第二十九章 カウンター 〜フットサルの夜には、ちょっと真摯に考えることがある〜
フットサル第1節で、老いというものをひしひしと感じたことがあった。
試合1時間前にアップを行った。怪我が怖いので、若い時よりも入念に行うようになった。ストレッチをした後、ジョギング、ステップなどをして身体を徐々にほぐしていった。汗がブワッと噴き出してきた。今日は曇ってはいたが、蒸し暑い夜だった。
熱中症予防に水分をしっかり摂らなくては、とゴール裏のベンチに戻ると、別のチームに所属している高校時代の同級生Aが、話しかけてきた。 彼とは、県リーグのチームは別だが、市リーグでは同じだった。しかし。2年前に土曜日も仕事があるため週末が忙しい、と市リーグチームを引退したのであった。
「仕事はどう?」
「辞めた。6月から年金もらえるからね。」
「それじゃ、市リーグにまた復帰しなよ。」
「いや〜、もう県だけでいいよ。いつまでできるか分からないから、怪我なくボチボチやって行くよ。」
「そうか……。」
アップの続きを行うため、そこで話は終わった。
1試合消化して、ゴール裏のベンチで次の試合を観ながら、休憩していると、同じチームの中学時代の同級生Mが、
「Sが先週亡くなったよ。」
というのだ。Sも同じ中学校の同級生だった。彼はバスケットボール部だったが。
「それは知らなかった。どうしたんだ?」
「白血病だって。去年の11月にゴルフ中に具合が悪くなり、病気が分かったらしいよ。」
「最近は白血病でも治るんじゃなかった?」
「白血病でもいろいろあるんじゃないのかな?」
Sとは中学卒業後同窓会以外で会うことはなかった。だが、数年前、富士川の河川敷を走っているとき、彼も走っていた。私よりはるかに速いペースだった。普段から走っている、というオーラを発していた。その印象が今でも残っていて、健康維持に努め、元気にやっているんだな、と思っていたのだ。そのため、驚きとともに、ショックが大きかった。
先ほどのAの「いつまでできるかわからない」という言葉が、なにやら重く感じてきた。実際に、毎年、我がチームでは怪我や病気でサッカーができなくなり、引退する選手が1,2名は必ずいる。それが、来年は「私」かもしれないのだ。
選手生命だけではない。この歳になってくると、これからの生活に対する漠然とした不安が、たまに首をもたげてくる。そういう時ほど、「寿命が賞味期限のようにはっきりしてほしい」と切に考える。
ウルトラマンのカラータイマーではないが、胸に「あと2年と3か月」とカウンターがついていればいいのにと、考えたりもする。そうなれば、家族的なこと、経済的なこと、世間的なことなど逆算して終活できるのに、と。
いつサッカーができなくなるのか?いつ天に召されるのか?まさに「サドンデス」である。
ここで一句
カウンター 家人が眺める 通帳と
次節は地元の八坂神社祇園祭のためフットサルは不参加。『シニアサッカー奮闘記』の新章は、2週間後までお待ち下さいませ。




