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乳姉妹優先の殿下へ。私、次代の聖女に選ばれましたのでお別れです  作者: 九葉(くずは)


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8/10

第八話 七年の真相

教会本部の応接室は、いつもより燭台が多く灯っていた。


朝の光だけでは足りない、と感じられたのだろう。窓の外の季節外れの雪は、もう止んでいた。庭の薔薇の蕾の上に、わずかに白い粒が残っているのが窓越しに見えた。


王妃陛下がお入りになった。


供はいつもの侍女が一人。儀礼の正装ではなく、深い灰色のお召し物だった。王妃陛下がご公務以外のお召し物で教会本部にお越しになるのは初めてのことだと、後で教会医がお教えくださった。


私は立ち上がり、深く礼をした。父も同じ角度で礼を返した。


「セレスティア。公爵閣下」


王妃陛下のお声はいつもより低かった。


「お待たせいたしました」


「いえ、王妃陛下」


「席にお着きください」


私たちは勧められた席に腰を下ろした。


長卓の正面に王妃陛下。右側に大司教猊下と枢機卿閣下。左側に父と私。卓の端に教会医と書記の修道士。


書類束が卓の中央に置かれていた。



「では、教会医より、ご報告を」


大司教猊下が合図をなさった。


教会医が立ち上がり、深く礼をしてから、書類束の一番上の一枚を両手で卓の上に滑らせた。


「先日、ヴェロニカ・フェルマー嬢の体内より検出された鉛系の成分につきまして、出所が特定いたしました」


紅茶のカップを置く指に、わずかに力が入った。


「成分は王宮薬院にて、過去七年、ヴェロニカ嬢に処方されておりました『滋養強壮薬』に含まれておりました。薬の調合に直接関わった薬師は、王宮薬院主任のマウリッツ。調合の指示を出した者は、王宮薬院長を経由しておりますが、その更に背後に別の指示者がございました」


「指示者は」


王妃陛下が低くお尋ねになった。


教会医がもう一枚、書類を卓に滑らせた。


「指示者は」


書類の名前を教会医が読み上げる前に、王妃陛下がご自身でその名前をご覧になった。


「ローデリヒ」


低い声だった。


私はその名前を知っていた。国王陛下の弟君であり、王家の長老格の一人、グランツライヒ大公ローデリヒ殿下。ご年齢は五十をいくつか過ぎていらした。


「義弟が」


王妃陛下のお声がわずかに震えた。



「経緯をご説明申し上げます」


大司教猊下が教会医に代わっておっしゃった。


「七年前、ローデリヒ大公殿下は、ご子息セヴェリン公子のご将来について、ご相談を王宮薬院長にお持ちになりました。表向きは、セヴェリン公子の健康管理のご相談でございましたが、薬院長の証言によれば、ご相談の中で『兄王の系統の安定と、グランツライヒ家全体の調和』についての話題が、繰り返し出されました」


「兄王の系統の安定」


王妃陛下は両手を卓の上で組まれた。


「ええ。当時、王太子殿下は十七歳、婚約間もない時期でございました。ローデリヒ大公殿下はご相談の中で、『兄王の系統とグランツライヒ家の調和のためには、王太子の婚約が安定して進むかどうかが鍵になる』と、繰り返しおっしゃったとのことでございます」


私は息を整えた。


「その後、ローデリヒ大公殿下は王宮薬院主任のマウリッツに、ヴェロニカ嬢への『滋養強壮薬』の調合を、個別にご依頼なさいました。薬の中身については、薬院長ではなく、ローデリヒ大公殿下が直接、薬師にご指示をお出しになりました」


「中身は」


「微量の鉛を、長期にわたって体内に蓄積させる組成でございました。即座に致命的な影響を与えるものではございません。ただし、体力を慢性的に削ぎ、倦怠と微熱を断続的に引き起こします」



私は両手を膝の上で重ねた。


七年。


七年、ヴェロニカ様の顔色が悪くなる度に、殿下は「彼女は身体が弱いから」とおっしゃった。顔色は本物だった。けれど、その本物の顔色を、王宮薬院の中で、誰かが、薬で作り続けていた。


