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21-3 冬至祭と君の名は

 お揃いのリボンをブローチと共にその場でつけてもらったアンジェとリリアンは、馬車をル・ボン・ドゥ・リューズに預けて近隣の店舗を見て回り、文房具屋でリリアン念願のきらきらインクを手にれることが出来た。アンジェが持っているのは青だが、リリアンは大いに悩んだ後、ピンク色のきらきらインクを選んでいた。交換日記のページも残り僅かになっていたので二人で選び、やはり鍵付きの、今度は水色のノートを選び、名前に箔押しをしてもらった。アクセサリー専門店。靴屋。帽子屋。雑貨屋。おもちゃ屋。立ち並ぶ店々を外から覗いたり気になる店は中も見て回ったりしているうちにあっという間に帰宅時間となり、アンジェはリリアンをスウィート邸まで送り届けてから帰路に就いた。


 勉強や交換日記を終えた後、アンジェは自室の本を片端から調べ、マラキオンについて──あるいはマラという言葉がどこかに載っていないか調べた。自室の本棚だけでは飽き足らず、父の書斎や学校の図書室や王立図書館、果てはクラウスの個人的な蔵書まで見せてもらったが、古い歴史書や神話の本に時折マラキオンの名前が出てくるくらいで、マラという言葉、ましてやそれが思い出すだけで赤面させられるようなアソコであることなど、どこを探してもなかった。まさかと思い、現代日本と文化が似ている海の向こうの島国、ヒノモトの言葉についても苦労して調べたが、一部の固有名詞の読み方が祥子の記憶に引っかかる程度で、マラキオンもマラもどこにも書かれていなかった。


(わたくしが過剰に反応しすぎなのかしら……)


【黒く熱く、身を焦がすような炎──美味であるぞルネ、我が愛し子よ】


 休み時間、自席で図書館から借りてきた書物を流し読みしながら、アンジェは魔物の声と獣じみた笑い方を思い出す。片腕で吊り上げられた時の身体の重みと痛み。大きな手が身体を撫でた時の嫌悪感。ピンヒールで踏みつけた時の中途半端な柔らかさ。あの魔物が言う黒い炎は、アンジェがリリアンへの想いが昏く沈んでいく時に感じていた感情の比喩なのだろうか。同じ感触でも、今日こそは君が眠るまでこうしているよとアンジェの手を握っていたフェリクスの手は温かかった。フェリクス様の愛は眩い光のよう、黒い炎など、彼の光の前では影となって消え失せてしまう……。


「お前、最近やたらめったら本ばっかり読んでるな、赤ちゃん(べべ)・アンジェ。何か調べ物でもしてるのか」


 ルナが肩越しにアンジェの手許を覗き込んで来た。歴史書なのでやましい記述などどこにもないが、アンジェは思わず身構えてしまう。


「ええ……先日大神官様に教えて頂いた魔物について調べていますの」

「祝賀会でお前を襲った奴か?」

「そうよ」

赤ちゃん(べべ)は本当に生真面目に何でもお勉強なさるな。……どれ、何て名前なんだ、その魔物は」

「……マラキオンと言いますわ」

「まらっ……」


 言い淀んだルナに、アンジェは思わずルナを見上げる。ルナは口許に手を当てているが、日頃堪えている笑いとは違う、どこかにやけた笑みを浮かべている。


「まら……何だって?」

「……ま、……マラ、キオン、ですわ」


 まだその言葉を発音するのに抵抗はあるが、アンジェは敢えてゆっくりと区切らざるところで区切った。ルナはその瞬間、またしてもプッと噴き出す。


「……まら……何だって? マラキオン? 酷い名前の魔物もいたもんだな」

「……そうお思いになります? ルナ」

「当たり前だ。お前みたいな令嬢がよく平然と言えるもんだな」

「……わたくしもこの名前が妙に気になって……魔物の記述もですけれど、ま、……ら、という言葉がどこかにないか、調べているところですのよ。……けれど」


 アンジェはルナをじっと見上げる。


「ま……ら……という言葉は、わたくしが知る限り、どこの国の言葉にもありませんでしたわ……貴女のおじい様のご出身のヒノモトの国の言葉にも、どこにもなかったのよ、ルナ」


