21-2 冬至祭と君の名は
アンジェが顔を赤くして何も言えなくなる間、大神官とリリアンは至極真剣な顔をしてマラキオンは大変だ、マラキオンは恐ろしいと語り合い、面会の時間はそれで終わってしまった。
「アンジェ様大丈夫ですか、お顔がずっと真っ赤です……アンジェ様がマラキオンにあんなに危ない目に遭わされていたなんて、私、許せないです! マラキオンめ!」
「え……ええ……ありがとう……」
首都中央部まで戻る馬車の中でもリリアンはマラキオンマラキオンと連呼しまくっている。彼女は本当に知らないのかと思いつつ、大神官の方はわざとそういう言葉を若い娘に向けて言い放ってニヤニヤする、下卑た男の下卑た悪戯の類ではないかとも思ったが、聖職者のどこまでも澄んだ眼差しがそんな欲望を秘めているとはなかなか思い難かった。フェリクスとの逢瀬からまだ日が浅いから、過剰に反応しすぎているのかもしれない。横でリリアンに連呼されればされるほど、あんなことやそんなことを思い出してしまって落ち着くものも落ち着けない。そもそも乙女ゲーム「セレネ・フェアウェル」に登場する敵役の魔物はこんな名前だっただろうか? いや、違う、こんな名前だったら絶対に話題になって、仲間内でもその話で盛り上がったはずだ……またゲームとこの世界で違うことが一つ増えた。ああ、でもとりあえず話題を変えなくては。
「それよりも……リリアンさん、いただいたペンダントに祈りを込めてくださっていましたのね」
「あっ……えへへ、遂にバレちゃいましたか」
リリアンが我に返って照れくさそうに笑う。話題が逸れそうなことに安堵しつつ、アンジェは微笑んで頷いて見せる。
「おかげで命拾いいたしましたわ。本当にありがとう」
「えへへ、私も、マラキオンなんて恐ろしい魔物を退けられたのは自分でも驚きました。実はハンカチもなんですよ、アンジェ様」
「まあ、そうなんですの? そちらは気が付きませんでしたわ」
アンジェは驚き、今日も持ち歩いているうさぎ刺繍のハンカチを取り出した。可愛いピンク色の、赤いハートを抱き締めているうさぎ。アンジェと同じ青い瞳で、イニシャルも入っていて。リリアンにこれを渡された時、どれほど心が震えたことだろう。
「これをいただいた時のこと、よく覚えていましてよ。カフェテリアでしたわね。とても嬉しくて、天にも昇る心地とはこのことかと思いましたわ」
「えへへ、そんなにですか?」
リリアンは照れくさそうに自分の鼻のあたりを軽く搔いた。
「あんまり上手じゃないので、渡す時はとてもドキドキしてたんです」
「とても上手よ、このぽやっとした表情が実に愛らしいわ」
リリアンはありがとうございます、と笑った後、ふいに視線を窓の外の街並みに向ける。馬車はもう丘を降りて市街地に差し掛かり、だんだんと街並みが賑やかになってきた、と言ったところか。
「……時々いるんです。私に近づくと、体調を崩してしまう人」
窓ガラスに映るリリアンの顔が少し寂しそうに見えるのは、アンジェの気のせいだろうか。
「その人の体質なのか、違う原因なのか、分からないんですけど……そういう人に、私が作ったお守りを渡してあげると元気になるんです。だからアンジェ様が、その……鼻血を出された時にも、身につけられるものにしようと思って、ハンカチにしました」
「……そうでしたの……」
頷くしかできないアンジェに、リリアンは振り向きながら、何か思いを吹っ切ろうとするかのように笑ってみせる。
「でも、ハンカチだと、洗濯したりでずっと身に着けていられるわけじゃないんだなっていうのが分かって。あと、階段から落ちた時、ハンカチだけじゃ守りの力が足りないのかもと思って、ペンダントも追加で作ったんです」
「そのお心遣いが、わたくしを、ま、ま……ま」
「マラキオン?」
「……ラキオン、から、守ってくださったのね」
