23-4 モチゴメを蒸し器に入れて大鍋にかけるんだぞ+今年初の鮮烈
「ぴゃああああああああああああ……」
聖女セレネス・シャイアンその人であるリリアン・セレナ・スウィートは、目の前に現れた入寮祝いを見て、瞳を潤ませ頬を紅潮させ、蕩けてしまいそうな声を上げた。
ピンクとレースとリボンが盛りだくさんの少女趣味の室内。寮に備え付けの勉強机には、出来立てのアップルパイとクッキーとお茶が所狭しと並んでいる。アンダーソン夫人が贈った小さなティーテーブルには、たった今プレゼント包みから取り出されたばかりの、二階建てのドールハウスがちょんと置かれている。
「ミミちゃんのおうちだあ……!!!!!!」
リリアンは震える手で小さなウサギのぬいぐるみのミミちゃんを握りしめ、小さな家を熱心に覗き込んだ。
「可愛いテーブル……! キッチンがあるよミミちゃん……ちっちゃいコップ! フライパンもある! わあ、シンクの引き出しが開くんだあ! お二階の出窓が可愛いねえ……ベッドきゃわうぃいいいいいミミちゃんねんねしようねええええええええ」
アンダーソン夫人が用意したと思われる、ピンクの花柄のふりっふりのワンピースを着たリリアンは、ハートマークがあちらこちらに飛び散るのが目視できそうな勢いでニコニコデレデレしながらドールハウスを覗き、小さな家具をつまみ、ミミちゃんを置いてはまたデレデレとする。その様子を後ろから見守っていたルナとアンジェは顔を見合わせ、二人して声を上げて笑った。
「だから言ったでしょう、ドールハウスが絶対にいいと」
「女児だ……女児がいる……」
「大人でも子供でも、好きなものを楽しむ権利は持っていましてよ」
「子リスがまさかのバニア勢だとは……」
祥子が子供のころに遊んでいたおもちゃの名前をアンジェはどうしても思い出せなかったが、ルナは覚えているようだった。二人のことなど半ば忘れてドールハウスに夢中になるリリアンと、ピンク一色の室内を見まわして、ルナはどこか懐かしそうに目を細める。
「バニアといい、部屋の趣味といい、メロディアが一人暮らししてた頃にそっくりだな」
「ふふ、想像がつきますわ」
「アンジェ様、ルネティオット様、素敵なおうち、ありがとうございます!」
リリアンは瞳に涙さえ浮かべながら振り向くと、アンジェとルナの手をとってぶんぶんと振った。
「すっごい可愛いです、最高です、素敵すぎます! ミミちゃんのおうちなんて考えもしませんでした!」
「そりゃ良かった、母上の形見なんだって? 選んだのはアンジェだぞ」
「お気に召したようで良かったですわ」
「えへへ、ありがとうございます!!!」
リリアンはそのままいつまでもドールハウスを眺めていそうだったので、アンジェが諭してドールハウスをリリアンに持たせ、ルナとアンジェが勉強机の上のアップルパイとクッキーとお茶セットをテーブルに移動させた。リリアンは勉強机にドールハウスを置くとミミちゃんを一階の応接セットのところに座らせ、ニコニコその様子を眺めてミミちゃんの頭をちょんちょんと撫でてから、ようやくテーブルの方にやってきた。その間にルナが勉強机の椅子をテーブルの方に移動させて腰掛け、アンジェはお茶を入れる支度を始めていた。
「わあ、ごめんなさい、私がやらなきゃなのに」
「よろしくてよ、素敵なアップルパイね。リリアンさんがお作りになりましたの?」
「はい、新学期までは寮の魔法オーブンを使わせてもらえることになって、最近は毎日何かしら焼いてるんです。寮母さんとか、寮にいる人が食べてくれるんですよ」
リリアンはどこか得意気に微笑むと、アップルパイを手早く切り分けていく。
「これは森のリスに分けてもらった野りんごとカスタードを合わせました。お口に合うと嬉しいです」
「おうおう、子リスがリスと仲良しか」
「えへへ、そうですよ〜」
皿の端に生クリームを乗せ、リリアンはアンジェとルナにパイを渡した。アンジェも淹れたお茶をそれぞれに配り、二人して席についた。
「さあ、食べましょう!」
「リリアンさんのお菓子がいただけると思っていなかったから嬉しいわ」
