17『ゴブリンは結構強い』
「ちっ……!」
舌打ちと共に首を左へ傾ける。耳の薄皮一枚を掠め、小石が鋭い風切り音を立てて通り過ぎた。木の枝に陣取る指揮官のゴブリンが、さっきから執拗に俺を狙ってきているのだ。
投石を躱すたび、眼前に迫るゴブリンへの対応が一瞬遅れる。素人の俺には「回避」か「攻撃」、そのどちらか片方に意識を割くのが精一杯だ。
漫画やアニメのキャラクターがいかに化け物だったのか、今ならよく分かる。あいつら人間じゃねぇよ。
「ギャギャッ!」
思考がブレた隙を突かれ、ゴブリンの石槍が左脇腹へと肉薄する。俺は右足を軸に半身を捻って致命傷を躱し、同時に、伸びきった槍の柄を左手でガシィッと掴み取った。
槍を握られたまま、ゴブリンが下劣な笑みを浮かべる。
「ギャギャギャギャギャ」
それも当然だろう。目の前のゴブリンは身長百四十センチほどと小柄だが、アスリート顔負けの引き締まった筋肉に覆われている。
対する俺は、華奢な女の細腕一つ。しかも片手だ。両手で槍を構える自分に、力負けするはずがない――そう高を括っているのだろう。
「ふっ!」
俺は丹田に力を込め、左手で槍を一気に手元へ引き寄せる。
「ギャビッ!?」
予想外の力に引かれ、ゴブリンが滑稽な悲鳴を上げて大きくつんのめった。無防備に晒されたその首筋が、俺の剣の射程圏内へと飛び込んでくる。
勝負ありだ。剣を振り上げ、刃を叩き落とそうとした――その瞬間。
視界の端、枝の上の指揮官が再び石を振りかぶるのが見えた。
このまま斬り下ろせば、確実に俺の頭に石が直撃する。俺は迎撃のため、刃の軌道を投石へと向け直そうとした。
「カグヤ! 石は私に任せて!」
いつもは物静かなリリィの、滅多にお目にかかれない大声が戦場に響く。
俺は彼女を信じ、迎撃を捨てて剣の切っ先を目前の首筋へと戻した。
ザンッ!!
くぐもった切断音。ゴトリと重い音を立てて首が地面に落ち、切断面から血が噴水のように噴き出した。
「うおっ!」
咄嗟のバックステップで血しぶきを躱す。
視線を上げると、リリィの展開した扉サイズの結界が、飛来した小石をカンッと弾き落としているところだった。
鼻腔を突く強烈な鉄錆の匂い。足元には赤黒い血だまりが広がっていく。
靴は高価だから汚すまいと、俺はさらにジリジリと後退した。
「……うぅ」
転移直後のサバイバル生活で、生きるために命を奪い、解体まで経験した。ある程度グロテスクな惨状には慣れたつもりだったが、やはり気分のいいものではない。だが、俺が躊躇すれば後衛のアブ姉とリリィが危険に晒されるのだ。
他の戦況を確認するため背後を振り返ると、ドットとアブ姉はすでに戦闘を終えていた。
ドットの足元には綺麗に両断された死体が転がり、アブ姉の前には土塊の連打という脳筋戦法でミンチにされた肉塊が転がっている。どちらも直視を避けたい有様だ。
残るはリリィが担当した一匹のみ。
彼女は結界でゴブリンを四方から囲い込み、完全に足止めしていた。結界を割られるたびに即座に張り直すという、ゴブリンからすれば発狂ものの地獄の展開だ。
「トドメは貰うぜ?」
ドットが囚われのゴブリンに歩み寄り、無造作な剣の一振りで結界ごと対象を両断した。
……これで、前衛のオス四匹は片付いた。木の上にいた指揮官の老齢のメスは、部下の全滅を悟って早々に逃走を開始している。
「相変わらず逃げ足の速ぇババアだ。あれ倒したら銀貨十枚は硬いんだけどな」
ドットが腰の革袋を取り出し、エールをあおる。この血生臭い惨状でよく酒が飲めるなと呆れるが、今はそれどころじゃない。
「銀貨十枚!? それほんとか!? 一万円だぞ一万円! 俺たち三人の三日分の生活費!」