 ルナはにやけた顔が凍りついて、僅かに目を見開く。


「…………」

「…………」


 ルナは凍り付いたままダラダラと汗をかいている。アンジェはルナを凝視しつつ思考をめぐらせ、ぽつりと、呟いた。


「……イイクニツクロウ?」

「…………カマクラバクフ」


 ルナがぽつりと呟き返す。


「イチフジニタカ?」

「サンナスビ」

「カエルピョコピョコ?」

「ミピョコピョコ」

「ナカヌナラ?」

「ナカセテミヨウホトトギス」

「ハチジダヨ?」

「ゼンインシュウゴウ……いや、何だよそのチョイス」


 ぽつりぽつりと問答を繰り返していたルナが、とうとう噴き出した。アンジェは目を見開いて立ち上がり、ルナの両手をがしりと掴む。


「ルナ……貴女……日本人なの……!?」

「お前こそ……日本人というか、前世の記憶があるんだろう?」

「ええ、ええ、そうよ、あの、わたくしは」

「落ち着け、分かった、もう授業が始まる。昼にまた二人で話そうじゃないか」


 ルナの言葉と共に予鈴が鳴り、アンジェは壊れたおもちゃのように何度も何度も頷いた。ルナは自席までぎくしゃくと戻っていき、アンジェは教科書を鞄から出したが、とても授業に集中など出来そうにもなかった。





*  *  *  *  *





「まさか、こんな形でバレるとはな……」


 部室──先日の剣術部の部室ではなく、機材が揃いつつあるお菓子クラブの部室で、ルナは自分のサンドイッチをぱくつきながらニヤリと笑った。アンジェも同じものを食べながらうんうんと頷いて見せる。


「わたくしも、わたくしの他にどなたかいらっしゃるなんて、全く想像もしませんでしたわ」

「マラキオンめ、とんでもない魔物だな」

「全くもって同意ですわ。ルナも日本人としての前世の記憶がおありなのね?」

「まあな。それにしてもさっきの問答は何だったんだ」

「だって……日本人というだけで、どの時代の人か分からないですし……」

「ハチジダヨはないと思うぞ」

「でも貴女、ちゃんとお答えになったじゃない……」

「まあな」


 ルナはクスクス笑い、一つ目のサンドイッチを全部食べてしまった。


「ひとまず、日本人お得意のすり合わせと行こうか。まず先に言うが、私の中身は男だ」

「だ、男性なんですの!?」


 驚くアンジェにルナはニヤニヤしながら頷く。


「おう。流行りのTS転生でサイコー……とはいうが、自我はルネティオットだな。男だった記憶があるだけだ」

「てぃ、てぃーえす?」

「知らないか? 性別が逆になって異世界転生するのをTSって言うんだ」

「そうなんですのね……全く存じ上げないわ……」

「ま、気にするな。おかげで私はちっとも女らしくなく兄上共に混じってチャンバラ三昧、母上はお嘆きでいらっしゃる……まあ、自分が剣聖の孫に生まれたんだったら、男だろうと女だろうとやるよな、剣道は。記憶が戻ったのが五歳だったし、そこからなら身体も十分作り込めた」

「そうなんですのね……」


 二つ目のサンドイッチに手を伸ばしながら、ルナは軽く肩をすくめてみせた。誰よりも上背がありしなやかな身体を持っているルナ。令嬢らしからぬ立ち居振る舞いだと常々思っていたが、彼女の日頃の言葉遣い通り、男性だと思うと妙にしっくりと来るものがある。足を組んで背もたれに寄り掛かってサンドイッチを食べているのは、昼休憩のサラリーマンのように見えなくもない。自分をしげしげと観察しているアンジェを見てルナはクックッと笑うと、テーブルの上にずいと身を乗り出した。


