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23-1 モチゴメを蒸し器に入れて大鍋にかけるんだぞ


 フェアウェル王国新年会におけるスウィート男爵の逮捕およびリリアンの生い立ち、そしてアンジェリーク・ルネ・ドゥ・セルヴェールの告白は、鮮烈に国内を駆け巡った。スウィート男爵が私利私欲のために聖女セレネス・シャイアンを手駒として扱い、時にリリアン本人に危険が及ぶような悪辣な所業の数々は厳しく糾弾されると共に、リリアンへの同情が多く集まった。


 アンジェの告白に対しては、友情の延長と捉えた賛成派、王子の婚約者という立場でありながら他人に恋をするとは何事かと憤る反対派が半々だが、どちらも婚約継続・破棄についての王家側の判断は早急すぎ、追い詰められたアンジェは同情に値するという点では一致していた。フェリクスとセレネス・シャイアンを婚約させたい王家側は三者の心情を無視しているとやや批判され、アンジェとリリアンに挟まりたがるフェリクスは更に賛否両論となった。ちなみにセレネス・パラディオンについて国民に公表する形となったイザベラの人気が爆上がりし、国王が落ち込んでいたらしい。


 リリアンの処遇については、アンダーソン家の他にも多くの名家が身元引受人に名乗りを上げた。当然セルヴェール家も手を上げ、王家ではなくフェリクス個人も希望したが、リリアンはアンダーソン家の申し出を受け、他は丁寧に断った。アンジェもフェリクスも大層残念がったが、リリアンが「まだ何も決められていないのに、お二人のどちらかにお世話になるわけにはいきません」ときっぱり言ったので、二人してがっくりとうなだれる羽目になった。アンダーソンを選んだ理由は「子供の頃の私を知っていてくださるアンダーソン様だから、あの男とは違うと思えます」と語り、立候補者一同は涙を禁じ得なかったが、エリオットのアンジェに向けたドヤ顔が感動を台無しにして夫人にこっぴどく叱られ、リリアンにぽこぽこ殴られていた。


 リリアンのフェアウェルローズ・アカデミー入学時の年齢詐称は、蓋を開けてみれば単純な話で、養子縁組の届出の時点でリリアンの生年が書き換えられていた。シルバーヴェイルに残っていた国民台帳の記載は正しかったため、養子縁組を受け付けた届出窓口の役人に矛先が向いたが、担当は交替しており、当時の担当者は養子縁組受理直後に突然辞職したそうで、その後国外に出たのか、行方を追うことは出来なかった。


 フェアウェルローズ側はリリアンの在籍継続に消極的だったが、兎角世論はリリアンに同情的だった。フェリクスとイザベラの嘆願書、アンジェが旗振り役となった学内署名運動、スウィート男爵の取り調べより詐称はリリアンの意思ではなかったことの表明などが後押しとなり、新学期開始前に異例の検討会が催された。アカデミー側に校長、教頭、理事長などが並ぶのに対し、リリアン側で最も威圧感を放ったのは、王族二人でも検察代理で列席したアンジェの兄アレクでもなく、アンジェの家庭教師マリアンヌ・サリヴァンその人だった。


「アカデミーの秩序と伝統を守る、その心意気や大いに結構です。素晴らしい教育姿勢ですね、アントンさん」


 あくまでにこやかに微笑みながら、背筋を伸ばして立ち上がったサリヴァンは、かつての教え子にかつての呼び名のまま話しかける。恰幅もよく立派な顎ひげも蓄えた校長は、だらだらと冷や汗をかきながらその場に小さく縮こまるしかできない。


「学び舎とは向学心ある者すべてに開かれていてこその学び舎でしょう。たとえ間違いであったとしても、一度受け入れ、勤勉に学ぶ姿勢を見せているいたいけな──もはや身寄りのない、たった十三歳の少女を! 杓子定規に学園から追い出してまで保たなければならない秩序とは、どれほどの価値があるものなのでしょう、マックスさん」


 今度は教頭がびくりと肩を震わせてうつむく。


「実際、リリアンさんは素晴らしい生徒です。読み書きを初めて一年もしないのに、ほぼ独学で入学試験を突破しているのです、しかも飛び級で! 先日の試験で私が指導した際も、口頭での問答は目を見張るような正答率でした。知性とは富めるものに与えられた特権だったのでしょうか? どう思いますか、ご自分の意見を述べてご覧なさい、エヴァンズさん?」


 名指しされた理事長はぎゅっと縮み上がり、今にも泣き出しそうな顔で辺りを見回したが、サリヴァン以外誰も彼と視線を合わせようとしなかったので、ずいぶんと口をもごもごとさせてから、観念したように言葉を絞り出した。


