第3話_八年前、あなたに拾われました
事件の後、王都での滞在は予定より長引いた。
事情聴取や研究院の会議が続き、リュネフィアは日に日に機嫌を悪くした。
その間、ゼルヴァインは以前にも増して彼女のそばを離れなくなった。
研究院へ行くときは必ず同行する。
庭へ出るだけでもついてくる。
夜は隣室で眠り、少し物音がすれば確認に来る。
さすがに過保護だと思った。
「私、魔女なんだけど」
ある朝、リュネフィアは朝食を食べながら言った。
高位魔術師である自分のほうが、一般的な護衛より強い。
「知っています」
「一人でも平気」
「知っています」
「じゃあ、ついてこなくていい」
「嫌です」
即答だった。
リュネフィアはパンをちぎる手を止める。
ゼルヴァインは優雅に紅茶を飲んでいる。
「あなた、最初と性格変わってない?」
「最初からこうですよ。隠していただけです」
「何を?」
「執着心を」
さらりと言われた。
リュネフィアは返事に困った。
彼はカップを置き、彼女を見つめる。
「八年前の話をしましょうか」
以前尋ねた、初めて会った日のことだ。
リュネフィアは黙って続きを待った。
「当時、俺は十八歳でした。公爵家の嫡男として何をしても褒められ、周囲には将来を期待されていた。ですが、自分では何一つ選べなかった。婚約者も、仕事も、友人さえ家が決める。馬鹿らしくなって、一度だけ全部捨てて逃げたことがあります」
ゼルヴァインは遠い目をした。
王都から馬を走らせ、行き先も決めず北へ向かったという。
しかし運悪く森で魔獣に襲われ、怪我をした。
「そこで、あなたに拾われました」
リュネフィアは目を瞬く。
少しずつ記憶が戻ってきた。
十九歳のころ、森で倒れていた青年を見つけたことがある。
高そうな服を着た、面倒そうな男だった。
放置すれば死にそうだったので屋敷へ運び、傷を治した。
彼は三日ほど滞在した。
リュネフィアは研究で忙しく、ほとんど話さなかった。
「あなた、あの人?」
「やっと思い出しましたか」
ゼルヴァインは苦笑した。
当時の彼は髪が長く、今とは印象がかなり違った。
「俺が自分の人生には意味がないと言ったのを覚えています?」
「……なんとなく」
「あなたは『意味なんてなくても生きてればいいでしょう。面白いものを見つけたら、そのとき考えれば』と言った」
リュネフィアは額を押さえた。
言いそうだった。
しかも、おそらく深い意味などない。
「俺には、それで十分でした」
ゼルヴァインの声が柔らかくなる。
「家へ戻ってから、自分で選ぶことにしました。勉強も仕事も、家に命じられたからではなく、自分が必要だと思うものを選んだ。あなたのことも調べました。いつか、もう一度会いたかった」
「八年間?」
「ええ」
「長い」
「俺もそう思います」
けれど彼は笑った。
「生活補助官制度が始まると聞いて、担当者の選考に無理やり入りました。あなたが申請したと知ったときは運命を信じましたね」
「たまたま書類を読まずに署名しただけ」
「それでも俺にとっては運命です」
ずいぶん都合のいい運命だった。
しかし嫌ではない。
むしろ胸の奥が、くすぐったいように温かい。
「じゃあ、最初から私のことが好きだったの?」
尋ねると、ゼルヴァインは少し驚いた顔をした。
それから困ったように笑う。
「気づいていなかったんですか?」
「言われてない」
「態度で十分伝わっていると思っていました」
「全然」
「毎日食事を作って、身の回りの世話をして、欲しがった本を国中探し回って、仕事まで辞めて来た男ですよ?」
「親切な人なのかと」
ゼルヴァインは片手で顔を覆った。
初めて見る反応だった。
リュネフィアは少し面白くなる。
「ゼルヴァインでも困ることあるんだ」
「ありますよ。主にあなたのことで」
手を下ろした彼は、いつもの余裕を取り戻していた。
ただし、その瞳には逃げ道を塞ぐような光がある。
「では、改めて言います。リュネフィア。俺はあなたを愛しています」
まっすぐな言葉だった。
冗談も飾りもない。
リュネフィアは黙った。
恋愛について真剣に考えたことがない。
研究のほうが楽しかったし、一人でいるほうが気楽だった。
けれど、ゼルヴァインがいない生活を想像すると嫌だった。
食事や掃除が面倒だから、というだけではない。
研究で面白い発見をしたとき、最初に話したい。
眠れない夜には、隣の部屋に彼がいると安心する。
紅茶を飲みながら本を読む横顔を見るのが好きだ。
ヴァシュレドに襲われた夜、震えていた彼を見たとき、胸が痛んだ。
「私も……たぶん、好き」
言葉にすると妙に恥ずかしい。
視線を逸らしたリュネフィアの手を、ゼルヴァインが取った。
「たぶん?」
「こういうの、よくわからない」
「では、ゆっくりわかってください」
指先へ口づけが落ちる。
あまりに自然な仕草だったので、リュネフィアは数秒遅れて顔を赤くした。
「ただし」
ゼルヴァインは彼女の手を離さなかった。
「一度捕まえた以上、逃がす気はありません」
笑顔なのに怖い。
それなのに、リュネフィアは笑ってしまった。
*
森の屋敷へ戻ったころには、冬が近づいていた。
ヴァシュレドは研究院を永久追放され、横取りしていた研究成果は本来の研究者へ返された。さらに不正使用した研究費の返還を命じられ、彼の後ろ盾だった伯爵家からも見放されたという。
リュネフィアにとっては、それで終わった話だった。
むしろ困ったのは、その後である。
ゼルヴァインと恋人になった。
その事実を、彼は非常に都合よく解釈した。
以前から過保護だったが、遠慮が消えた。
朝は起こしに来る。
眠そうなら抱き上げて食堂まで運ぶ。
外へ出るときは外套を着せ、髪が乱れていれば梳かし、研究に集中しすぎれば強制的に休憩させる。
そして隙があれば触れてくる。
手を握る程度ならまだいい。
後ろから抱きしめられたまま研究を続けることもある。
ある夜など、リュネフィアが長椅子で眠ってしまい、目を覚ますと彼の膝の上にいた。
「重くない?」
「羽毛より軽いですね」
「嘘」
「愛があれば軽く感じるものです」
「適当なこと言ってる」
そう言いながらも降りなかった。
ゼルヴァインの腕の中は暖かい。
冬の森では暖炉より便利だった。
問題は、彼がそれを理解していることだ。
「最近、ずいぶん素直ですね」
髪を撫でながら彼が言う。
「寒いから」
「春になったら離れる?」
「……考える」
「では屋敷を一年中寒くしましょうか」
「魔法で燃やすよ」
「それは困る」
笑い声が頭上から落ちてくる。
リュネフィアは目を閉じた。
静かな時間だった。
以前は静寂が好きだった。
一人なら誰にも邪魔されない。
けれど今は、ページをめくる音や、彼の呼吸が混じった静けさのほうが落ち着く。
人間は簡単に変わるらしい。