「ローデリヒ殿下のお狙いは」


父が低くお尋ねになった。


「廃太子と、ご子息セヴェリン公子のご即位、でございましょう」


大司教猊下が淡々とお答えになった。


「七年、王太子殿下が病弱な乳姉妹を最優先になさり、婚約者であらせられる公爵令嬢を軽んじられるご様子は、社交界ですでに広く知られておりました。王太子殿下のご即位の前に、婚約が破綻するか、もしくは、戴冠前儀礼の祝福が成立しないかすれば、王家の中で廃太子の議論が出ることは、避けられない状況でございました」


「ヴェロニカ様は、何もご存じなかったのでしょうか」


私はお尋ねした。


教会医が首を振られた。


「マウリッツの自白によれば、ヴェロニカ嬢ご自身は、薬の中身について何もご存じありませんでした。『お体が弱くていらっしゃいますから、毎日、お飲みください』とお伝えするのみで、ヴェロニカ嬢はそれを信じておられました」


「では、ヴェロニカ様も」


「ええ。ヴェロニカ嬢も被害者でいらっしゃいます」


私はしばらく何も申し上げなかった。


七年、私が隣席を譲り続けてきた相手。


七年、私が殿下のご名代として整えてきた行事の中で、私の差配を粗相で台無しにしかけてきた相手。


その方も、七年、別の何かに利用されていた、ということだった。


ヴェロニカ様が悪意で私を軽んじていらしたのではない、とは申し上げない。隣席を当然のようにお座りになっていたのは、ヴェロニカ様ご自身のお選びだった。それは薬の責任ではない。


ただ、本物の蒼白さで「お体が弱くて」と訴えてこられた七年のお声は、ヴェロニカ様ご自身も、知らずに嘘をつかされ続けていたお声だった。



「ヴェロニカ様は、今、どちらに」


私はお尋ねした。


「教会本部の医療棟で、ご療養中でございます」


教会医がお答えになった。


「薬を断ちまして、四日が経ちました。離脱の症状が出ております。倦怠、微熱、嘔吐、手指の震え。すべて、薬の長期摂取で抑えられていた症状が、表に出てきた形でございます」


