第20話「見物料は、スープ一杯」
泣いた翌朝は決まって、少し照れくさい。
ジオさんはいつもの時間に奥の席へ来て、いつものを頼んだ。ゆうべのことなんて、おくびにも出さない。私も目が腫れてないといいけど、と思いながら、いつも通りスープをよそう。それでよかった。名前で呼んでくれたことも、泣いてしまったことも。ぜんぶ湯気のなかにそっとしまっておけばいい。
問題はまだちらほら来る見物客のほうだった。
噂はだいぶ下火になった。それでも峠を越えてきた旅人が、面白半分に覗きにくる。席に座って、注文もしない。じろじろ見て、ひそひそ言って、帰っていく。そのたびに、常連の席が埋まってしまう。
常連たちはそのたびに肩身が狭そうにする。ガロ爺は隅の席へ。リルは戸口の外へ。自分の店なのに、いちばん来てほしい人たちが遠慮して端に追いやられている。この妙な逆転を、なんとかしたかった。
その日、ニナちゃんがパンを届けにきた。店の様子に腕を組んで見物客をにらむ。そして、ぽんと手を打った。
「クレアさん、いいこと思いついた」
「なに、その悪い顔」
「見物するなら、お金を取ればいいんだよ。……ううん、お金ってより——スープ一杯、頼むこと。それを掟にするの!」
見物料はスープ一杯。
ニナちゃんはさっそくパン屋から木札を借りてきた。大きな字を書いて、戸口にぶら下げる。「見物のお客さまへ。当店の見物料はスープ一杯(銅ソル1枚)といたします」。
「ちょっと、ニナちゃん、そんな」
「いいの! 見るだけタダなんて、図々しいんだから。座るなら、食べる。それがお店でしょ?」
効果はてきめんだった。
覗きにきた旅人が、木札を見て、ぎょっとする。
「なんだこりゃ。見物に金を取るのか」
「見物料じゃなくて、定食代です」私はすまして答える。「見るだけの方は、どうぞお戸口で。座ったら、一杯。うちは、そういうお店なので」
「けっ、商売上手め」
文句を言いながらも、何人かはしぶしぶ席についた。スープを頼んで、一口すすって——そのうちの何人かが目を丸くするのだ。
「……うまいな、これ」
「でしょう。根菜と、塩だけですけど」
「令嬢さまの手料理にしちゃ、地味だな」
「地味が、いちばん、毎日食べられるんです」
いちばんおかしかったのは、あの書記見習いのトトさんだった。
例の書き付けの板を抱えて、また覗きにきたトトさん。木札を見て、うろたえている。
「え、ぼくも……頼まないと、だめですか。ぼくは、その、取材で」
「取材でも、席にお座りなら、一杯どうぞ」
「うう……じゃ、じゃあ、一杯」
トトさんはしぶしぶスープを頼んだ。書き付けの手を止めて、おそるおそる口をつける。そして、ぴたりと動きを止めた。
「……あれ。なんか、これ……あったかい」
「ええ。あったかいですよ、スープですもの」
「いや、そうじゃなくて……なんか、こう……ぼくの田舎の、母さんのやつに、似てて」
トトさんは書き付けの板をそっと脇に置いた。噂を集める手を止めて、黙って、スープを最後まで飲む。飲み終えて、ぽつりと言った。
「……また、来ても、いいですか。今度は、取材じゃなくて。その、お客として」
「もちろん。お待ちしてます」
トトさんはちょっと照れたように笑って、二杯目を頼んだ。書き付けの板はもう膝から降りている。噂を追ってきた人が味に足を止める。そういう転び方を、この店はときどき人にさせるらしい。
その日から、ゆるり亭は少しずつ、もとの顔を取り戻していった。
いや、もとの顔とは少し違うのかもしれない。見物にきて居ついた客が何人か。トトさんみたいに、噂を追ってきて味に捕まった人。私の素性を知った上で、それでもこの一杯を食べに来てくれる人たち。
覚え書きの壁に、私は新しい行を書き足した。「トトさん——根菜のスープ、あつめ」。噂を集める人の、初めての「いつもの」だ。
ニナちゃんの木札は、しばらく戸口にぶら下がっていた。見物料はスープ一杯。それはいつのまにか、おまじないみたいな言葉になっていた。一杯食べたら、あなたはもう見物人じゃない。ちゃんとしたお客さんだ。
名前がばれても店は続く。むしろ前より少しだけ、にぎやかになったくらいだ。
夕方、店を閉めるころには、木札の下に銅ソルが何枚か増えていた。見物のつもりで来ていつのまにか客になった人たちの、ささやかな証。ニナちゃんの思いつきは、ちゃんと店を助けていた。
私は戸口の木札を眺めて、くすりと笑う。ニナちゃんの「悪い顔」の思いつきも、たまには大したものだった。
次話:「霧は、王都までつづいてる」