俺は血相を変えてドットに詰め寄った。
ドットが俺の顔をマジマジと見下ろす。
「一万円? ……ゴブリンってのは圧倒的にオスが生まれやすい。オス共を統率するメスは希少なんだよ。メスがいなくてもオス同士で連携は取るが、強度は下がる。何より、前衛とやり合ってる最中に後ろから石飛んでこなくなるだろ?」
頭を掻きながらドットが続ける。
「だからオスより報酬が高いってわけさ。ゴブリンの寿命は一年程度だが、裏を返せば指揮官を全滅させりゃあ、その一帯の群れは一年間弱体化するってことだからな」
ふと、ドットとの顔の距離が近すぎることに気づき、俺はそっと距離を取った。ていうかこいつ、マジで酒臭い。
「ちなみにドットさん。オスの討伐報酬はおいくらでしょうか?」
アブ姉がローブの襟元をパタパタと煽ぎながら尋ねる。時刻は午後二時頃。暑さのピークだ。
「銀貨三枚だ。今回は四体だから、計十二枚だな」
「おお……四日分の生活費。……あ、でも、うち二体はドットさんが倒したので、私たちの取り分は六枚ですね」
しょぼんと肩を落とすアブ姉。
「いんや。二次試験の慣習でな。試験官が倒した獲物でも、討伐報酬は受験者のモンになる」
ドットが再びエールをあおって続ける。
「まぁ、俺はギルドから試験官として日当もらってるからな」
こともなげに笑うドット。
(……そんな慣習ないんだけどな)
彼がこぼした小声の独り言は、誰の耳にも届かなかった。
「……そうだ。カグヤ」
不意にドットの声音が一段下がる。俺を見るその瞳には、ベテラン冒険者としての真剣な光が宿っていた。
「……なんだ?」
「さっきの戦闘だがよ、お前ならもっと上手く立ち回れたぜ。メスの投擲を警戒して、オスへのトドメを中断したのはいい判断だ。……だが、それならオスを蹴り飛ばして距離を取るべきだった」
ドットはそこで言葉を切り、鋭く俺を射抜く。
「お前が頭上の小石に気を取られてる間、たまたまオスが動かなかったから助かったようなもんだ。相手が百戦錬磨の個体なら、その隙に喉笛を掻き切られてたかもしれねぇぞ。……まぁ、リリィの嬢ちゃんが体に結界を張ってくれてるから、死にはしなかっただろうがな」
「……そうだな。ドットの言う通りだ」
俺はドットの目を真っ直ぐに見返して頷いた。
「まっ、お前らならゴブリンの十匹や二十匹に囲まれてもゴリ押しでどうにかなっちまうだろうが……一度、基礎からきっちり戦闘訓練を受けた方がいい」
そう言うと、ドットは照れ隠しのようにぷいと背を向けた。
「そうだな。……ていうか、ゴブリン一匹に手こずってるようじゃ、いつか本当に痛い目を見る」
俺は首のないゴブリンの死体を見下ろして自嘲した。
「そうですね……。私、水球や火の玉を飛ばすような、繊細な魔法の制御が苦手で。前衛の支援がうまくできないんです。強風で吹き飛ばすなり、辺り一帯を火炎地獄にするなりすれば何体来ても一掃できますが、それだとカグヤやリリィまで巻き込んじゃいますし……環境破壊と魔力消費も馬鹿になりません」
「私も、基本足止めしかできない」
アブ姉とリリィの言葉に、場に微妙な空気が流れる。
「なにしんみりしてんだよ。お前らの才能はとんでもねぇレベルだぜ? 鍛えりゃあ、Dランク冒険者だって夢じゃねぇ」
ドットが空気を変えるように、おどけた声を上げた。
「あっ、俺らDランク冒険者になるつもりないんで」
「ああ? なんでだよ。Dランクになれば貴族様からお小遣い貰えるんだぜ?」
「貴族とか絶対関わりたくないんだよ。面倒くさそうだし」
「お前、それ絶対俺以外の奴の前で言うなよ……?」
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