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21-1 冬至祭と君の名は

 フェアウェル大神殿は、首都(セレニアスタード)でも見晴らしの良い丘の上に鎮座している。


 大きな柱が何本も立つ総白石造りの壮麗な建物は、丘を登る前の馬車の窓から見るだけでも圧倒される。祥子の記憶に照らし合わせると、ギリシャやローマの神殿が一番イメージに近いだろうか。


(祥子もギリシャに行ったことはなかったようだけど……)


 先日のすみれ爆発事件の後、フェリクスの典医に大神官に診てもらえと勧められた。父に事情を話して面会の申し入れをしてもらい、最短で予約が取れたのが今日だった。


「うわあ……とっても大きい神殿ですね!」


 平日だがちょうど授業が午前のみで終わるので、事のついでとばかりにリリアンも誘ってみた。リリアンは珍しくあからさまに嫌がったが、終わったらお買い物しましょうと言うと、しばらく唸った後にしぶしぶと了承した。やりとりを見ていたフェリクスは当然同行したがったが、今日は予定が多いらしく大袈裟なほどに落ち込んでいた。かくしてアンジェとリリアンはカフェテリアで昼食を食べてからアンジェの馬車に乗り、神殿に着くまでの道中、車窓を見ながら他愛のないことをお喋りしている。


「シルバーヴェイルの神殿は学校も兼ねていたと仰っておりましたわね」

「はい、本当に小さくて、神官様もご夫婦お二人しかいらっしゃらなくて。優しくて村では人気者でした」


 簡単なハーフアップにしている二人の髪には、お揃い色違いのブローチがそれぞれの煌めきを放っている。アンジェは窓の外を見てはしゃいでいるリリアンの横顔を見ながら、今日話すべき内容を頭の片隅で整理する。時折魔法が暴発してしまうこと。鏡の中から出てきた、恐ろしい大男のこと。乙女ゲーム「セレネ・フェアウェル」についてどこまで話せるかは分からないが、見えない力についても聞けるとありがたい。サッカー部マネージャーのシュミットが、父親のツテで試合の日程を意図的にアンジェの誕生祝賀会の日に変えたり、ゲームのスチルそのままにエリオットとリリアンに水筒を投げつけたり、とても偶然の一致とは思えなかった。この世界は乙女ゲーム「セレネ・フェアウェル」が舞台でありつつ、ゲームと現実には明確な違いがある。その上で、見えない力は現実をどこに収束させようとしているのか。尋ねても答は分からないのかもしれないが、それでもアンジェは尋ねてみたかった。


 平日の午後の参拝者はほどほどに多いが、フェアウェルローズの制服はさすがに目立つ。アンジェが神殿の脇にある面会受付で名前を告げ、案内係に従って歩き出した。


(以前は、セレネス・シャイアンではないと知られることをあれほど恐れていたのに……)


 中庭が見える回廊をリリアンと並んで歩きながら、アンジェは小さく溜息をつく。


(それはそのまま、フェリクス様を失うことを恐れていたからでしたわ……)

(けれど、フェリクス様とリリアンさんは仲が進展する雰囲気ではないし……)

(冬至祭で、セレネス・シャイアンがリリアンさんだと明らかになったら……)


 この婚約はどうなるのだろう?


「こちらでお待ちください」


 案内された面会室の中にも小さな祭壇があった。太陽の化身にしてフェアウェル王国の守護神ヘレニア女神、月の化身にして建国の守護神セレニア女神が手を取り合い頬を寄せ合う彫像。大地を表す円盤が二人の手によって支えられている。


「面会室まで立派ですね……」


 きょろきょろしっぱなしのリリアンが、勧められた椅子に座りながらぽつりと呟いた。面会室といいつつ、カフェテリアの貴賓室と同じ程度の広さがあり、調度品も華美ではないが質の良いものが置かれている。大神殿の威光が市井に浸透し、寄進が多いことの証でもある。アンジェも頷きながら隣に座る。


「大神官様は、わたくしにルネのミドルネームを授けてくださった方なのよ」

「えっ、すごい!」

「貴女ほどではなくてよ」


 リリアンのセレナというミドルネームは、神託を受けた神官ではなく、女神の眷属である精霊から直々に授けられたものだ。それはリリアンこそが聖女セレネス・シャイアンであるという揺るぎない証左でもあった。リリアンは今のところその名前は誰からも隠していて、アンジェもゲームの知識がなければ未だに知ることはなかっただろう。リリアンはアンジェがここでそんなことを言うとは夢にも思わなかったらしくギョッとしたが、アンジェがニコニコ笑っているのを見て、もう、と軽く頬を膨らませて見せた。


