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8-0 【幕間】練習の成果

 王太子フェリクスの婚約者、セルヴェール公爵令嬢アンジェリーク・ルネ・ドゥ・セルヴェールがフェアウェルローズ・アカデミーにで主催するサロンにて。


「リリアンさん、こちらにいらして下さる?」


 今日の趣旨はアンジェと仲の良いクラスメイトで、各々のスカラバディを招いて紹介することだ。それぞれの紹介を終えて空気が和んだところで、アンジェはリリアンを呼び寄せた。


「はい、何でしょう、アンジェ様」


 こちらとは言っても、隣の席のそこからここまでほんの僅かだ。まだ先ほどの緊張が抜け切っていないのか、リリアンはどこか面差しを正して席を立ち、アンジェのすぐ近くにやって来た。座ったままのアンジェはリリアンを見上げる。小柄な彼女と上背のあるアンジェでは、いつもアンジェがリリアンを見下ろすことが多いが、今はアンジェの方が目線が低い。ふわふわ柔らかそうな頬に被さるような下睫毛、扇のような上睫毛、淡い紫色の瞳がきらめきながら自分を見つめている──


「アンジェ様?」

「あら、ごめんなさい、わたくしったら」


 アンジェは我に返って微笑む。


「貴女の瞳はなんて美しい紫色なんでしょう。つい見入ってしまいますわ」

「そんな……」


 リリアンはさっと頬を染め、だがすぐににこりと微笑み返す。


「ありがとうございます、アンジェ様。私はアンジェ様の青い瞳も好きです。海みたいで……本物の海、見たことないですけど、こんな色かなって思います」

「そうかしら、ありがとう存じます。わたくしも海はまだ見たことがありませんの」

「わあ、同じですね!」


 嬉しそうに目を細めたリリアンの笑顔を見て、アンジェは胸の奥が疼いた。笑ってくれた。可愛い声。わたくしのことを話してくれた。共通の項目があった、褒めたら頬を染めてくれた……その疼きの名前が何なのか分からなかったが、アンジェは気を取り直す。声をかけたのは、大事な用事があるからだ。


「そうそう、いただいたハンカチのうさぎさんの刺繡、目の色をわたくしと同じにしてくださいましたわね」

「はい、可愛いかな、って思って……」

「ええ、本当に可愛らしくて、わたくしとても嬉しく思いましたの。それで、お返しと言うにはささやかなのですけれど……」


 アンジェは自席に用意していた箱を手元に引き寄せ、リリアンの手に持たせてやる。


「受け取ってくださる?」

「え……私に、ですか? お返しなんてお気になさらないでください、そんな」

「わたくし、いただいて本当に嬉しかったのですわ。お開けになってみて」


 リリアンは慌てたが、アンジェはニコニコしながら箱をリリアンのほうに押しやる。ルナ、アンジェの学友とそのスカラバディたちが何事かとこちらを伺っている。リリアンはまだ躊躇っていたが、アンジェの微笑みに押し切られ、三十センチ四方ほどの紙箱を開けた。


「……わあ、スミレですか?」

「ええ」


 現れたのは、素朴な佇まいが可憐なスミレの花冠だった。瑞々しい紫の小さな花弁がわずかな振動でもふるふると揺れ、小さな妖精が羽を休めているかのようだ。


「すごい、綺麗です……秋なのに……」


 感動に見開かれたリリアンの瞳は、花冠と同じ淡い紫色だ。アンジェはそれを確かめると、うっとりと目を細める。


「いただいたハンカチはとても素敵な刺繍でしたから、私もなにか自分で作ったものをと思いましたの」

「えっ、アンジェ様が作ってくださったんですか」


 驚いたリリアンに、アンジェは頷いてみせる。


「お見苦しいところもあるかもしれませんけれど。今朝早起きして編みましたのよ」

「えっ、えっ、すごいです、綺麗です」

「気に入っていただけたら嬉しいですわ」


 微笑むアンジェの目の前で、リリアンは目を見開きながら両手で口を覆い、それからおそるおそる箱の中に手を差し入れて花冠を取り出した。秋晴れの午後の陽光が揺れる花弁花弁を透かして、宝石のように煌めかせる。それは本当に少女の瞳のようで、アンジェは眩しいものでも見るかのように目を細めた。


「……もしも、よろしければ」


 アンジェは心臓がキュッと縮まるのを感じて、両手を軽く握りしめる。


「その……」


 ほんの一言、頼み事をするだけなのに。

 どうしてこんなに緊張するのだろう?