「お命に関わりますか」


「離脱の山は、あと十日ほどで越えられる見込みでございます。離脱の後、お体は徐々に本来のご健康を取り戻していかれます」


「本来のご健康」


「ええ。ヴェロニカ嬢は本来、お体が弱いお方ではございません。薬を断たれた後、半年ほどで平均的なご令嬢のご健康を取り戻されると見込んでおります」


紅茶のカップの底が、卓に軽く触れた。


七年。


七年、ヴェロニカ様の「お体の弱さ」は本物ではなかった。


殿下が七年「彼女は身体が弱いから、君なら分かってくれるね」とおっしゃってきた、その前提が、薬で作られていた。



「ヴェロニカ様は、ご真実をお知りになりましたか」


「昨日、教会医からお伝えいたしました」


「ヴェロニカ様は」


「ヴェロニカ嬢は、しばらくお声をお出しになりませんでした。それから、お一人で寝台の中でお泣きになっていらしたとのことでございます」


私は紅茶のカップを両手で包んだ。


七年、私が「お体の弱さ」を、まずは信じてきたヴェロニカ様。


七年、私が「殿下を独占する方」として距離を取ってきたヴェロニカ様。


その方が今、教会本部の医療棟で、お一人でお泣きになっていらした。


私は両手で、紅茶のカップを、ゆっくりと温めた。



「公爵令嬢」


王妃陛下が私のほうへ顔を向けられた。


「ヴェロニカ嬢に、お会いになりますか」


私はすぐには答えなかった。


考えた。


考えてからお答えした。


「お会いいたします」


王妃陛下は頷かれた。


「ありがとうございます」



それから、王妃陛下はご自身のお手で、長卓の上にご自身の書類束を置かれた。


「では、王宮側の処分について、教会本部に正式にお伝え申し上げます」


大司教猊下が頷かれた。


王妃陛下が一枚ずつ、書類をお読み上げになった。


「グランツライヒ大公ローデリヒ殿下。王法第九条、王家の継承秩序を意図的に乱した罪により、領地一切を剥奪。北方辺境への幽閉。王家の系図より名を削る」


「ご子息セヴェリン公子。父の計画を承知のうえで加担したことが認められたため、王位継承権を剥奪。爵位返上。北方辺境にて父と共に幽閉」


「王宮薬院主任マウリッツ。七年にわたる薬物の調合と投与の実行責任により、王法第十三条にて処断」


「王宮薬院長。直接の調合は行わなかったが、ローデリヒ大公殿下と薬師の間の取次を担い、報酬を受けていたことが認められたため、罷免、爵位降格、王宮への出仕禁止」


王妃陛下は書類を一枚ずつ、淡々とお読み上げになった。


すべての書類に、王妃陛下のご署名と国王陛下の御印が、すでに捺されていた。



「王妃陛下」


私はお尋ねした。


「国王陛下の御印は」


「昨夜、お伝え申し上げました」


王妃陛下が答えられた。


「国王陛下はしばらく何もおっしゃいませんでした。それから、自筆でお印を押されました」


「畏まりました」


王妃陛下は私のほうへ視線をお戻しになった。


「公爵令嬢」


「はい」


「もう一つ、お伝え申し上げたい話がございます」


王妃陛下のお声がわずかに低くなった。



「私自身の話を申し上げます」


王妃陛下は息を整えられた。


「私が王太子妃でいらした頃の話でございます。今から二十数年前のこと」


私は両手を膝の上で重ねた。


「先王陛下、今の国王陛下のお父上でいらっしゃいます、には、乳兄妹がおりました。男爵家のご子息で、お名前をレオン様と申しました」


王妃陛下のお声は淡々としていた。


「先王陛下はレオン様を実の弟のようにお扱いになっていらっしゃいました。私が王太子妃として嫁いだ頃、レオン様はいつも先王陛下のお側にいらっしゃいました。観劇の隣席も、夜会の隣席も、いつもレオン様のものでございました」


紅茶のカップの縁を、指でわずかに撫でた。


「私は若うございました。十八で嫁いでまいりました。先王陛下のお優しさは、私にも、レオン様にも、平等に向けられている、と、私は自分に言い聞かせておりました。けれど、夜会の隣席はいつも私のものではございませんでした」


「王妃陛下」


「私は声を上げませんでした。先王陛下にお困りを申し上げませんでした。お嫁ぎになった他家の妃殿下方からは『大丈夫ですか』とご心配のお言葉を何度かいただきました。私はいつも『大丈夫でございます』とお答え申し上げました」


王妃陛下が紅茶のカップを両手で包まれた。


「三年が過ぎました」


「三年」


「三年目の冬、先王陛下がご自身でお気づきになりました。冬の夜会で、レオン様の隣に座ろうとなさった先王陛下が、ふとお止まりになり、私のほうをご覧になりました。それから、私の隣の椅子にお座りになりました」


「先王陛下がご自身で」


「ええ。先王陛下がご自身でお気づきになるまで、三年かかりました。三年、私は待ちました」


王妃陛下は紅茶を口に含まれた。


「あの三年は、私にとって長うございました。けれど、先王陛下がご自身でお気づきになった瞬間のお顔は、私には忘れられない宝でございます。あの瞬間、私は先王陛下がご自身でお気づきになることの重さを、知りました」


王妃陛下のお声がわずかに低くなった。


「だから、私は息子のジュリアンにも同じことをしようとしました」


胸の奥でかすかな音がした。


「七年、私は息子がご自身でお気づきになるのを待ちました。あなた様を待たせている、ということに、息子がご自身でお気づきになるまでは、私は介入しないと、自分に誓っておりました」


「お母様」


「けれど、息子は七年、お気づきになりませんでした」


王妃陛下が紅茶のカップを卓に戻された。


「私の経験は、息子の七年とは別のものでございました。先王陛下は三年でお気づきになりました。息子は七年、お気づきになりませんでした。私が、息子にも同じ教育で大丈夫だと信じてしまったことが、間違いでございました」


