24-1 新学期
入試の前後になると必ず雪が降るのは、どうかしていると思う。
用心して家を早く出たが、交通機関はどこも遅延していなくてかなり早く最寄り駅についてしまった。志望校の開門時間までまだ一時間以上もある。空は曇天から湿った雪がばさばさと降りしきり、アスファルトに触れて溶けてあたりはべしゃべしゃだ。この中で一時間突っ立っているなど冗談じゃなかった。どこか座れるところを探そう。カフェとかがあるといいな。そう思って祥子が改札の周囲を見回すと、見慣れたミルクティー色の髪が目に入った。
「……凛子ちゃん!?」
鼻の頭を赤くして、所在なげに駅前のロータリーを眺めていた顔が、ぱっとこちらを振り向く。祥子と目が合うと目を細め、こちらに歩いてくる。
「おはよ! よく寝れた?」
「寝れた……けど、わざわざ来てくれたの!?」
「うん。応援したくて」
ひひひ、と笑う独特の笑い方。それはいつまでも、祥子の記憶に残っていた。
「祥子ちゃんのことだから、朝うんと早起きして、駅前で時間潰すんじゃないかなーって思ってさ。大当たりだね」
「もう……来るなら来るって言ってくれればいいのに」
「びっくりさせたかったんだもーん」
「ええそりゃびっくりだよ、入試当日に友達来てるとか思わないよ」
「私は気楽だからねー、せめて応援したいなって」
会話のひとつひとつが白く曇って風に流されていく。笑っていたはずの凛子が、ふと不安そうな表情になり、上目遣いに祥子を見る。
「……ごめん、集中の邪魔だったかな」
「ううん」
祥子は笑いながら首を振る。
「びっくりしただけ。開門時間まで、カフェで一問一答の問題出してよ」
「……うん! やるやる!」
目を輝かせた凛子と祥子は手をつないで歩き出し、手近なコーヒーショップへと入っていった。
重ねた指先は二人とも冷たいのに、そこだけじんじんと痺れるようだったのを、今でもつい先ほどのように思い出せるのに……。
* * * * *
フェアウェルローズ・アカデミーの新学期の初日、首都にはうっすらと雪が降った。さらさらの粉雪が降り積もった街はどこまでも白く、馬車の中から見る町並みはケーキの上の砂糖菓子のようだ。制服の上に厚いコートを着込んだアンジェは今朝方見た祥子の記憶の夢も雪が降っていた。進学のための試験を受ける日に雪が降り、試験の時間まで凛子と一緒に時間を潰す。なんてことはない記憶の一コマだったが、祥子と凛子はよくこの時のことを思い出しては笑い合っていた。
(リリコちゃん……)
安藤祥子──ショコラに乙女ゲーム「セレネ・フェアウェル」を教えた張本人。学生のころからショコラの親友で、進学先が分かれ、就職で住む地域が離れても、ずっと連絡を絶やさなかった親友。学生時代の友人が程度の差はあれゆるやかに疎遠になっていく中で、凛子──リリコとの時間は貴重なひと時だった。
思い出は時系列を超えて次々と脳裏を連なり流れて行く。アンジェが物思いに耽っているうちに、馬車はアカデミーに到着した。
(昨年までは、フェリクス様のエスコートで校舎に向かっていたのだわ……)
(フェリクス様はきっと、今日もそうなさるおつもりでいることでしょう……)
新年祝賀会でイザベラの扇子をへし折ったフェリクスと、さみしいと呟いたフェリクスが同時に思い出され、アンジェは人知れず首を振った。
(思わせぶりなことをするのはいけないわ……)
(しっかりと断りましょう……)
アンジェが考える間もたかか馬車を馬車寄せに停め、御者が馬車の扉を開けると、まだアンジェが姿を現してもいないのに周囲の生徒達が騒然とする。
「──アンジェ。おはよう」
馬車の扉の先で、次期国王フェリクスが、傘も差さずに頭に雪を積もらせながら、泰然とアンジェに微笑みかけた。
「フェリクス様!?」
アンジェは馬車から転げ落ちるように飛び出すと、手を差し出したフェリクスに縋る。
「どうしてこんな……何故傘を差しませんの!? ごめんあそばせ!」
アンジェはフェリクスの服の雪を払い、つま先で立って手を伸ばし、王子の金髪に乗った雪も払い落とした。金髪は溶けた雪で濡れて束になっていて、アンジェはハンカチでごしごしとそれも拭く。
「ああもう……風邪を引かれたらどうなさるんですの、早く校舎に入りましょう」
「そうだね、アンジェ。でも」
フェリクスはにこりと微笑むと、ハンカチを持ったままのアンジェの手を取り、恭しく手袋をした手の甲に口付ける。
「まさか、この僕のエスコートを断ったりはしないだろうね?」
緑の瞳が、微笑みの形の奥で剣呑に光る。
「──そ、んな」
「断るはずがないね、アンジェ。僕の愛しいアンジェリーク」
フェリクスはアンジェの手を自分の腕に沿わせると、アンジェの御者から傘とアンジェの通学鞄を受け取った。傘を差して歩き出すと同時にざわめきが大きくなる。セルヴェール様、殿下のエスコートをお受けになったわ。殿下はセレネス・シャイアンと婚約したんじゃなかったっけ? まだ正式じゃないって聞いたよ。婚約破棄したわけじゃないんだ? セルヴェール様、スウィート嬢を好きって告白してたよな。なんか逮捕で有耶無耶になっていたけど。
(……わたくしが断るかもしれないことを、察していらしたのだわ……)
今からでもこの手を引き抜いたほうがいいだろうか? アンジェが結論を出せずにいるうちに、フェリクスはどんどん歩いて行ってしまい、アンジェは仕方なくついて行く。しかし足取りは校舎正面へは向かわず、アカデミーの東の方へと進んでいた。
「待って……お待ちになって、フェリクス様、どちらへ行かれますの?」
「おや、君はこちらに来たがっていると思ったのだが」
フェリクスは笑いながら視線を行先──ノーブルローズ寮へと向けた。寮の正面玄関からひっきりなしに出てくる生徒達の中に、暖かそうな毛糸の帽子を被ったストロベリーブロンドを見つけると、フェリクスは空いている方の手を振って見せた。
「リリアンくん、おはよう」
「ぴゃっででで殿下! おはようございます!」
リリアンはいつものようにその場に飛び上がると、ぱたぱたと二人の許に駆けてきた。
「おはようございます、殿下、アンジェ様!」
「おはよう」
「おはよう、リリアンさん、ご機嫌よう」
寒さに鼻の頭が赤くなっているリリアンは、ますます子リスのように見える。アンジェは思わずフェリクスの腕にぎゅっと縋ってしまい、それを見たリリアンがとても嬉しそうに笑った。
「お二人とも……お変わりなくて良かったです」
「当然だ、僕たちは婚約しているのだからね」
「はい、私、お二人がお二人だから大好きなんです」
「ありがとう、リリアンくん」
上機嫌なフェリクスと笑いあったリリアンは、アンジェをちらりと見上げると、フェリクスのエスコートとは反対の腕に自分の腕を絡ませる。リリアンはギョッとしたアンジェを見上げ、えへへ、と首をかしげて見せた。
「さあ、行きましょう!」
(どうして……こうなるの……!?)
両腕をそれぞれにとられながら、アンジェは新学期の一歩を歩き出したのだった。