純粋なリリアンの目線に押し負ける形で、アンジェはもごもごとその名前を口にした。リリアンは何一つ気にかかる様子なく嬉しそうい笑う。
「アンジェ様を守れたなら嬉しいです、作った甲斐がありました! 壊れちゃいましたけど、今は殿下の髪飾りがあるから大丈夫ですよ。これは本当に強いお守りです。触っただけですごいものだって分かりました」
「そうですのね……でも、わたくしはあのペンダントが大切ですわ。だから今日はお買い物で、ロケット部分の替えを買おうと思っていましたの」
「えへへ、嬉しいです」
街並みはもう間もなく繁華街の中心地に差し掛かろうかというところだ。上品な身なりの紳士や夫人が多く行き交い、王家御用達の店やオーダーメイド専門店などの立派な店構えがずらりと並ぶ、首都でも正真正銘の一等地だ。
「あと、私はきらきらインクが欲しいです!」
「そうですわね、後は、ブローチを直接髪につけていると、少し髪に引っかかりませんこと? リボンか何かを結んで、そこにブローチを付けるようにしたら、安定するし見栄えも良いと思いましたの、いかがかしら」
「お揃いのリボンですか!? 素敵! ぜひお揃いにしましょう!」
「よかったわ、では……」
アンジェはにこりと微笑むと、窓の外の様子を窺った。馬車はちょうど隣国風の絢爛な店構えの仕立て屋の前に止まったところで、正面入口から支配人と思しき男が飛び出してきて目を輝かせている。
「行きましょう、リリアンさん」
リリアン・スウィートは窓の外に視線を遣り、店の正面に金文字で描かれた文字を読む。
「あ、あ、アンジェ様、ここ……! ル・ボン・ドゥ・リューズじゃないですか……!」
ギョッとしてのけぞるリリアン。
「ええ、そうよ、リボンを選びましょう」
「ええっ!? リボンここで買うんですか!?」
しれっと答えたアンジェに、リリアンは更にのけぞって窓の外とアンジェを何度も見比べる。隣国ベルモンドールの言葉で光の橋を意味するこの店は、隣国の王女がフェアウェル王国のさる貴人に輿入れする際、大量のドレスと共に帯同させたデザイナーによって拓かれたものだ。どちらかというとシンプルで実用性あるデザインが好まれていたフェアウェル王国だったが、ファッション最先端と言われる隣国、その御用デザイナーの華麗かつ可憐かつ豪華絢爛なデザインは、国中の女性、特に高貴な身分の令嬢たちを瞬く間に夢中にさせた。あれよあれよという間にル・ボン・ドゥ・リューズは王家御用達となり、店舗は何度も拡大され、現在の壮麗な店舗に成長するに至った。
「私、もう少し、雑貨屋さんとか布屋さんみたいなとこで買うんだと思ってました……!」
「ほら、着きましたわよ」
リリアンは窓枠にしがみついてぶるぶる震えつつ外をチラチラ見ていたが、アンジェがさっさと立ち上がってしまうと、もごもごと何か言いたそうにしつつその後に続いた。
「アンジェリークお嬢様、お帰りなさいませ!」
「えっ、えっ……ええっ!?」
馬車を降り立った令嬢二人を出迎えたのは、支配人を先頭にずらりと並ぶ従業員の列だった。ギョッとして立ちすくむリリアンの反応は予想通りで、アンジェは後ろ手を組んでにこにこ笑う。
「ここは、わたくしのおばあ様のブティックですのよ。わたくしの名前もベルモンドール読みでしょう?」
「えっ……じゃあ……アンジェ様のおばあ様って……ベルモンドールのお姫様!?」
「そうなりますわね」
「すごっ……すごっ……! アンジェ様すごい……!!!!」
「わたくしは何もしていなくてよ」
「先日の祝賀会で、王子殿下からブローチを下賜されたスウィート嬢でいらっしゃいますね。ようこそル・ボン・ドゥ・リューズへお越し下さました。きっと貴女にぴったりの装いが見つかることでしょう。さ、お嬢様とご一緒にこちらへどうぞ」