「急に言わないでください、びっくりします」

「ごめんなさいね、子リスさん」

「きゃあ、もー、アンジェ様!」


 アンジェが両手でリリアンの頬を挟んだので、リリアンは笑いながらその手を取ろうとする。アンジェはそれを避けて更に頬を挟む。リリアンの頬は相変わらずふわふわで触り心地がいい。


「……リリアンさん、そう言えば聞いてみたかったのですけれど」

「ひゃい、なんでひゅか」

「アンダーソンさんは……ミドルネームについては、ご存知ですの?」


 自分でアンジェの手を頬に押し当てていたリリアンが、一瞬暗く沈んだ表情になった。秘匿しているはずのミドルネームをエリオットが知っている、つまりエリオットはリリアンがセレネス・シャイアンであること知っているのか、とアンジェは尋ねている。


「リオは……知ってます」


 アンジェの手から自分の手を離しながら、リリアンは切なげに視線を下に落とす。


「恋人にしてくれないの……多分そのせいも、あると思います」

「……そう……」


 アンジェは曖昧な返事しかできなかった。聖女セレネス・シャイアンは、王族との結婚が望ましいと言われている。ゲームではフェリクス以外の攻略対象と結ばれることもあったが、それが今この世界でも通用するかと言われると、首を傾げざるを得ない。現在、セレネス・シャイアンであるリリアンと結婚を考えられるような男性で独身の王族は、アンジェと婚約しているフェリクスしかいない。


 二人とも黙ってしまった隙間を埋めるように、こんこん、と扉が叩かれた。


「大神官様がお見えになりました」

「ありがとうございます」


 外からの声にアンジェが応え、二人はその場に立ち上がった。二つある扉のうちアンジェとリリアンが入ってきたのとは別の方が開き、髪の毛も顎髭も真っ白な老人がニコニコ笑いながらゆっくりと入室して来た。まるまるとした身体にグレーのゆったりとした神官服を着て、手にした杖をこつん、こつん、とつきながら、二人が座るテーブルまでやってくる。


「今日はよく参られましたね、ルネ」

「はい、大神官様」

「連れの方も……」


 大神官は一礼したアンジェを見て、何度もゆっくりと頷いて見せてから、隣のリリアンへの目線を移し──明らかにびくりと身体を震わせて、虚空のある一点を見つめた。


「……っ!」


 目を見開き、アンジェとリリアンを戸惑った様子で何度も見比べる。


「……連れの方も、ようこそ参られました」


 だらだら汗をかきながらやっとのことでそういうと、身体を小さく縮めてアンジェの対面に座る。少しばかりカタカタと震えているような気がしないでもない。


「……大神官様、わたくしの友人が何かありまして?」

「……な、なにもありませんよ……」


 蚊の鳴くような声でぶるぶると震えながら答えた大神官。


(……あからさまに、リリアンさんを見て驚いていらっしゃいましたわ……)

(やはり、見る人が見ると、セレネス・シャイアンだと一目瞭然なのかもしれない……)


 当のリリアンは大神官の挙動不審の理由は思い当たらないらしく、無邪気に首を傾げている。


「それで、ルネ、今日はどういったご用向きでしたかな」

「……それが……」


 アンジェは気を取り直した。話をしているうちに、セレネス・シャイアンについても話題に触れるかもしれない、そう思ってここに相談に来た理由をかいつまんで話した。アンジェが時折魔法を暴走させるようになってしまったこと。病気でもないのに、鼻血が何度も出るようになってしまったこと。震えていた大神官は、話が進むにつれて面差し正し、まじまじとアンジェの顔を眺めながらしきりに頷く。


「……なので、何か魔法を制御できるようなことが出来ればよいと思うのですが……」

「ルネ。隣のお嬢さん。後ろを向いて、髪飾りを見せて見なさい」

「はい」


 アンジェとリリアンは上半身をねじり、髪飾りの揃いのブローチが見えるようにする。大神官は色違いのきらめきを見ると、しきりに大きく何度も頷いて見せた。


「ルネ。貴女の悩みはもう解決している。その美しい髪飾りにかけられた魔法の祈りが、貴女を守ってくれていますよ」

「まあ……」


 アンジェは驚いて目を見開く。


「髪飾りは先日、フェリクス王子殿下からいただいたのです。彼が祈りを込めて仕立ててくださったのかもしれませんわ」

「儂もそのようにお見受けしますよ。隣のお嬢さんも同じです。よい品をお持ちですね」

「はい!」


 何故かリリアンは得意げに目を輝かせ、うんうんと何度も頷いていた。


「大神官様、実は、この髪飾りよりも前に、わたくしを守ってくださっていたものがあるのです」

「ほう、もう一つ。それは何ですか」

「こちらです」


 アンジェは通学鞄から、すみれの押し花のペンダントロケットを取り出した。


「これを身に着けていると、魔法や鼻血の現象がないような気がするのです」

「ほう……ほう」


 隣でリリアンがギョッとしているのが視界の隅に入る。


「実は先日……恐ろしい、魔物のような者に遭いました。まさしく恐ろしい牙がわたくしに襲い掛かろうとした時、このペンダントが熱くなったのです。そこで力を得て、その時は事なきを得ました」