王妃陛下は私のほうへ顔を向けられた。


「公爵令嬢」


「はい」


「私は母として過ちを犯しました。私の過ちで、あなた様の七年が長くなりました」


王妃陛下が両手を卓の上で重ねられた。


「母として、お詫び申し上げます」


「王妃陛下」


「同時に、王妃として」


王妃陛下のお声がもう一段低くなった。


「王宮が、あなた様の七年のお働きを、息子のお名前で奪い続けてきたことを、お詫び申し上げます」


「お母様」


「同時に、同じ過ちを繰り返した者として」


王妃陛下のお声が震えた。


「先王陛下が三年で気づかれたのと、同じことが息子にも起こると信じてしまった私の不明を、お詫び申し上げます」


王妃陛下が深く頭を下げられた。


応接室の中で、私たち以外の誰もお声をお出しにならなかった。


私は両手を膝の上で強く重ねた。


頭をお下げになっていらしたのは、王妃陛下お一人だった。


王家の最高位の御方の、深いお辞儀だった。



「王妃陛下」


私はお声をようやくお返しした。


「お顔をお上げくださいませ」


王妃陛下はゆっくりとお顔を上げられた。


その目元はわずかに濡れていらした。


私はそれを見ないことにしなかった。


「王妃陛下」


「はい」


「先王陛下がご自身でお気づきになった瞬間の、お顔のお話を、もう一度伺ってもよろしいでしょうか」


王妃陛下がわずかに首を傾けられた。


「もう一度」


「はい」


王妃陛下はしばらく考えてからお話しくださった。


「冬の夜会でございました。広間の中央の卓に、先王陛下のお席が用意されておりました。先王陛下のお隣にレオン様のお席。私の席はその更に向こうでございました。先王陛下がご自分のお席にお着きになる前に、卓の周りをお歩きになりました。レオン様のお席の前でお止まりになり、それから、私の席のほうをご覧になりました」


王妃陛下のお声はいつもよりゆっくりとしていた。


「先王陛下のお顔の色がわずかに変わりました。それから、先王陛下はご自身のお席をご自身で、私の隣にお移しになりました。椅子をご自分の手で引かれたのでございます」


その光景を、私は想像した。


王太子がご自身の椅子をご自身の手でお引きになる光景。


「先王陛下は何もおっしゃいませんでした。レオン様にも、私にも、何もおっしゃいませんでした。ただ、椅子をお移しになった。その夜から、先王陛下は夜会の隣席を、いつも私の隣にお選びになりました」


「先王陛下は、お謝りにならなかったのですね」


「ええ。お謝りにはなられませんでした。ただ、お選びを変えてくださいました」


私はしばらく考えた。


「お選びを変えてくださることは、お謝りより重うございますか」


王妃陛下が微笑まれた。


七年、私が王妃陛下の微笑みをまっすぐにお見上げしたことは、ほとんどなかった。今日、私は王妃陛下のお顔をまっすぐにお見上げした。


「重うございました、私には」


王妃陛下が答えられた。


「お謝りは、過去のことについていただくものでございます。お選びを変えてくださることは、これからのお時間についていただくものでございます。私はこれからのお時間をいただきました」


私は頷いた。


「畏まりました」



応接室の窓の外で、教会の鐘が低く鳴り始めた。


午前の祈祷の時刻だった。


王妃陛下は深く息を整えられた。


それから、もう一度私のほうへ顔を向けられた。


「公爵令嬢」


「はい」


「ジュリアンの廃太子について、本日、貴族院にて正式な議論が始まります」


「畏まりました」


「ジュリアンは貴族院での議論の後、王位継承権を放棄することになります。これはジュリアン自身の選択でもあります」


「殿下ご自身の」


「昨夜、ジュリアンが私の元に参りました。ご自身の意思で、王位継承権の放棄を申し出てまいりました」


紅茶のカップの底が卓に当たる音が、わずかに響いた。


「ジュリアンはこう申しました。『母上。僕は七年、間違えました。間違えた者が王として戴冠することは、王家に対する最大の不誠実でございます。継承権を放棄させてください』と」