「知性とは……求める者に、等しく与えられるべきものです」

「その通りです。よく覚えていましたね」


 にっこりと微笑むサリヴァン、ダラダラと汗をかく校長、教頭、理事長。最初に音を上げたのは理事長で、次いで教頭、そして校長も長い間唸っていたが、観念してリリアン受け入れの意志を示した。サリヴァンは三人が書類に署名するまでじっと見つめ続け、掲示された書類が正式な効力を持つもので、誤字脱字も見当たらないことを確認すると、ようやく満足げに微笑みながら椅子に腰掛け、号泣するリリアンに抱きつかれたのだった。


 アンジェは両親からは、婚約の進退について自分一人で決めるなと叱られた。フェリクスとアンジェの婚約は、フェアウェル王国と、アンジェの祖母の祖国である隣国ベルモンドール王国の同盟強化の意味もあり、セルヴェール家としては新年祝賀会の王宮側の姿勢に遺憾の意を示してもいた。リリアンのことを想うのは構わないが、それはそれ、婚約は婚約として継続の意思を示しておくべしというのが両親の希望だったが、アンジェはなかなか首を縦に振らず、母レオナはずっと怒りっぱなしだった。


 身辺が騒がしいものの、リリアンはアンダーソン家を身元引受人とし、フェアウェルローズ・アカデミーのノーブルローズ寮に入寮することで在籍継続することが決定した。スウィート姓と爵位について、リリアンは何の未練もないと言い切ったが、養子状態でいたほうが裁判の判決が出た後の財産の処分などで有利になるから、当面は現状で我慢したほうが良いとアンジェが──アンジェというよりはアンジェの父アルベールが説得し、リリアンもしぶしぶながら受け入れた。


 新年祝賀会から入寮の前日までは、リリアンはアンダーソン邸に身を寄せ、入寮の前日にスウィート邸に戻り荷物をまとめる手筈だった。入寮当日、アンジェとアンジェにくっついてきたフェリクスがリリアンを迎えに行くと、小さなトランクを一つだけ持ったリリアンが、晴れがましい笑顔で待っていた。使用人たちはどこか遣る瀬無い顔で主人の義理の娘を見送った。リリアンは全員の顔を見渡し、ぺこりと頭を下げ、それから馬車に乗り込んだ。アンジェの隣に座っていたフェリクスは当然のようにリリアンはアンジェと自分の間に座るように言ったが、リリアンは唐辛子を食べさせられたリスのような顔をして断ると、フェリクスとは反対側のアンジェの隣に座り、アンジェが二人に挟まれる格好となった。


「あの人たちも、私と同じような立場なんです」


 アンジェが使用人に頭を下げたことを褒めると、リリアンはぽつりとつぶやいた。


「お金が返せなくなったとか、事業に失敗したとか……何か弱みを握られてるみたいで。私はたまたま、あの男の娘にしておいた方が都合が良かっただけで……でも、あの人たちと何も変わらないんです」


 景色が流れる窓の外を見ているリリアンの口調は淡々としている。


「だから、すごく……私のこと、嫌いで、腹が立ったと思います。今だって、私はあのお屋敷の外に出られたけど……あの人たちはまだあそこにいて……どっちが偉いとか誰が悪いとか、そういうのじゃないんです」

「……リリアンさん……」


 アンジェはかける言葉が見つからず、ただ名前を呼ぶしかできなかった。泣いたり怒ったりするほうがどれほど分かりやすく気持ちに寄り添えるだろう? 何でもないことのように話していても、悲しみの深さはどれほどのものなのだろう? あどけない柔らかな頬に、いつ涙が転がり落ちるだろうか。手を握ってやりたい。その悲しみは一人で抱えなくてよいのだと教えてやりたい……。


「……リリアンくん。一つ、尋ねてもいいかな」

「はい、なんでしょう、殿下」


 アンジェの肩越しに、フェリクスが遠慮がちにリリアンに声をかけた。リリアンはいつもと変わらない様子で振り向いて応じる。いつも明朗で歯切れのいい物言いをするフェリクスだが、アンジェとリリアンの顔を見比べると、顔をしかめて何度か口を開くのを躊躇った。


「……もし、答えたくなければ答えなくていい」


 苦しそうな、あるいは嫌そうな顔で、フェリクスは言葉を絞り出す。


「僕は男だ。男の思考なんて単純なもので……他の男が考えることも大体分かる。程度の違いはあるが──君のような愛くるしい、妖精のような少女の身柄を手に入れたとして、その男が考えることは大体同じだと思う」