「それでお前は……安藤祥子か?」

「ど、どうして知ってるんですの!?」

「やっぱりな。お前を探してたんだ」

「えっ……えっ?」


 ギョッとしたアンジェに、ルナは嬉しそうにニヤリと笑い返す。


「私のSNSのハンドルネーム、ユトユトユト……って言えば思い出すか?」

「……あっ、もしかして、メロディアさんとカップルコスしてる、ユウトさん!?」

「それそれ」

「まあ、なんてこと!」


 アンジェは驚きのあまりサンドイッチを包み紙の上に落としてしまったが、それを気にする余裕もなく、顔を真っ赤にして慌てふためいた。


「ユウトさんも転生なさっていたなんて……! お二人の『セレネ・フェアウェル』コスの写真、祥子はスマホの待ち受けにしてましたのよ……!」

「はは、ありがとうな。うまいこと同じ世界に転生できて良かったよ」

「本当ですわ……でも、どうしてわたくしが安藤祥子だと分かりましたの?」


 無邪気に訪ねたアンジェを見て、ルナは一呼吸分でゆっくりとため息をつく。アンジェが首を傾げると、目を細めて笑った。


「……お前が最初に死んだんだ、ショコラ」


 安藤祥子のハンドルネームを呟き、ルナはついと視線を窓の外に逸らす。


「工事現場の事故で落下した鉄骨が、頭を直撃して、……即死だった」


 ルナにしては珍しく、淡々とした口調だった。伊達眼鏡が曇り空を映して白く光り、親友の目がどんな表情なのか、アンジェからは見えなくなる。


「……ユウトさん……」


 夢の中で重い何かに押し潰される苦しい感触を、アンジェは思い出す。そうだ、あれは、固くて重くて、突然上から降って来たんだ。訳が分からなくて、そのまま──


「働き始めてからのオタ友のつながりなんて、SNSだけだろう。住んでた場所もばらばらだし。急に投稿がなくなっても最初は気付きもしない」


 ルナは額に手を当てながら、独り言のように呟く。


「一週間くらいして、最近静かだけどどうしたかなと思い始める。その頃にはもう、何日か前の一般人の事故のニュースなんて、とっくに流れて埋もれてるし、本名も知らないんじゃニュースを見てても気づかないよな。投稿はぴったり止まってるし、DMしても既読にならないし、これはおかしい、ブロックでもされたかってリリコに相談したら……リリコはリア友だったんだろ? 事故のことを聞いてな。ちょうど葬式が終わった頃だったらしい。憔悴しきってて、連絡できなくてごめん、って泣きながら何度も謝られたら、連絡しろよって責める気も失くすよ」

「…………」

「リリコが本名を教えてくれたんだ。……死んでから知るってのが、また遣る瀬ないよな」


 別の人生を追憶するルナの中途半端な笑いは、どこか物悲しい。


「それっきりだよ。悲しかったけどな。リリコはそれ以来SNSには浮上して来なくなった」

「…………」

「それで何年かして、私はトラック──いわゆる転生トラックに轢かれて、五歳のルネティオットになった。……思い出した、って言った方が正確か? まあとにかく状況が分かるまで少し時間がかかったな。それで、ここがよくメロディアとコスしてた『セレネ・フェアウェル』だと分かった時、もしかするとショコラも転生してるかもしれないと思ったんだ」

「そうだったんですのね……」


 アンジェは口を開きかけたが、何と言ったらいいか分からず、そのままルナをじっと見る。ルナはため息をつきながら肩をすくめると、サンドイッチを手に取ってがぶがぶと一気に食べてしまった。指に着いたソースをぺろりと舐め取り、更にそれをお手拭きで拭く。それでもアンジェがまだ同じ顔をしていたので、ふふ、と笑い声を出した。


「……そう落ち込むな。今ここでお前も私も元気に生きてるだろ」

「ええ……そう、ね……」

「あとな、ルナになったのは何かと便利なんだぜ。このゲームが乙女ゲーだって知ってる連中は、みんなとりあえず私と仲良くしようとするからな」

「みんなって」


 アンジェはとうとう、ばんとテーブルを叩いてその場に立ち上がった。


「わたくしの他にもいるんですの!?」

「おう、いるぞ」

「だだだ、誰ですの!?」

「まあ待て、後で会わせてやる」


 ニヤリと笑ったルナの顔は、アンジェの知る不敵な親友のものに戻っていた。


 午後の授業は自分でも信じられないほど身に入らず、アンジェはあやうく教師に指名された時に誤った回答をする所だった。幸い幾何学だったので、立ち上がってあのやらそのやら適当に誤魔化しながら必死に暗算で問題を解いて正解し、事なきを得た。放課後、アンジェはフェリクスに少し遅れてお茶に参加することを告げ、ルナに連れられて行ったのは、本棟最上階にある面会用の貴賓室だった。ドアの入り口にはアンジェも見知った護衛官が立っている。