「殿下が」


「ええ。ジュリアンの選びでございます」


王妃陛下が紅茶のカップに視線をお落としになった。


「ジュリアンは王国南部の離宮へ移ることになります。慎ましく暮らします。これからの彼の七年が、彼自身のお選びによる七年になりますように、と、母として祈ります」


私は深く礼をした。



「セレスティア」


「はい、王妃陛下」


「これからの王太子は、三男のレオポルトでございます」


「レオポルト殿下が」


「ええ。レオポルトは十八。まだ若く、未熟でございますが、性格は穏やかで、兄を慕う心の強い子でございます。立太子の儀は来月、執り行います」


「畏まりました」


「セレスティア」


王妃陛下が私の名前をもう一度お呼びになった。


「あなた様には王家の継承から、外れていただきます。これからは聖女として、王家の外で、ご自身のお務めをお進めくださいませ」


「畏まりました」


私は深く礼をした。



応接室を退出する前、王妃陛下が私の手をお取りになった。


七年、王妃陛下が私の手をお取りになったのは、初めてのことだった。


「セレスティア」


王妃陛下の手は温かかった。


「お疲れさまでございました」


「もったいないお言葉でございます」


「七年、ありがとうございました」


「いえ」


「七年、ありがとうございました」


王妃陛下がもう一度おっしゃった。


私はお声をお返しできなかった。


ただ、王妃陛下の手を両手でわずかに握り返した。


王妃陛下は頷かれた。


それからゆっくりと、手をお離しになった。



午後、私は教会本部の医療棟へ参った。


ヴェロニカ様のお部屋は、医療棟の二階、東向きの明るい部屋だった。


私が扉の前で修道女に取り次ぎをお願いすると、しばらくの間の後、扉が内側から開いた。


ヴェロニカ様は寝台の中でお休みになっていらした。


顔色は相変わらず蒼白かった。けれど、目の中のわずかな焦点の不安定さが消えていた。


「セレスティア様」


ヴェロニカ様が私をご覧になった。


「ヴェロニカ様」


私は寝台の脇の椅子に腰を下ろした。


しばらく、誰も口を開かなかった。


ヴェロニカ様の窓の外で、薔薇の蕾の上の雪がもう解けていた。


「セレスティア様」


ようやくヴェロニカ様が口を開かれた。


「私は、本物では、なかったのですね」


「ヴェロニカ様」


「お病気も本物ではなかった。殿下のお優しさも、たぶん、本物ではなかった」


「ヴェロニカ様。殿下のお優しさが本物だったかどうかは、別のことでございます」


「いえ」


ヴェロニカ様が首を振られた。


「本物でなかったから、殿下が私をお選びになっていらしたのです。本物のお病気だと皆様が思い込まれていらしたから、殿下が私をご家族同然にお扱いくださっていらしたのです」


私は両手を膝の上で重ねた。


「私が本物のお病気でなくなった今、殿下はもう、私をご家族同然にはお扱いになりません」


「ヴェロニカ様、それは」


「分かっておりますの」


ヴェロニカ様が低くおっしゃった。


「分かっておりますの、セレスティア様。私が七年、頂いてきた『お優しさ』は、私への『お優しさ』ではございませんでした。私の『お病気』へのご同情でございました」


私は何も申し上げなかった。


七年、私が「君なら分かってくれる」と頼まれてきた言葉が、私への信頼ではなく、私の「分かる能力」への頼り、だったのと同じことだった。


二人とも、別々の場所で別々の形で、七年、本物ではないお言葉に頼って生きてきた。



「セレスティア様」


「はい」


「私はこれから、どこへ参りますの」


ヴェロニカ様の目にわずかに涙が浮かんだ。


「フェルマー伯爵家は養女縁組を解消なさるのでしょう。私にはもう、伯爵家に戻る場所がございません。社交界にも、戻る顔がございません」


私はしばらく考えた。


考えてからお答えした。


「ヴェロニカ様」


「はい」


「お参りになる場所は、ヴェロニカ様ご自身でお選びくださいませ」


「私が選ぶ」


「ええ」


「私には選ぶ場所など」


「ございます」


私は答えた。


「教会の保護下で、ご療養をお続けになることも、おできになります。修道院でお暮らしになることも、おできになります。フェルマー伯爵家以外のご親戚の元へお越しになることも、おできになります。お選びはヴェロニカ様ご自身のものでございます」


ヴェロニカ様がしばらく何もおっしゃらなかった。


それから、ゆっくりと声をお出しになった。


「修道院、と申されましたか」


「はい」


「戒律の厳しい修道院は、ございますか」


私は息を呑んだ。


「ヴェロニカ様」


「私はもう、社交界へは戻れません」


ヴェロニカ様のお声がわずかに震えていらした。


「七年、私は、私が殿下のお優しさを独占する権利を持っていると、思い込んでまいりました。本物でない理由で、人様の隣を奪い続けてまいりました。私の七年は、私自身の手で罪を重ねてまいりました」


