表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「おかえり」って言ってみたかったんです——追放された悪役令嬢の辺境カフェ  作者: 夜凪 蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/30

第15話「見せ物じゃなくて、定食です」

噂は湯気よりずっと速く広がった。


 次の日の朝、店を開けてみて、私は面食らった。いつもの常連の顔ぶれのなかに、見慣れない人たちが何人も混じっている。二人、三人、五人。峠を越えてきた行商や、宿場の暇な旅人だ。みんな、そわそわと店の中を見回している。私の顔を、遠慮なく、じろじろと。


「なあ、あれだろ。公爵令嬢だったって女」


「へえ、思ったより普通だな」


「ほんとに人を突き落としたのかね」


 ひそひそ、じゃない。聞こえるように言う。私は聞こえないふりをして、スープをよそい続けた。


 困ったのは席だった。


 窓際のいちばん日の当たる席に、見物の男が三人、陣取っている。そこへガロ爺がいつもの触れ書きを抱えてやってきた。自分の席が埋まっているのを見て、ぐっと眉を寄せる。


「……わしの席は、どこいった」


「ガロ爺、ごめんなさい。今日はちょっと、混んでて」


「ふん」


 ガロ爺は不機嫌に、いちばん隅の椅子に腰を下ろした。奥の席のジオさんの隣。番犬みたいに黙り込んで腕を組んで。


 見物客の注文がまた厄介だった。


「おい店主、その令嬢さまの手作りってやつ、毒は入ってねえだろうな」


「はいはい、根菜と塩だけです。ご心配なく」


「じゃあ令嬢さま直々に、うやうやしく運んでくれよ。せっかくだからな」


「かしこまりました。足元にお気をつけて。うちに階段はございませんので」


 いくつかの席から、どっと笑いが起きる。悪意まじりの笑いだ。私は笑みを崩さずにスープを運ぶ。けれど指先が少しずつ冷たくなっていくのがわかった。


 常連たちは居心地悪そうだった。ジオさんは奥で、いつもより早く匙を置く。ガロ爺は触れ書きを広げても、ちっとも読み進めない。いつもの静かな朝が、見物人のざわめきに押しやられていく。この店の時間が他人のものにすり替わっていくみたいだった。


 いちばん質が悪かったのは隅の若い男だ。書き付けの板を膝に広げて、私の一挙一動を書き留めている。


「あの、断罪されたのは何月ですか。夜会の場所は。公爵家の紋章は覚えてます?」


「……お客さん、ご注文は?」


「あ、注文はいいんです。お話を聞かせてもらえれば。ぼく、王都の書記局に上がりたくて、こういう噂を集めてるんです。トトっていいます」


「ご注文がないなら、席は空けてくださいな。並んでる方もいますので」


 そのとき、勢いよく戸が開いた。パンの籠を抱えたニナちゃんだ。店の様子を一目見て、みるみる顔が赤くなる。


「ちょっと! あんたたち、なんなの!」


「ニナちゃん」


「クレアさんの店は、見せ物小屋じゃないの! 食べないなら出てって! ここは——ここは、定食を出すお店なんだから!」


 パンの籠を胸に抱えたまま、ニナちゃんは仁王立ちになった。16歳の看板娘が、大の男たちを相手に一歩も引かない。私は思わず噴き出しそうになる。こんなときなのに。


「見せ物じゃなくて、定食です。……ニナちゃんの言う通りですね」


「でしょ!」


 それでも見物客は減らなかった。ニナちゃんに追い出されたぶん、また新しい顔が噂を聞きつけてやってくる。湯気の立つ店先に、人だかりの気配が絶えない。


 昼過ぎ、リルが青い顔でやってきた。宿の鍋を取りに来たのだ。ゆるり亭は毎朝、マーサ女将の宿にスープを一鍋ぶん納めている。奉公人たちの、朝の一杯。リルの母さんが働く宿との、ささやかな取引だった。


「クレアねえちゃん……お店、へん」


「うん。ちょっとだけ、へんなの。でも大丈夫。すぐいつも通りになるから」


 私はリルの頭をなでて、宿の鍋に、いつもより具を多めに詰めた。この子にだけはいつも通りの顔をしていたかった。小さな手が鍋を抱えて、人ごみをすり抜けていく。


 その後ろ姿を見送りながら、私は唇を噛んだ。あの子の職場も母さんの居場所も、私の噂ひとつで危うくなるのかもしれない。そう思うと、笑顔の裏側がじくじくと痛んだ。


 夕方。やっと見物客の波が引いたころ、私はへとへとになっていた。


 常連たちの席は一日じゅう落ち着かなかった。ガロ爺は隅で仏頂面。ジオさんは奥で、いつもより長く黙っている。あたたかいはずのゆるり亭が、今日は一日、そわそわと落ち着かない匂いをまとっていた。


 それでも私は明日も店を開ける。いつも通りに。見物客が来ても常連が来ても、同じ顔で同じ一杯を。そう決めて、私は鍋を洗った。


 いつも通り。


 その二文字を、私はこのとき、少し握りしめすぎていたのかもしれない。


次話:「いつも通りが、できない」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