「ルナ……まさか……」


 ルナはニヤリと笑うだけで何も言わず、護衛官が扉をノックして来訪の旨を告げた。中から鈴が鳴るような、上品で軽やかな声が答えるのが聞こえてくる。扉が開き、アンジェ達を出迎えた人物が、応接セットのソファから立ち上がり、二人に向けてしゃなりと歩み寄って来る──


「アンジェちゃん、ルナ、ご機嫌よう。どうなさったの?」


 今日もプラチナブロンドをきっちり結い上げた、イザベラ・シュテルン・フォン・アシュフォードがにこりと微笑みかけてきた。


「ご機嫌よう……」


 アンジェは戦慄いてルナの方を見遣る。ルナはニヤニヤしながら顎をくいと上げて見せる。信じられないが信じるしかない。アンジェはイザベラに向き直り、おそるおそる口を開く。


「……その……メロディア……さん?」

「────ッ!!!!!」


 イザベラは──アンジェの知る典雅の化身のようなイザベラは、驚愕に目を見開いて何か喋ろうとし、その瞬間思い切りむせて咳き込んだ。


「あっ、あのっ、イザベラ様っ!?」


 イザベラが人前で咽せるのを見るのも初めてだというのに、それは今まさにアンジェの発言で引き起こされてしまった。アンジェは慌ててイザベラに駆け寄りその背をさすろうとしたが、イザベラが口許を覆ったまま、反対の手でアンジェを制した。


「……ルナね……?」

「はい……」


 姫君から発せられる地獄の帝王のような声に、アンジェはただ頷くしかできない。


「悪い、バレちまったよ」


 ケラケラと笑っているルナを、イザベラは射殺しかねない獰猛な目線で睨むと、顔に手を当ててげんなりとため息をついた。


「……せめて先に言いなさいよ、心臓に悪いわ……」

「あの、ごめんなさい、わたくし……その……」


「……イザベラでもメロディアでも結構よ。それで貴女は、やはりショコラちゃんでして?」

「はい、ショコラです」

「そう……」


 イザベラは肺の空気を全て絞り出すように身を捩って息を吐き、よろよろと力無くソファに座り込んだ。アンジェとルナもソファに座らせ、手を叩いてメイドを呼び、お茶の用意が整うまでずっと無言だった。お茶を飲んでもう一度吐息、それから深呼吸をすると、ようやっと面差しを正し、アンジェを見てニコリと微笑んだ。


「お見苦しいところをお見せしてしまって恥ずかしいわ。ごめんなさいね、アンジェちゃん」

「いえ……」


 アンジェは改めて王女イザベラを見て、記憶の中のメロディアとユウトを思い出す。二人はコスプレで出会いコスプレに生きるコスプレ夫婦で、イベントの度にクオリティの高いカップルのコスプレを披露することで有名だった。祥子は何かのイベントで攻略対象(フェリクス)主人公(リリアン)のコスプレをしているのを見かけて思わず声をかけ、そこからSNSでの交流が始まった。二人とも華やかな美形で、ユウトはメンズモデル、メロディアはゴスロリ系アパレルショップの店員をしていたはずだ。コスプレもゴスロリ趣味も、メロディアがお姫様への憧れを拗らせた結果なのだ、と二人は良く笑っていた。


「アンジェちゃん……いえ、ショコラちゃん。また貴女とお話しできて嬉しいわ。ご無事で、という言葉はふさわしくないのかもしれないけれど、それでも再会というのは心が躍るものね。本物の姫になったメロディアはいかがかしら?」