「昼飯あんなに食うんじゃなかったな」
「本当ですわね」
アップルパイはフォークで切り分けて口に入れるとまだほんのりと温かかった。酸味が強めのりんごとまろやかなカスタードが合わさると優しい風味が生まれ、サクサクとしたパイ生地と相性が良い。目を見開いて二口、三口と食べ進める二人を見て、リリアンはニコニコと笑っている。
「……リリアンさん、こちらのパイも見事ですわね。とても美味しいわ」
「えへへ、ありがとうございます」
「新学期には魔法オーブンが届くんだろう、そうしたらお菓子クラブらしいことができるようになるな」
「そうですね、最初は何を作ろうか考えてるんです」
「セキハンはどうだ?」
ニヤニヤとしたルナの言葉にアンジェはギョッとしたが、リリアンはきょとんとした顔で聞き返す。
「セキハン? どんな食べ物ですか?」
「ヒノモトの祝いの席で食べるコメ料理だな。赤いコメ、って意味の名前なんだが、実物はピンク色で、茶色い豆が入ってる」
「へえー、ピンクのコメ? 可愛いかも……もう少し詳しく教えていただけますか?」
「ああ、今度レシピを書いてきてやるよ」
「わあ、ありがとうございます!」
無邪気に笑ったリリアンを見ながらルナはクッキーをぱくりと食べ、フフンと鼻を鳴らして見せた。
「それで、子リスは愛しのエリオット少年と一つ屋根の下で暮らして、何か進展はあったのか」
「ぴゃっ!?」
「る、ルナ!?」
椅子の上に飛び上がったリリアン、たじろいで慌てるアンジェを見て、ルナは至極楽しそうにクックッと笑う。その目線の先でリリアンがみるみる真っ赤になって行き、声が言葉にならないままアンジェとルナを何度も見比べる。
「ななな、な、な、なな……な、なな」
「ルナ、いささか無神経がすぎるんじゃなくて!?」
「そんなに変か? 子リスがあのサッカー少年に惚れてるのはアンジェもとっくの昔に知ってるだろう」
「そうですけれど! 貴女という人は!」
「そうですよお……」
いたたまれなくなったアンジェが語気を荒げたがルナはニヤニヤしてばかりで、その横のリリアンは赤い顔のままうつむき、膝の上で手を握り締める。
「アンジェ様が……聞いてるのに」
「……え?」
ちいさな呟きにアンジェは思わず聞き返す。ルナもにやついていた目を見開いたが、リリアンは誤魔化すようにぶんぶんと首を振った。
「……リオとは、何にもないです。話したり、食事が一緒だったりはしましたけど……それだけです」
「そそ、そうでしたのね」
アンジェは努めて冷静に相槌を打とうとしたが声が裏返ってしまった。先日の入寮の日、リリアンとエリオットの距離感はとても自然体だった。単なる仲の良い幼馴染なのか、それともリリアン念願の恋人同士になったのか。リリアンの口から聞いてみたいのは他ならぬアンジェ本人だ、ルナはそれを見透かして尋ねたに違いない。
「アンダーソンのご両親も、滞在中はとても良くしてくださいましたけど……」
リリアンは沈んだ声で続ける。
「誰も、婚約のことについて仰る人はいませんでした。だから……そういう事なんだと思います」
「リリアンさん……」
「結局みんな……セレネス・シャイアンだから殿下の婚約者になれって言われたり……セレネス・シャイアンとして殿下と婚約するから自分は何もできないとか、あの男みたいに、自分が出世する道具にしたり……するんです」
リリアンはもういつかのように泣いてはおらず、淡々とした口調だった。アンジェにはそれは酷く痛々しく、怪我をした小鳥が籠の中に閉じ込められているように思えた。籠の入口が開け放たれていても、翼が痛むからそこから出ることができない。自分はセレネス・シャイアンだからと、痛む心を隠して、小さくうずくまっているリリアン。
「……リリアンさん」
「はい」
「わたくし、貴女をお慕いしていると申し上げたでしょう」
「は、はい」
うつむいたままのリリアンの頬がさっと赤く染まった。
「わたくしはね、貴女がセレネス・シャイアンなんてやめてしまえばいいと思っているわ。わたくしが代わって差し上げられたらどんなにいいことかと、毎日のように考えています」