クスクス笑っているアンジェの横で、支配人の男がニコニコと笑いながら頭を下げ、二人の前に立って歩き出した。いらっしゃいませ、おかえりなさいませ! 建物入り口までずらりと並ぶ従業員たちが次々に声をかけては頭を下げる。リリアンはすっかり委縮してしまい、アンジェの腕にがしりとしがみつき、きゃっだのぴゃっだの大騒ぎしながら店内へと入った。
ル・ボン・ドゥ・リューズのような高級ブティックに限らず、人々が着る服はすべて仕立て屋が手ずから縫い上げたオーダーメイド品だ。現代日本のようなミシンがあればファッション界に革命がもたらせるのになとアンジェは常々考えているが、ミシンの構造をアンジェ自身が知らないことが致命的だった。白を基調とした華美で繊細な店内には、展示用の絢爛豪華なドレスがあちらこちらに展示されており、あとは夥しい量の生地、レース、ビーズ類、宝石類、リボンなどが展示されている。自宅に仕立て屋を呼びつける令嬢や夫人も多いが、アンジェは店を訪れてたくさんの在庫を眺めて回るのが好きだった。
「このお店はね、わたくしがフェリクス様のところに輿入れする時に、経営権を持たせていただくことになっておりますの」
「およっ……お嫁入りにッ……お店っ……!」
リリアンは目を白黒させつつ棚の間を見て回っていたが、アンジェの発言に驚き飛び上がって危うく転ぶところだった。アンジェが笑いながら手を貸してやる。
「持参金もありますけれど、結局使えばなくなってしまいますから。何か事業を持っていた方がいいだろうとおばあ様が仰ってくださいましたの」
「ああっもうっ……私みたいなぺったんちくりんが、そんなお店にアンジェ様とご一緒して入ってもいいんでしょうか……!?」
「……ご自分で言うようになりましたの? ぺったん……」
「なんかリオが連呼するから……ちょっと可愛い気がしてきて……」
「うふふ、わたくしは、今のぺったんちくりんのままのリリアンさんが好きよ」
「ありがとうございますアンジェ様……」
褒めたつもりのアンジェだったが、リリアンがじっ……と自分の胸元にある輝きの源二つを見て来たので、そ知らぬふりをして手近な生地に触れて見せたのだった。
一通り店内を見た後は、喫茶スペースもある特別室へと案内され、老齢の女性デザイナーがニコニコしながら現れた。アンジェの祖母に隣国から引き抜かれた伝説的なデザイナー、クリスティーヌ・ルヴィエールだ。ルヴィエールは先日の祝賀会に出席していたので、リリアンを見るなり素晴らしいお菓子だと褒めちぎり、リリアンは頭から湯気が出るほど真っ赤になって終始慌てふためいていた。ルヴィエールは様々な色・素材・幅のリボンを二人の近くに持って来させると、髪に当てて雰囲気を確かめさせながら、最終的に紺色のサテンリボンと髪色が透けて見えるほど繊細な純白のチュールレースリボンを選んだ。さらにこの二つを重ねて結ぶと、色の対比が実に美しい。アンジェはルヴィエールの見立てを誉めそやし、老獪なデザイナーも満足気に頷いて見せる。重ね付けしたリボンが結ばれた自分の髪を鏡で熱心に見ていたリリアンは、ふと我に返り、怯えた顔で値段はいくらかと聞いてきた。
「いいのよリリアンさん、貴女から代金なんていただけなくてよ」
「そんな、駄目です、アンジェ様!」
「わたくしの小遣いから補填しますから、どうぞ受け取ってくださいな」
「さすがにこのリボンはお言葉に甘えられない値段だと思うんです……!」
「あらあらお嬢様、謙虚でいらっしゃるのねえ。でも王子殿下から下賜されたブローチを身に着けた貴女が、これはル・ボン・ドゥ・リューズで見立ててもらった、と言って歩いていただいた方が、よっぽど嬉しいですわ。みなそれを聞いたら、同じものが欲しくてたまらないでしょう。でも、この紺色とこのレースの組み合わせだけは、お二人の為だけに使うことに致しましょうね」
「はっ、はいいいいい……」
ルヴィエールはリリアンのストロベリーブロンドに触れながらにこやかに話す。リリアンは緊張の極致でえぐえぐ泣きながら頷くしかできず、アンジェはクスクスと笑ったのだった。