「イザベラ様、メロディアさんの頃と同じか、それ以上に気品あるお姿で……素晴らしいですわ」

「ほほほ、本物のゴリッゴリのお姫様に転生できたのですもの、これはもう姫を極めるしかないでしょう?」

「ええ、イザベラ様は素晴らしい淑女でいらっしゃいます」

「ありがとう、アンジェちゃん」


 イザベラは朗らかに微笑んだが、傍らのルナは肩を震わせて笑っており、イザベラにぎろりと睨まれてやれやれと肩をすくめた。こほん、と小さく咳払いをしてから王女は続ける。


「ルナとずっと、入学前後でアンジェちゃんが急に人が変わって、チュートリアル役のルナに声をかけて来たから、きっと前世の記憶を得たに違いないと話していたの。もとのアンジェちゃんはあそこまでフェリクスくんに執着する子じゃなかったもの。……ショコラちゃんはフェリ様推しでしたものね。そう見立てて見れば、予測はつきましたわ」

「……仰る通りです。それならそうと、お声をかけてくだされば……」

「それもね。迷っていたの。転生かもしれないし、単に心境の変化かもしれない。アンジェちゃん、あけすけにフェリクスくんへの想いを爆発させて、誰にも心移りされないようにと頑張っていたでしょう。もし転生ではなかったとして……未来のことを知ってしまったら、アンジェちゃん、きっと、傷つくだろうと思いましたのよ」

「…………」


 婚約破棄される悪役令嬢(アンジェ)のことを思い出し、アンジェは顔をしかめて頷いた。自分で知った時もあれほど衝撃だったのだ。他人の口から言われたら、傷つくどころか、それを告げた人を恨んでいたかもしれない。めまぐるしく進む話に正直脳の回転が追いついていないが、それでもアンジェは気を取り直し、また前を向いた。


「他に、転生された記憶をお持ちの方は、どなたかいらっしゃいますの?」

「もう一人いるはずなんだが、まだ見つけられてない。リリコだよ」


 茶菓子に手を伸ばしながらルナがぽつりと呟いた。


「リリコ……祥子と仲が良かったお友達ですわね」


 ルナが、イザベラが、沈痛な表情で頷いた。


「リリコが死んだのは、お前が死んでから半年ぐらいだったかな」

「ここに来られていたら、少しは報われるのでしょうけど……」

「子リスじゃないかって気はしてるんだけどなあ。普通主人公か悪役令嬢に転生するもんだろう」

「アンジェちゃんはショコラちゃんで確定ですし、やぱりリリアンさんではありませんこと?」

「けれどリリアンさんは、ま、ま……マッ、ラキオンと普通に仰ってましたわ」


 真剣に話し合う二人にアンジェが追随すると、イザベラが再び激しく吹き出した。


「まっ……まっ、なんですって……!?」

「やっぱりそうなりますわよね、メロディアさん」

「イザベラと呼びなさい、その名前で呼ばれると姫モードが崩れるわ……」

「私もクソマラのせいでバレたんだ……」

「ショコラちゃんもとんでもないネタかましてくるわね……」


 イザベラは冷や汗をたらたらかきつつ、なんとか平静を保つ風を取り戻す。


「それで何なんですの、そのイカクッサいブツは」

「姫の仮面取れてるぞ」

「ほほほ、何のことだか分かりませんわ」


 二人のやり取りは、祥子の記憶にあるユウトとメロディアにそっくりだ。アンジェは懐かしいとも既視感ともつかない感覚に少しだけ微笑む。


「……建国の女神(セレニア)様を封印した古い魔物だそうです。先日、わたくし、このま、ま、マ……ラキオンに襲われて……」

「まあ、襲われた!? なんてこと! お怪我は!? 貞操は!? 薄い本な展開でしたの!? お医者様は!?」

「おかげさまで全年齢のままですわ……とにかく、中身がリリコちゃんなら、ま、ま、マ、ラキオンという言葉に反応するはずですわ……けれど、リリアンさんは何の違和感も感じていらっしゃらないご様子でしたの」