「…………」
リリアンが顔を上げる。ルナが目を見開いて二人の顔を見比べる。
「わたくしのこと、どのように想ってくださっているかは、ひとまず置いておいて……わたくしのことは一つの選択肢だと考えてちょうだい。わたくしと一緒にいれば、セレネス・シャイアンだからと貴女に何かを強要するようなことは絶対にいたしませんことよ」
「アンジェ様……」
アンジェは胸に手を当てて身を乗り出す。心臓が壊れかけているようだけれど、しっかりと伝えなくては。
「アンダーソンさんをお慕いしているなら、わたくしを選んでいただいた後でそちらに行かれてもいいの。貴女がそこで幸せに笑っていられれば、わたくしはそれが本望なんですのよ」
「……はい、アンジェ様」
リリアンは微笑むでもなく、泣くでもなく、どこか凛とした表情でアンジェをじっと見つめながら頷いた。紫の瞳の中に、必死な表情のアンジェが映って揺らめいている。ああ、わたくしがいる。貴女の中に、少しばかりは、わたくしが住んでいるのね……。
「……どうか、それを忘れないでくださいませね」
「はい、アンジェ様」
頷き合った二人を見てルナが口を覆って肩を震わせていたが、声を出さないだけ随分頑張っているな、とアンジェは他人事のように思った。
それから話題はあちこちに跳んだ。フェリクスの誕生祝賀会について。お菓子クラブで作りたいお菓子。三月の文化祭に向けた準備。セレネス・パラディオンについて。リリアンは話しているうちにだんだんと元気を取り戻したようで、ニコニコと笑ったり、からかうルナに怒って見せたりした。ルナは約束通り古き魔物の愛し子については触れずにいて、アンジェは内心安堵していた。
あっという間に面会の時間が終わりとなり、後片付けもそこそこにアンジェとルナはリリアンの部屋を退出することになった。二人がコートを着込んで部屋の入口に立つと、リリアンはさみしそうに微笑む。
「今日はお二人が来てくださってとっても楽しかったです。またいつでもいらしてくださいね」
「ああ、そうだな。気楽にアンジェがお邪魔するだろうよ」
「もう、何なんですの、その仰りよう」
「事実……いや、予言だな」
「もう、ルナ!」
気色ばんで見せるアンジェ、ニヤニヤ笑っているばかりのルナを見て、リリアンはクスクスと嬉しそうに笑い声を上げた。
「お二人、本当に仲良しですね」
「ええ、そうよ、互いに毒さずにはいられないくらいには仲がよろしくてよ」
「おっ言うじゃないか、赤ちゃん・アンジェ」
「ええ、言わせていただくわ」
「構ってやりたいところだがもう行くぞ。だらだらしてると赤ちゃん・アンジェが泊まると言い出しかねん」
「ええ、行きましょう」
「つまらんな、もっと絡んで来いよ」
「もういい加減慣れましたわ」
笑いながらルナが扉を開けて先に外に出た。アンジェもそれに続いて扉から出ようとしたのを、不意に、何かがついと左手を引いた。
振り返った先で、リリアンがアンジェの袖を掴んでいる。
目線が合うと紫の瞳が潤み、頬が赤く染まる。笑うでもなく泣くでもなく、凛としたまなざしでアンジェを見つめ──
「また……いらして下さい、アンジェ様。今度はお一人でも」
頬が赤いまま、にこりと少女は微笑んだ。
「おやすみなさい、アンジェ様」
リリアンの小さな手がアンジェの背中を押し、部屋の外に押し出した。そのままアンジェを追いかけるようにぱたんと扉が閉ざされる。
「…………っ……」
アンジェは呆然と扉の前で立ち尽くす。よろめいて二、三歩あとずさり、体を支える力を失ってその場にへなへなと座り込む。
「……大丈夫か?」
「……駄目……」
ニヤニヤしながら声をかけたルナにかろうじてアンジェは応える。全身の血が逆流する感覚に、ふと予感がしてポケットから紺色のハンカチを取り出す。
「おいおい、マジで大丈夫か、アンジェ」
「……駄目よ……だって……」
可愛すぎるのだもの。
その言葉の代わりにぼたぼたと垂れた鮮烈が、ハンカチから溢れてコートを汚したのだった。




