第6話「無口な宣伝、効いてます」
ジオさんが誰かを連れて店に来た。
そんなささいなことが、私には小さな事件だった。この人はいつも一人で来て、いつものを頼み、いつものように黙って帰る。連れがいるジオさんなんて、想像したこともなかった。
戸の音はいつもの迷いのない一押し。その後ろに、もう一組の足音がついてくる。
「……いつもの。それと、こいつにも同じのを」
「おかえりなさい。あら、今日はお連れさんが」
ジオさんの背中から顔を出したのは、まだ幼さの残る若者だった。真新しい鎧が体に馴染まず、かたかた鳴っている。緊張のせいか、頬が上気して赤い。
「は、はじめまして! 警備隊に今月入りました、レフっていいます! ジオ隊士に、うまい店があるって連れてきてもらって……あっ、でもジオ隊士、道々ひとことも喋らなかったんで、どんな店か全然わかんなくて!」
早口で一息にまくし立てる若者の横で、ジオさんは我関せずと奥の席へ歩いていく。無口な人が新入りを連れてくる。それはこの人にとって、精いっぱいの宣伝なのだ。言葉で勧められないぶん、体で連れてきた。
「ジオさんが、うまい店って言ってくれたんですか」
「言ってません。来い、しか言われてないです」
「……ジオさんらしいですね」
奥の席で、ジオさんの耳がほんの少し赤い。聞こえていないふりをして、卓の木目を睨んでいる。私は笑いをかみ殺して、鍋を火にかけた。
「レフさん、初めてなら、まずは根菜のスープと浸しパンを。この店の看板です」
「浸しパン? パンを浸すんですか?」
「隣のパン屋さんとの、二軒がかりの一皿なんですよ」
スープをよそって、浸しパンを添える。レフさんは行儀よく手を合わせてから、匙を口に運んだ。噛んだ瞬間、緊張していた肩がすとんと落ちる。
「……あ。あったかい」
「そうでしょう」
「なんか、こういうの久しぶりです。おれ、田舎から出てきたばっかりで。飯はいつも詰所で、冷たい配給を立ったまま」
レフさんの声が少しだけしんみりした。故郷を離れたばかりの若者が、湯気の立つ器の前で緩んでいく。この顔には見覚えがある。雨の日、戸口で立ち尽くしていたセラさんが、一杯目の途中で見せたのと同じ顔だ。あたたかいものは、人の強張りを内側からゆるめていくらしい。
「おれ、下に弟と妹がいて。田舎じゃ食い扶持が足りないから、俸給のいい警備隊に志願したんです。でも、いざ来てみたら夜番ばっかりで、飯も味がしなくて」
「そう。……だから、あったかいものが沁みるんですね」
「はい。この一杯、弟にも食わせてやりたいくらいです」
その言葉に、私は壁の覚え書きを思い出した。リルが母親のために抱えて帰った、あの通い椀を。誰かを思って湯気を運びたくなるのは、年も故郷も関係ないのだ。
奥の席で、ジオさんが黙ってスープをすする。その横顔を見ていて、ふと気づいた。この人はきっとレフさんのこの顔が見たくて、ここへ連れてきた。詰所で冷たい配給を食う新入りにあたたかい一杯を。言葉にはしないが、そういう気の回し方をする人だ。
「ジオ隊士、最近ずっと夜番続きで、大変そうなんですよ」
レフさんが二杯目を頼みながら言う。
「王都から偉い人の巡回が下ってくるとかで。街道の警備を増やせって、上からのお達しで。ジオ隊士、そういうときいつも、進んで面倒な役を引き受けちゃうんです」
「……王都から」
その言葉に、奥の席の空気がわずかに硬くなった気がした。ジオさんは何も言わず、器の底を見つめている。私もなぜだか胸の奥がざわついて、けれどその理由をうまく言葉にできない。
深く考えるのはやめて、私は鍋に向き直る。今は目の前の湯気だけでいい。
昼が近づくと、店はいつもの賑わいになった。ニナちゃんがパンの追加を届けに来て、レフさんの初々しさをからかう。リルは器を返しに寄り、ガロ爺は窓際で触れ書きを広げた。坂下通りの面々が、湯気を挟んで言葉を交わしている。
「レフさん、また来てくださいね。あなたの席をあたためて待ってますから」
「はい! 絶対来ます! あの、おれ、この店のこと、詰所のみんなにも言っていいですか」
「もちろん。宣伝は大歓迎です」
レフさんが帰ったあと、私は空いた器を下げながら、奥のジオさんに声をかけた。
「ジオさん。いい後輩さんですね」
「……よく喋る」
「ふふ。ジオさんのぶんまで、喋ってくれるんじゃないですか」
ジオさんは何も返さず、けれど席を立ちぎわ、ほんの一瞬こちらを見た。何か言いかけて、やめたような目だった。その沈黙の奥に何があるのか、私はまだ知らない。
ジオさんが出ていくと、店は急に広く静かになった。がらんとしていたはずのこの店は、いつのまにか坂下通りの誰かの行きつけになっていた。
壁の覚え書きはもうずいぶん賑やかだ。ジオさんにガロ爺、リルにセラさん。そこへ今日、レフさんの一行が増えた。名前より先に、みんなの「いつもの」で埋まっていく壁を、私は少し誇らしく眺める。
この店はもう、坂下通りにぽつんと浮いた余所者ではない。湯気でつながった通りの、あたたかいひと間になっていた。
次話:「帰る場所を、持ち歩く人」