「リリコだけどマラの意味を知らないってことはないか?」

「それはないですわ……リリコちゃんの秘蔵本、土方歳三総受けアンソロですのよ……」

「マジか……リリコ……」

「あの子もなかなかの貴腐人ね……」


 イザベラとルナは大層衝撃を受けた様子で、白目を剝かんばかりの勢いで息を呑み、ごくりと生唾を飲み込んだ。アンジェはそれを見てくすくすと笑う。


「まあ、気長に探すしかありませんわね。ま、ま、ま……ら、以外にいい言葉が見つかるかもしれませんし」


 ルナもうんうんと頷く。


「そうだな。確実に転生したかどうかも分からんし、ダークホースで朴念仁殿下にTS転生もあるかも知れないぞ」

「ええっ、フェリクス様に!?」


 アンジェは驚いたが、イザベラは納得顔で頷いて見せた。


「リリコちゃん、ショコラちゃんが大好きだったものね……」

「殿下の溺愛ぶりはリリコのショコラ愛に通じるものがある」

「フェリクスくんは生まれてこのかたアンジェちゃん一筋でしてよ、転生して変わったから溺愛というわけではないのではないかしら」

「それは知ってる。あいつ煽り耐性ないからな」

「それは貴女限定でしょう」


 アンジェは前世の記憶を得てから、ずっとフェリクスを失わないための対策を立てることに心血を注いできた。家にしまってある書きつけは「セレネ・フェアウェル」のシナリオに関するものばかりで、ゲームをプレイしていた祥子に関する情報は皆無だ。アンジェ自身が幼いころの記憶が少しずつ霞んで消えていくように、祥子の記憶も気が付かないうちに薄れて、何か大切なことを忘れている気がする。けれどひとまずは、祥子には学生時代からの付き合いがある友達がいて、SNSでもショコラとリリコとして交流が続いていたことは思い出すことが出来た。彼女はいつもひたむきで、前向きで、夢に向かって頑張っていた気がする。家に帰ったら祥子のことも書きつけてみよう。リリコちゃんを見つける手がかりが何か分かるかもしれない。


「それはそうと、アンジェちゃん。もうすぐ冬至祭でしょう。どのような策を考えていらっしゃるの?」

「策……ですか、イザベラ様?」

「ええ……だって、『セレネ・フェアウェル』では、冬至祭でセレネス・シャイアンが明らかになったでしょう。その流れで新年祝賀会で婚約破棄……幸い、わたくしたちはシナリオを知っているわ。婚約破棄回避のためには、今からの根回しが大切でしてよ」

「…………」


 アンジェは息を呑んだ。それから隣に座るルナを見る。ルナはちらりとアンジェを見て、視線が合うと小さく笑ったが、何も言わずに茶菓子をぽいと口に入れただけだった。


「アンジェちゃんの努力の甲斐あって、フェリクスくんの好感度はアンジェちゃんに振り切れているようには思いますけれど、念には念をね」

「……イザベラ様。わたくし……」


 顔を上げたアンジェの髪の上で、サファイアのブローチを付けた紺とレースのリボンが微かに揺れた。




*  *  *  *  *




 一通りの話が終わり、アンジェはフェリクスが待つカフェテリアの貴賓室に向かうために退出したが、ルナはまだイザベラと話すらしくその場に留まった。二人は前世で夫婦だったのだから、今も互いに親愛を感じてるのかもしれない。思い返せば、イザベラとルナが揃うと、ルナは必ずイザベラのエスコートをしていた。ルナはフェリクスのことはさんざんからかうのに、イザベラは姫御前と呼び、恭順の意を表した態度だった。イザベラがルナを気に入っていて、ルナがそれに応えているのだろう程度に思っていたが、あれはもっと深い絆ゆえの行動だったのかもしれない。二人が並ぶ姿が、記憶の中のユウトとメロディアのいろいろなコスプレツーショットに重なり、アンジェはひとり微笑んだ。


 本棟からカフェテリアに続く渡り廊下に出ると、カフェテリアの入り口手前に、誰か──誰かと言うには少々目立つ、ストロベリーブロンドの少女と、青い髪の少年が何か話しているのが見えた。アンジェは咄嗟に本棟側に身を隠す。


 二人は何か言い合いをして、いつものようにじゃれついている。それを見て胸を痛むのにはもう慣れたが、今日はリリアンがなにか衝撃を受け、呆然とその場に立ち尽くした。エリオットはそれを見て気まずそうな顔をしたが、とりたててフォローもせず、正門の方に歩いて行ってしまった。