「……被って、みて、くださる?」

「えっ」


 驚くリリアン。興味津々のサロンメンバーたち。困ったような顔のアンジェの頬はほんのりと上気している。先程から肩を震わせていたルナが、派手に噴き出してテーブルに突っ伏したのが見える。


「駄目かしら……」

「だだっ、駄目じゃないです! その、せっかく作っていただいたもの、被る時に壊しちゃわないかなって、私あの、ドジだから、あの、アンジェ様」


 慌てたリリアンはせわしなく身振り手振りをして、何かの小動物のようだ。顔もだんだん赤くなっていって、その様子を見たアンジェは番を見つけた小鳥のように嬉しげに微笑む。


「そういたしましたら……こちらにいらして?」


 ぽんぽん、とアンジェは自分の膝を叩く。


「えっ、どういうことですか」

「ここに座って下さる? わたくしがつけて差し上げますわ」

「えっえっお膝に座るんですか!? お、重いですよ!?」

「大丈夫ですわ、さあ」

「たたた立ったままでも出来ますよお」

「大丈夫ですから、ほら、いらして」


 リリアンは真っ赤になったむにゃむにゃと何か言いかけたが、アンジェがあまりにもニコニコしているのを見て押し黙った。助けを求めるかのように周囲を見回すが、ルナの他の面々もニコニコしているばかりでアンジェを嗜める様子はない。やがてリリアンはぐっと拳を握ると、おずおずと、椅子に座ったままのアンジェの隣に立った。


「お、重いですよ?」

「どう見積もっても、わたくしよりは軽いですわ」

「し、失礼します」


 リリアンがおそるおそる、アンジェの膝の上に腰掛けた。柔らかな、そしてアンジェの想像よりも随分と軽い重みが膝の上に乗る。


「あああごめんなさいアンジェ様あああ」

「大丈夫ですわ」


 アンジェはニコニコと笑い、リリアンの手から花冠を受け取った。飾り気なく下ろしているだけでも見事なストロベリーブロンドを手櫛で軽く梳いてやり、その頭頂部にそっと花冠を乗せる。膝の上のリリアンの瞳が、自分の頭上を見ようと視線を上に動かしている。アンジェは制服のポケットから手鏡を取り出してテーブルの上に置くと、リリアンと二人して覗き込む。


「ほら……」


 鏡の小さな枠に押し込まれたかのように、アンジェとリリアンが頬を寄せ、鏡の向こうからこちらを窺っている。


「こんなにも愛くるしいわ」


(……本当に)

(なんて……なんて愛くるしいのでしょう……)


 ピンクとしか思えないストロベリーブロンドが豊かに波打つ様。紫色の花弁が風に揺れ陽光に透かされる煌めき。見ているだけで胸がときめく。嬉しくて幸せで、この子の手を取ってどこまでも飛んでいけそうだ。


「あ、あの、アンジェ様、もう良いでしょうか」

「せっかくですもの、もう少しこうさせていただける? 本当に愛らしくて……」

「ええええええええ」


 リリアンは涙目になって叫んだが、アンジェにはもはや耳に入っていない。


「こんなに……こんなに似合うとは思いませんでしたわ……素晴らしい色合いですこと……ああ、早くフェリクス様にもご覧に入れたいわ、こんなに愛らしいものがこの世にあるなんて……」

「ああああアンジェ様ああああああ」


 うっとりしたアンジェの呟きとリリアンの悲鳴が、サロンの東屋一帯に響き渡ったのだった。




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