 淡々と語るアンジェ。その顔を真剣なまなざしで見ている大神官。ここでペンダントが出てくるとは全く予想していなかったのだろう、慌てた様子だったリリアンは、アンジェの横顔が少し震えているのに気が付いて、小さく息を呑む。


「このペンダントにも、何か魔法がかかっているのでしょうか?」

「そうですね、素晴らしい守りがついていたようです。ただしもう破られてしまっている」

「そうですか……」

「本当に素晴らしい。これに祈りを込めたのは、セレネス・シャイアン候補なのではありませんか。それほどに素晴らしい」


【どうかアンジェ様をお守りください。アンジェ様に、建国の女神(セレニア)王国の守護神(ヘレニア)のご加護かありますように】


「そうですか。それは素晴らしい事ですわ」


 ペンダントを付けた時のリリアンの様子を思い出しながら、アンジェはにこりと微笑んで見せた。隣のリリアンはものすごく険しいしかめ面をしている。


「ルネ。貴女がセレネス・シャイアン候補であることは今も変わりありません。今日お会いして、魔法の才能がずいぶん育っていることに驚きました」

「まあ……わたくしに、魔法の才能が?」

「突出した才能は、良いものも悪いものも引き寄せます」


 大神官は頷きながら、テーブルに身を乗り出して両手を組んだ。


「特に自分の力をうまく扱う事の出来ない、生まれたての赤ん坊のような者は、悪いものに魅入られやすい。貴女が遭遇した魔物とは、どのような姿かたちでしたか」

「初めは……鏡に映っていたんです」


 アンジェは眉根を寄せながらあの時のことを話した。黒い炎が身体の中で渦巻いているような感覚。鏡から出てきた自分の姿が、大柄な男に変貌したさま。紫のうねる髪に、蛇のような瞳。褐色の肌、黒光りするパンツ。この話を初めて聞くリリアンは、顔が青ざめてブルブルと震えている。大神官は長い真っ白な眉毛に埋もれそうな瞳を大きく見開き、何度もゆっくりと生唾を飲み込んだ。


「ルネ……恐ろしいことを経験されましたね。ペンダントがなければ、貴女は彼の者に連れ去られていたやもしれません」

「そうなのでしょうか……」

「それは、大神官様がご存知の魔物なのですか」


 リリアンが必死なまなざしで口を挟む。


「はい。神職に就く者ならば皆知っています」


 大神官は二人の顔を見比べると、口にすることすら憚られる様子で──だが唇を噛み、低い声で囁いた。


「建国の女神、麗しきセレニア様を封印した古き魔物──マラキオン」


 マラキオン。


(まら……!?)


 アンジェは反射的に、祝賀会の後、フェリクスと二人で過ごした時間を思い出す。


「ま、ま、……ま、……なんでしょう……?」

「マラキオン、です」

「ま、ま……」

「マラキオン……」


 リリアンが恐ろしいことを聞いてしまったと言いたげな顔で──しかし平然と呟くのを見て、アンジェはギョッとする。


(えっ……リリアンさん、普通に口になさったわ……!?)

(普通に、この言葉を、話せるものなの……!?)


 動揺するアンジェは、自分が動揺する理由も、他の二人が何事もなく平然とその言葉を口にしている理由も分からなかったが、不意に思い出した記憶があった。それは祥子が維新志士と新選組の戦いを描いた作品の沼に落ちて、彼らが睦み絡まりくんずほぐれつな同人作品を読み漁っている時に、やたらめったら頻繁に出てきた単語だったのだと。


(これは……祥子の国の……あ、あ、あそこを示す言葉……!?)

(この世界の人には、なんともない言葉なの……!?)


「マラキオン……なんて恐ろしい名前の魔物なんでしょう……」


 真剣そのもののリリアンは、隣のアンジェをふと見遣ると、首を傾げる。


「あれ、アンジェ様、お顔が真っ赤です……大丈夫ですか!?」

「だ……大丈夫……大丈夫ですわ……」


 アンジェは顔を真っ赤にして、そう答えるのが精いっぱいだった。






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