「ヴェロニカ様、それは」


「セレスティア様」


ヴェロニカ様が私のほうをご覧になった。


「私の隣を奪われた七年をお許しになるかどうか、それはセレスティア様のお選びでございます。けれど、私が私の罪をお引き受けするかどうかは、私の選びでございます」


私は頷いた。


「左様でございます」


「では」


ヴェロニカ様はお声を整えられた。


「戒律の厳しい修道院に、お入りしとう存じます。沈黙の戒律のあるところを、お選びくださいませ。私はこれから、何年か、人様の前でお声をお出ししない時間を、過ごしとう存じます」


私は答えなかった。


すぐにはお答えできなかった。


ヴェロニカ様のお選びを肯定するか、否定するか。それは私の選びではなかった。それはヴェロニカ様ご自身のお選びだった。


「畏まりました」


私はようやくお答えした。


「教会の御方にお伝えいたします。北方に、戒律の厳しい修道院がございます。沈黙の戒律のある場所もございます。お選びはヴェロニカ様ご自身でなさってくださいませ」


「ありがとう存じます」


ヴェロニカ様が深く頷かれた。



しばらくして、ヴェロニカ様がもう一つお尋ねになった。


「セレスティア様」


「はい」


「お許しになってくださいますか」


私は息を整えた。


「ヴェロニカ様」


「はい」


「お許しを、すぐには申し上げられません」


「左様でございますか」


「ただ」


私は続けた。


「お許しを申し上げる準備を、これからいたします」


ヴェロニカ様がしばらく私をご覧になった。


「お許しを申し上げる準備」


「ええ。七年で奪われたものは、すぐには戻りません。けれど、戻らないものを戻らないままに置いておくお選びと、戻らないものを別の形でお引き受けするお選びは、別のものでございます。私は後の方を選びます」