(……リリアンさん……)


 祝賀会の日、二人が魔法サッカーの試合を観戦して以来、リリアンはおおっぴらにエリオットに恋人にしてくれと頼むようになっていた。エリオットは満更でもない顔をしつつ、茶化したり誤魔化したりはぐらかしてばかりいる。だが今日は、言葉の重みが少し違うのかもしれない。エリオットの姿が見えなくなったのを確認して、アンジェは何食わぬ顔で本棟を出て、渡り廊下を歩き始めた。リリアンは気が付かない。エリオットが去って行った方向を、微動だにせずにじっと見つめている。


「……リリアンさん」

「……アンジェ様……」


 リリアンがアンジェを見上げた瞬間、ぽろり、ぽろりと涙が落ちた。


「また……振られました……」

「いつもと同じではありませんの?」


 アンジェが背中に手を添えてハンカチを差し出したが、リリアンはそれを受け取らず、涙が頬を濡らすに任せる。


「……はっきり、言われました……無理だって……」


 アンジェとお揃いの紺とレースのリボンに、すみれ色に煌めくブローチ。


「私のこと、好きとか、そういうの以前に……セレネス・シャイアン……候補だから、無理だって……で、殿下と結婚するんだろ、って……」


 二人が話している時のエリオットの顔はアンジェからは見えなかった。リリアンとじゃれついている時は、むしろ嬉しそうな顔ばかり見かける気がするが、リリアンの口から出た台詞は冷たく突き放したように聞こえる。


「……私…………アンジェ様……」


 リリアンは、悲しんでいるというよりは怒っているように見えた。やり場のない、行きどころのない、けれど抑えておくこともできない怒りが、眉を吊り上げ、唇を戦慄かせ、瞳から涙となって溢れ出ている。


「私……どうして……セレネス・シャイアンなんでしょう……」


 唇を噛んで、両手を握り締めて。身体をぶるぶる戦慄かせて。隠すべき秘密を漏らしてしまっていることにも気が付かず、リリアンはそう言いながら顔を覆う。


「なりたくて……なったわけじゃない……」

「……リリアンさん」


 アンジェはリリアンの手を顔からどけさせると、ハンカチで頬を拭ってやった。リリアンはその手を握り、跡がつくのではないかというほど強く握りしめる。


「……アンジェ様……」


 貴女が泣いて悲しんでいる、何かに怒っている。心を寄せて一緒に泣きたいのに。貴女が彼に傷つけられて良かったと安堵してしまうわたくしは、なんと罪深いのだろう。


「アンジェ様……」


 リリアンがアンジェに抱きついてくる。お揃いの髪飾りが視界に入る。ルナたちと話したことが脳裏に繰り返し浮かび上がる。アンジェがリリアンを好きになってしまったことは、「セレネ・フェアウェル」の中では重大な異変だろう。対立し、酷いいじめをするはずの相手を、何よりも守りたいと思ってしまっているのだから。


「……大丈夫。大丈夫よ、リリアンさん……」


(……冬至祭に……いよいよ、セレネス・シャイアンが公にされる……)

(……わたくしは……)


「貴女がセレネス・シャイアンであっても、そうでなくても、貴女は貴女に変わりはない……わたくしの、大切な、スカラバディですわ……」


 リリアンの背を撫でてやると、華奢な肩が一際大きく震える。一呼吸置いた後、リリアンは声を上げて大泣きし始めた。アンジェはリリアンを連れてカフェテリアの建物に入った。このまま人目に晒されるより、いっそ貴賓室に連れて行ってしまおうか。フェリクスならきっと拒まないだろうし、泣いているリリアンを質問攻めにしたりもしないだろう。特別にホットチョコレートを頼んで、その手に握らせてやって。少しでも、心が柔らかいもので包まれるように。


 

(もしも、リリアンさんが)


 セレネス・シャイアンでなかったら。

 わたくしも──悪役令嬢でなかったら。


 アンジェはそのことを、ずっと考えずにはいられなかった。







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