「…………」


 リリアンは何も言わない。アンジェは首を傾げながら二人の顔を見比べる。そんな少女二人の様子を見たフェリクスは、何か汚い、踏み潰された毒虫を見てしまったかのように、あからさまに嫌悪感を顔に浮かべた。


「ここには僕とアンジェと君しかいない。僕にも言えないようなら、後でアンジェにだけ言うのでも構わない……リリアンくん。君は、その、……無事だったのか?」

「フェリクス様……?」


 何のお話を、と言いかけて、アンジェは唐突に気が付いた。フェリクスが何を案じているのか。どうしてリリアンがこの場で答えなくても良いことを何度も強調しているのか。……男の単純な思考が女に向けられた時、それはどこに何を放つための熱なのか。その熱を孕んだ手に触れられた時、それが当人にとって望んだ者の手ではなかった時、どれほどおぞましく恐ろしい感触がするものなのか。ましてやそれが、あの下世話な目線を持つ醜悪な男の手だったとしたら。


「……っ……」

「僕の……言っている意味が分からないなら、それでいい……それはそれで、良いことだと思う」


 アンジェの顔色が変わったのを見たフェリクスが、美麗な顔をさらに苦々しく歪めて拳を握り締める。リリアンは無表情に二人の顔を見比べていたが、小さくため息をつき、微笑んで見せた。


「殿下……仰っていること、分かります。たぶん殿下はアンジェ様としかなさらないことですよね」

「……うん、そうだね」

「殿下。アンジェ様。私、大丈夫です。あの男は私にそういう事は何も出来てないです」

「……そうか……!」


 顔が明るくなったフェリクスを見て、リリアンはどこか悲しげに笑う。


「そういうのは全部、動物たちが、助けてくれました」

「動物?」

「私……セレネス・シャイアンは、動物の言葉がわかるんです」

「そんなことがあるのか……」


 驚いて目を見開いたフェリクスに、リリアンは頷いて見せた。


「そういう……危ない日は、ネズミたちが逃げろって教えてくれて……馬小屋に隠れます。明かりがない馬小屋で馬と馬の間にいれば、向こうからは見えないし、近づいたら蹴っ飛ばしてやるから、って言ってくれて……次の日の朝、叩かれたりは、しました。数えるほどしかなかったですし、そのうち、諦めたんですかね、何もなくなりましたし……」


 笑っているはずの紫の瞳から、ぽろりと一雫が転がり落ちる。


「だから……大丈夫だったんです」


 ぽろり。ぽろり。こぼれる雫をリリアンは手のひらで拭う。アンジェは咄嗟にリリアンを胸に引き寄せて抱き締める。リリアンが無意識に左頬を押さえたのはいつのことだったか。当時は義理とも知らなかった父が彼女に手を上げたのかと聞いても、曖昧に誤魔化していたのは何故だったのか……。アンジェの瞳からも涙がこぼれる。リリアンはまだ泣いているかどうかはアンジェからは見えず、腕の中で微かに震えているだけだったが、不意に腕の中のリリアンごと抱きすくめられた。


「……フェリクス様?」

「ああ……いや、気にせず続けてくれ」


 目も顔も真っ赤にしたフェリクスが何でもないことのように言ってのけたが、顔を上げたリリアンが呆然とする。アンジェも同じく愕然として暫定婚約者の腕を持ち上げて外したが、やがてリリアンがくすくすと笑った。


「殿下、お気遣いありがとうございます。私、大丈夫です」

「あ、ああ」

「私もついでに、お二人だけの時に聞いてみたいことがあったんです。……湿っぽいのも嫌ですし、ことのついでに聞いても良いでしょうか」

「あ、ああ、何でも聞いてくれ」

「ありがとうございます」


 頷いたリリアンの目つきが変わり──つい先ほどまで自分を受け止めていたアンジェの慈愛の権化をじっ……と睨みつけ、決然としたまなざしでフェリクスを見据えた。


「……アンジェ様のは、殿下が大きくなさったって、本当ですか」

「……何だって?」

「り、リリアンさん、何を仰るの」

「お願いします、教えてください、未来に希望が欲しいんです」

「待ってくれ、話が全然見えない、アンジェの何がなんだって?」

「アンジェ様のこの素晴らしい芸術品は殿下が丹精込めてお育てになったのかと聞いているんですううううううう」

「きゃあ、ちょっと、リリアンさん!? きゃーっ!?」

「教えてくださいいいいいいいい」

「り、リリアンくん……アンジェ……!」


 にわかに賑やかになった馬車は、三人を乗せてフェアウェルローズ・アカデミーを目指して進んでいくのだった。

 


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