↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「おかえり」って言ってみたかったんです——追放された悪役令嬢の辺境カフェ  作者: 夜凪 蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
29/32

第28話「最高の一杯で、追い返せ」

王都の殿下が近いうちに、私の「最後の返事」を取りに来る。


 その噂はあっという間に坂下通りを駆けめぐった。そして次の日の夕方、店じまいのはずのゆるり亭に、なぜか常連がぞろぞろ集まってくる。誰が呼んだわけでもないのに。


 ニナちゃん。ガロ爺。リル。バッソさん。トトさん。荷運びの人足たち。長机を囲んで、みんなやけに真剣な顔をしている。


「よし、作戦会議だ!」


 いちばん張りきっているのは、もちろんニナちゃんだった。


「え、なんの?」


「決まってるでしょ。王都のお偉いさんを、追い返す作戦!」


「追い返す」と聞いて、私はぎょっとした。まさか、腕ずくで、なんて。この通りには気の荒い人足も多い。


「だ、だめだよ、乱暴なことは。相手は王都の——」


「たわけ」ガロ爺が濁声で遮る。「誰が殴るなんぞ言った。わしらの武器は、拳じゃねえ。この店の、一杯よ」


「一杯……?」


「そうよ。王都のお貴族さまに、たらふく食わせて、ぐうの音も出んほど、うまいもんを出してやる。『こんな店の主を、連れて帰れるか』と、相手に思わせりゃいい。——最高の一杯で、追い返すんだ」


 なるほど、と私は目を丸くした。そういう「追い返し方」なら、この店にもできる。


 そこからはもう、収拾がつかなかった。


 ニナちゃんは「あたし、王都に負けない新作のお菓子を焼く!」と宣言して、腕まくりをする。「クレアさんのスープに合う、とっておきのやつ。今夜、寝ないで試作するから!」


 ガロ爺は具多めの持論を、滔々とぶちはじめた。


「ええか。うまいスープはな、具の数じゃねえ。具の"入れどき"よ。根菜は、煮えばなに入れて、火を止める直前にもう一度……」


「ガロ爺、それ、私の店の秘密なんだけど」


「なに、王都のやつに、うまさで勝つためだ。出し惜しみするな」


 リルはリルで大まじめだった。


「わたし、お給仕する! こう、お盆を持って、『いらっしゃいませ』って。……クレアねえちゃん、教えて!」


「ふふ、いいよ。じゃあ、まずは、お盆の持ち方から」


 人足たちは袖をまくって、店じゅうの大掃除を始めた。長机を磨き、竈の煤を払い、窓を拭く。半年ぶんの煤けた店が、みるみるこざっぱりしていった。


 私はその真ん中で、少し呆然としていた。


 みんな、私のために。誰に頼まれたわけでもなく。この通りの人たちは王都の圧力に、拳や怒鳴り声じゃなく、一杯のスープと笑い声で立ち向かおうとしている。


 掃除の途中で、トトさんが、壁の覚え書きを見上げて言った。


「うわ、この壁、もう、書くとこ、ないですね」


 言われて、私も改めて壁を見た。この半年で増えた、たくさんの「いつもの」。よれよれの炭の字が板いっぱいにぎっしり並んで、もう書き足す隙間なんてどこにもない。


 そこへ、バッソさんが、何かを抱えて入ってきた。


「ねえさん。これ、使え」


 どん、と長机に置かれたのは一枚の板だった。古い樽の蓋を削った、あの看板と同じ木肌の。


「看板を作ったときの、余りの樽よ。二枚目だ。覚え書きが増えて困っとるんだろうと思ってな、削ってきた」


「バッソさん……」


「言っとくが、家賃は負けんぞ。これは、ただの、削りかけの板だ」


 ぶっきらぼうに言って、バッソさんはそっぽを向いた。その照れ隠しがなんだかおかしくて、あたたかい。


 その板を壁にかけていると、戸がためらいがちに半分開いた。


 みんなが振り返る。戸口に立っていたのは——大柄な、峠の荷馬車曳きだった。泥のはねた外套。節くれだった手。あの、施しだと怒って浸しパンを押し返していった、ドマさんだ。


 店がしんとなる。


 ドマさんはばつが悪そうに、それでも、まっすぐ長机に歩いてきた。そして銅ソルを一枚、こつんと置く。


「……一杯、くれ。頼んだぶんの、銅ソルだ。おまけは、いらねえ」


 私ははっとした。あの日、この人が叩きつけていったのと同じ払い方。でも今日のこれは怒りじゃない。対等の客の、まっすぐな注文だった。


「はい。……根菜のスープ、一杯。すぐにお持ちします」


 私はおまけをつけなかった。具もふつうに。頼まれたぶんだけ、きっちりと。それがこの人へのいちばんの敬意だと思えたから。


 ドマさんは黙って、スープを飲んだ。飲み終えて、器を置いて、ぼそりと言う。


「……うまいな。施しじゃねえ飯は、こんなにうまいのか」


 そう言ってドマさんは、銅ソルきっちりのぶんだけ食べて帰っていった。でもその背中はあの日よりずっと軽そうに見えた。


 その夜、ゆるり亭は、遅くまで灯りがついていた。


 ニナちゃんは竈を借りて、新作の菓子と格闘している。リルはお盆を持って、「いらっしゃいませ」の練習。ガロ爺は具の入れどきを、まだ誰かに講釈していた。バッソさんの二枚目の板は、壁で削りたての白い木肌を光らせている。


 私は湯気の立つ鍋の前でくすりと笑った。


 王都の殿下は明日、最後の返事を取りに来る。——でもこわくなかった。この店には最高の一杯がある。それを、みんなであたためて待っている。追い返すつもりの、いちばんあたたかい一杯を。


次話:「うちの店主に何の用だ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。