしまった。手持ち無沙汰な私は、パソコンに溜まった未読メールを整理していた。
すると、3月18日付の〇〇社からのメールが目に留まった。メールの件名には【書籍出版のお誘い】とあった。開封してみると、私の作品『シニアサッカー奮闘記』への簡単なコメントが書かれており、それに【作品講評】が添付されていた。
その内容の概要は、「老いを客観視して笑いに転換する語り口」「ヘディングへの恐怖と肉離れを『ウルトラマン』とする自虐」「30数年のブランクを喜劇にする構成」「各章末の川柳、特に『走る度 揺れる脂のランドセル』『今日もまた 何事もなき 夕べかな』 を評価」しながら、作品中の具体的な要素を拾っていた。何だか何処ぞのAIの感想のようだな、と思いながらも、面映ゆかった。
その後、「市場に流通する出版物を制作していくにあたり」と、私の作品の書籍化・出版に当たり、「弊社編集がお手伝いを…」という話で【作品講評】は結ばれていた。
そこで、私は以下の返信メールを担当編集者殿に送った。
昨日、〇〇様からのメールに気づきました。メール開封がたいへん遅くなり申し訳ありません。コンテスト落選後は、貴社からのメール確認を怠っておりました。ご容赦ください。
【作品講評】を拝読いたしました。過分な高評価で驚きとともに面映ゆい限りです。ただ、1点だけ私の意図することとは違う解釈をされていました。それは、「今日もまた 何事もなき 夕べかな」という川柳の解釈です。
あの川柳に込められた思いは、「平穏な日々への感謝」ではなく、「サッカーの試合でゴールを決めた自分にとって特別な日にも関わらず、家族にとっては何の関心もないこと」への悲哀を淡々とした言葉に込めたものです。この私の思いが伝わらないのは、私の文才のなさだと恥じております。
さて、本題の出版の件ですが、自費出版の資金がまったくないため、借金してまで売れるか売れないのかわからない作品を書籍にするほどのギャンブラーではございませんので、お声をかけていただいたのは、たいへんありがたいのですが、今回は見送らせていただきます。宝くじが当たったら考えます(笑)
現在『小説家になろう』という投稿サイトに「若高」というペンネームで『シニアサッカー奮闘記』他3作品を投稿しております。『シニアサッカー奮闘記』は、現在第38章まで書き進めております。そこでは、わずかながらも読者もいらっしゃいます。私はそれで十分満足しております。もしも、ご興味がおありならば、『なろう』の作品をご覧いただければ幸いです。
ここで二句
発掘した びっくり箱は パンドラの
パンドラの 箱の中身は 夢の跡
おあとがよろしいようで……m(_ _)m
なお、今日の今日なので、返信はまだない。まぁ、私も出版社からのメールを、半年もほったらかしにしていたのだから、返信メールを気長に待つつもりである。返信メールが来たら、それもまた「番外編その2」のネタとするかもしれない。