「セレスティア様」


「ヴェロニカ様の七年も、お選びでないお部分がございました。お選びでない七年のことは、ヴェロニカ様ご自身の罪ではございません。それは教会と私が申し上げます」


ヴェロニカ様の目から、ようやく涙が零れた。


「お選びの七年のことは、ヴェロニカ様ご自身でお引き受けくださいませ。お引き受けの仕方は、修道院でも別の道でも、ヴェロニカ様のお選びでございます」


私は立ち上がった。


「ヴェロニカ様。ご療養をお続けくださいませ」


「セレスティア様」


「はい」


「私の声をもう一度、お聞きくださることができれば」


「お選びをなさってくださいませ」


私は答えた。


「沈黙の戒律をお選びになるか、お声をもう一度お出しになるか。お選びはヴェロニカ様のものでございます」


ヴェロニカ様が頷かれた。


「ありがとう存じます、セレスティア様」


私は深く礼をして、お部屋を退出した。



医療棟を出ると、教会本部の庭は、薔薇のアーチが夕暮れの光に染まっていた。


朝の雪はすっかり解けていた。


枢機卿閣下が庭の入口にお立ちになっていらした。


「公爵令嬢」


「はい」


「お疲れでございましょう」


「はい」


枢機卿閣下が薔薇のアーチをわずかにご覧になった。


「少しお庭をお歩きになりますか」


「お願いいたします」



薔薇のアーチの下を、私たちはゆっくりと歩いた。


二人の間には、いつも通り、人が一人座れるだけの距離が空けてあった。


「公爵令嬢」


「はい」


「先ほどのヴェロニカ嬢とのお話、お見事でございました」


「いえ」


首を振った。


「私はお許しを、まだ申し上げられませんでした」


「お許しをご準備なさることをお選びになりました」


「ええ」


「それはお許しと、同じ重さでございます」


私は答えなかった。


枢機卿閣下も続きをおっしゃらなかった。


しばらく、二人で薔薇のアーチの下をゆっくりと歩いた。


アーチの中ほどで、足元の石がわずかに緩んでいる場所があった。


枢機卿閣下が半歩、先にお進みになった。


それから振り返って、私に手を差し伸べられた。


「足元の石が緩んでおります」


私はしばらく手を見ていた。


七年、私は誰かの手を取ることに慣れていなかった。婚約者の隣席をお譲り続けてきた七年は、手を取ることが許されていなかった七年でもあった。


深く息を吸った。


それからゆっくりと、自分の手を差し伸べた。


枢機卿閣下の手を、私は初めて、自分から取った。


枢機卿閣下の手は温かかった。


私の手よりわずかに大きく、わずかに骨ばっていらした。


緩んだ石を、二人で跨いだ。


跨ぎ終わってから、ゆっくりと手は離れた。


私たちの間には、また、人が一人座れるだけの距離が空けられた。


けれど、その距離は今までの距離と、少しだけ違っていた。



「公爵令嬢」


「はい」


「明朝、貴族院にて、廃太子の正式議論が始まります」


「畏まりました」


「正式な廃太子は、来月、儀式として行われます」


「来月」


「同時に、第三王子レオポルト殿下の立太子の儀も執り行われます。同じ日に、ご即位の継承秩序が正式に移されます」


私は頷いた。


「畏まりました」


「公爵令嬢」


「はい」


「立太子の儀の同じ日、教会本部にて、聖女就任式を執り行いたく存じます」


胸の奥で、温かい何かが小さく動いた。


「同じ日に」


「ええ。王宮では立太子、教会では聖女就任。二つの儀式が同じ日に、別々の場所で執り行われます。象徴的な日になります」


「象徴的」


「王家の継承と、教会の継承が、同じ日に新しい時代へ移されます」


私は深く頷いた。


「畏まりました」


「就任式の打ち合わせを、来週から進めてまいります」


「お願い申し上げます」



教会本部の門の前で、教会の馬車が用意されていた。


私は馬車に乗り込む前に、もう一度、振り返った。


枢機卿閣下が門の内側でお立ちになっていらした。


「枢機卿閣下」


「はい」


「今夜は、よくお休みなさいませ」


私が初めて、枢機卿閣下に、その言葉をお返し申し上げた。


七年、私は誰かから「お疲れでございましょう」と、言われてこなかった。


四日前、私は枢機卿閣下から、初めてその言葉をいただいた。


今日、私は初めて、お返し申し上げた。


枢機卿閣下が深く頷かれた。


「ありがとうございます」


低い声だった。


馬車の扉がゆっくりと閉まった。



公爵邸へ戻る道の途中、私は馬車の窓に、ほんの少しだけ額を寄せた。


寄せて、今夜は何も申し上げなかった。


ただ窓の外を見ていた。


王都の夕暮れが、ゆっくりと家々の屋根を染めていた。


朝の雪は、もう、どこにも残っていなかった。


夏が始まろうとしていた。



公爵邸の玄関で、マルタが私を迎えてくれた。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


「ただいま、マルタ」


「お父上が書斎にてお待ちでございます」


書斎の扉を開けた。


父は暖炉の前の椅子に座っていらした。机の上に紅茶のカップが二つ。


「セレスティア」


「お父様」


「終わったのか」


「はい」


父が紅茶のカップを私の方へ押し出された。


「飲みなさい。今夜は、お前のために温めてある」


私は紅茶を両手で包んだ。


ちょうど、私の好む温度だった。


「セレスティア」


「はい」


「お前は今日、たくさんのものを引き受けたのだな」


「お父様」


「うん」


「私は今日、たくさんのものを引き受けることを、選びました」


父が深く頷かれた。


「選んだのか」


「はい」


「うむ」


父はそれ以上、何もおっしゃらなかった。


ただ暖炉の火を、ゆっくりとご覧になっていらした。



寝台の脇に座って、私は机の上の小箱を開けた。


紙片をもう一度、見た。


差出人の名前のない、短い文。


私はその紙片をもう一度読み直した。


それから小箱に戻した。


戻してから、もう一枚、別の紙片を書いた。


「今宵は、よくお休みなさいませ。明日もご無理を、なさいませぬよう」


差出人の名前は書かなかった。


明日の朝、教会本部の馬車が来た時、馭者の修道士にお渡しすることにした。



灯を消した。


天井の梁の影が、暗い中で薄く見えた。


戴冠前儀礼は延期された。


廃太子と立太子の儀は来月。


聖女就任式は、同じ日。


私の七年は、終わった。


ヴェロニカ様の七年も、終わった。


殿下の七年も、終わった。


王妃陛下のお三年は、もう二十数年前に終わっていらした。


それぞれの七年が、それぞれの場所で、それぞれの形で終わった。

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― 新着の感想 ―
日本語が…
敬語や丁寧語の使い方がとても不自然です。 ご本人でなくAIでしょうか?
本文のままだと、「王妃が嫁いだ相手=先王陛下?」みたいに読めてしまう。
感想一覧
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