7-7 【幕間】花冠の練習台
王太子フェリクス帰城の触れが出ると、侍女は休憩を切り上げて彼の自室へ向かう。机や長椅子やベッドが清潔に整えられているのを確認し、普段着を出して、小菓子と飲み物を用意した頃、フェリクスが護衛官と秘書官を伴って部屋に戻ってくる。
「ただいま、アンナ」
「お帰りなさいませ、殿下……あら」
いつものように恭順の礼をして出迎えた侍女は、顔を上げてフェリクスの顔を見て声が漏れてしまった。どこか得意げに、試験で満点を取った子供のような顔のフェリクスの金髪の上に、ビオラの花冠が乗っていたのだ。
「……素敵な花冠ですこと、殿下」
「だろう」
「セルヴェール様ですか?」
「ああ」
フェリクスは至極上機嫌に笑いながら、制服のジャケットを脱いで侍女に手渡した。
「久々にアンジェから花冠を貰ったよ」
「そうですねえ、お小さい頃はよく作られたものをお持ちになっていらっしゃいましたっけ」
制服のシャツも受け取り、ゆったりとしたリネンシャツを渡しながら、侍女はふと首を傾げる。
「殿下……その冠、アカデミーから被っていらしたのですか?」
「そうだよ」
「……まあ……」
侍女は言葉に詰まり、傍に控えている護衛官と秘書官を見る。護衛官はいかつい仏頂面で、秘書官は苦笑いをしながら、それぞれ肩をすくめてみせた。侍女は目を白黒させつつも、平静そのもので王子の着替えを進める。
「花冠はアカデミーでお作りになったのですか?」
「自宅で作ったのを持ってきてくれたんだ」
「まあ……ご自宅で? どうしてわざわざアカデミーの日にお作りになったんでしょう?」
「スカラバディの子に、花冠をプレゼントしたいそうでね。その練習で作ったものだよ」
「……殿下にお渡ししたものが、他の方への練習用なんですの?」
「ああ、違うよ、アンナ」
侍女の声が僅かに曇ったのを察して、フェリクスは自分でボタンを留めながら笑う。
「練習用でいいから僕にもおくれと、僕が自分で頼んだんだよ。そうでもしなければアンジェが練習用を僕に寄越すはずがないだろう」
「それでしたら、練習用をいただくのではなく、殿下にも作っていただけばよろしかったのでは?」
侍女が素朴な疑問を口にすると、護衛官も秘書官も声には出さずにうんうんと頷いた。三人の様子を見たフェリクスは楽しそうに笑い声を上げ、着替えを終え、飲み物の置かれたテーブルの席に腰掛けた。
「分かってないな、諸君。僕への花冠ならもう何度も貰ったんだ。これは僕ではなく、スカラバディに向けてアンジェが作ったものなんだよ。そこが大切なんだ」
「そうなんですの?」
ものすごく怪訝な表情をした侍女に、フェリクスは力強く頷く。
「そのスカラバディの一年生は、実に綺麗な紫の瞳をしていてね」
侍女は怪訝な顔のまま、ポットのお茶をカップに注ぐ。
「アンジェはどうしてもスミレの花冠を贈りたかったらしい。スミレは春の花だろう、アンジェは諦めていたらしいのだが、庭師が戻り咲きというのを見つけてきたそうでね。その喜びようと言ったら、頬を染めて、いつもより早口で……」
目の前に出されたお茶を飲み、フェリクスは虚空を見上げ、甘やかに微笑む。
「……ルネティオットが、アンジェは彼女に恋をしているなんて嘯いていたが、あながち間違いではないのかもしれないな」
「まあ……よろしいんですの、殿下? セルヴェール様が他の方に恋だなんて」
「何故だ? アンジェは僕の婚約者だ。相手が男ならともかく……一年生の、可愛らしい女の子だよ。仲良くしてくれて結構じゃないか」
「……まあ、そうなんですけれど」
「とにかく、この花冠だよ」
フェリクスはニコニコしながら花冠をそっと外し、テーブルの上に置いた。
「アンジェが彼女を想って練習した花冠だ……アンジェは編みながら何を思ったのだろう? どんな顔をしていたのだろう? 完成した花冠は、アンジェも揃いで被るのだろうか? もしも揃いの花冠で二人並んだら、それはそれは愛くるしく、まさしく建国の女神と王国の守護神が楽園に降り立ったような光景になるのだろうね……」
「そうでしょうとも」
侍女は適当に相槌しつつ護衛官と秘書官に目くばせする。二人は互いに顔を見合わせて少しだけため息をつくと、略礼をして退室した。彼らに労いの目線を送りつつ、フェリクスは上機嫌に続けた。
「ご苦労だった二人とも、ゆっくり休むといい……それで、その花冠はアンジェのサロンの日に渡すそうなんだ。その日は絶対にサロンに来てほしい、彼女の可愛らしさを共有したいと、珍しく必死に頼まれてね。あんなに可愛い顔でねだられて、僕が断れるわけがないだろう! 登校時じゃなかったらそのまま口づけしているところだった……」
「左様でございますか」
侍女は頷きながら、小菓子を取り皿に適当に取り分ける。
「殿下はあれですわね、子猫がいたとして、一匹より二匹、二匹より三匹のほうがお好きな性分なんですわね?」
「そうかもしれないな」
出された小菓子をつまみながら、フェリクスは頷く。
「もちろんアンジェを誰よりも愛しているよ。けれど、その愛してやまないアンジェの隣にもう一人可愛らしい女の子がいるというのは、こんなにも夢と勇気を与えてくれるものなんだな」
「それはそうなのでしょうけれど、セルヴェール様を誰よりも大切になさいませんと、アンナは承知いたしませんことよ?」
「君は昔からアンジェを可愛がっているものな、もちろん僕のアンジェへの愛が曇ることはない。ただ、新しいアンジェの愛で方を見つけてしまったんだ」
得意げに鼻を鳴らした王子を見て、侍女はクスクスと笑った。
「それは、よろしゅうございました」
「アンナ、この花冠は、出来るだけしおれないようにして僕の机に置いておいてくれないか? これを眺めながら作業したいんだ。夜には下げて、押し花か何かにしてくれると嬉しい」
「ええ、お花をいただくといつもそうですものね。ご用意いたします」
「ありがとう、頼む」
フェリクスの少し照れたような顔を見て、侍女は微笑みながら頭を下げ、制服を洗濯室に持って行くべくとりまとめた。子供の頃、王子は婚約者から花をもらうと、花がしおれて駄目になるまで飽くことなく眺めてばかりいた。枯れてしまうととても残念そうに落ち込んでしまうので、見かねた侍女が庭師に押し花の作り方を聞いてきた。フェリクスは大層喜んで、以来ずっと侍女が押し花を作り続け、出来上がった押し花は一冊のノートに順番にまとめられていた。
「お花の本が、また賑やかになりますわね」
「そうだな、きっとあの二人のように素敵な押し花になるだろう」
頷いてみせたフェリクスは、我こそこの世の至福の只中にいると確信しているかのように、甘やかに微笑んでいたのだった。




