表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

61/203

20-3 祝賀会の主役


 結局昼休みが終わるまでフェリクスはアンジェから離れようとせず、リリアンもエリオットの隣に座って渋い顔をし続けていた。生徒会長付の他のメンバーはニコニコしつつ先に解散しており、フェリクスは予鈴が鳴るや、いつにも増して威風堂々とアンジェをクラスルームまでエスコートした。リリアンはどこかホッとしたような顔でエリオットに何か文句を言いながらも一緒に去って行った。教室に戻ると予想通りルナとクラスメイト達が待ち構えていて、ルナはフェリクス臨席に立ち会えなかったことをそれはそれは悔しがりつつ、午後の授業の間は思い出し笑いを堪えてばかりいたようだった。


 朝に交換日記の受け渡しをして。昼や放課後に祝賀会とお菓子クラブの準備をして。毎日のようにリリアンと顔を合わせつつ、それでも授業中や帰宅後には侘しい気持ちが押し寄せてくる。今は夕食を召し上がっている頃かしら。歴史の授業は、少しは板書を読み取れるようになったのかしら。アカデミー内でそんなことを考えながら窓の外や校舎の端に視線を遣ると、意外にもそこにリリアンを見つけることがしばしばあった。実習なのだろうか、教科書と筆記用具を持ってどこかに歩いて行くところ。カフェテリアで飲み物を真剣に選んでいる時。図書館の本を大量に抱えてよたよた歩いていたら案の定転んでしまい、クラウスに叱られている場面。様子を見に来たらしいエリオットがクラウスに見つかって、一緒に運んでやってくれと頼まれ、満更でもなさそうに二人並んで歩いて行く……。


「おうおう、赤ちゃん(べべ)・アンジェ、今日は子リスはどこにいた」


 ルナは意外なのかそういうものなのか、アンジェが剣術部の部室で話したことは他の誰にも話していないようだった。その代わり、アンジェが一人でぼんやりと視線をさ迷わせているような時に茶々を入れてくる。


「……あちらですわ」


 アンジェの目線の先はカフェテリアの売店だった。リリアンの隣にはエリオットがいて、二人して真剣にキッシュを選んでいる。会計を済ませて品物を受け取ると、カフェテリアではなくどこかに連れ立って歩き出した。リリアンの荷物をエリオットが持ってやる。何か軽口を言ったらしく、リリアンがぽかぽかとエリオットに殴りかかる。笑いながらそれを避けるエリオット。リリアンは顔を赤くしてうつむき、少し離れてちょこちょこと彼の後をついていくうちに、角を曲がってアンジェたちの視界から消えた。


「これは……ご傷心だな」


 アンジェと一緒に一部始終を見守っていたルナが、声音に気を遣いつつ呟く。アンジェはゆっくりと首を振ると、自分もカフェテリアに向かって歩き出した。


「もう、慣れましたわ」

「……そうか」


 ルナの視線に他意はないのだろうが、それでも重苦しく感じてしまう。アンジェはため息をつき、キッシュを選びながら暗い思考を振り払うように平静な声を出した。


「……一つ、不思議なんですの」

「……不思議?」


 ルナがミートパイを選びながら聞き返し、アンジェはほうれん草のキッシュを受け取りながら頷いた。


「リリアンさん……クラスのお友達とご一緒にいるところを、殆どお見掛けしないの。ご一緒にいるとすると、お菓子クラブの方か、生徒会長付の方か……アンダーソンさんか。ごく稀にアシュフォード先生か……」

「それからお前な」

「それはそうですけれど……もう入学されてから二か月ですわ。クラスでも多少話すお友達がいてもおかしくないと思わなくて? 実習で移動されている時も、いつもお一人で歩いていて……どなたか、仲の良い方はいらっしゃらないのかしら?」

「それは……まあ、そうかもしれんが……」

「お菓子クラブの一年生も、みなさん他のクラスなんですの……アンダーソンさんもでしょう。……わたくし、心配で……」

「……気持ちはわかるが、影で心配してるだけじゃ埒が明かないだろう」

「そうですわよね……」


 空いた席に二人して座りながら、アンジェは暗い表情で呟いた。ルナはその時は鼻を鳴らしながら首を傾げるばかりだったが、お菓子クラブでアンジェと一緒にリリアンに会うと、単刀直入に「子リスにはクラスで仲のいい奴はいるのか」と聞いた。


「そこにおわすアンジェリーク嬢がな、大好きな子リスちゃんが一人ぼっちで泣いてやしないかと気になって夜も眠れないんだと」

「ちょっとルナ! いきなり失礼ですわ! リリアンさん、どうかお気になさらないで」

「あー……アンジェ様、前に一度、クラスに来てくださいましたもんね……」


 お菓子クラブにあてがわれたばかりの部室は、間取りは先日の剣術部と同じだが、まだ机と椅子以外には何も置かれておらず、一同の声がよく響く。ルナとアンジェの言い合いにギョッとしたリリアンだったが、気まずそうな雰囲気は隠せていない。


「アンジェリーク様、やはり気になりまして? 私も実は心配していたんです」

「私も……!」

「魔法実習の練習の時も、いつもお一人で……」


 お菓子クラブの面々も互いに顔を見合わせながらうんうんと頷きつつリリアンに迫る。皆に取り囲まれる形になってリリアンはたじろいだが、やがて観念したようにがっくりとうなだれ、そうですよねえ、と呟いた。


「なんというか……最初は、仲良く話してくれる人もいたんですけど……」

「まあ、喧嘩してしまったの?」

「何かいざこざ?」

「それとも恋の戦い?」


 ずいずい迫るスカラバディ達に、リリアンは一つずつ首を振る。


「その……仲良くなったり、親切にしてくれた方が、次々に怪我をされてしまって……転んでしまったとか、とげが刺さったとか、靴が壊れたとか……そんなものなんですけど」


 紫の瞳が、ちらりとアンジェを見る。視線が重なっても、しばらく何かを訴えるようにじっと見つめている。


「立て続けにあったので……みなさん、怖がってしまって……」


 しばらくぼんやりとリリアンを見ていたアンジェだったが、ふと蘇った感覚に息を呑む。足がもつれて絡めとられ、空中に投げ出されて──固い床にたたきつけられて。明らかに悪意ある作為だった、乙女ゲーム「セレネ・フェアウェル」の悪役令嬢(アンジェ)の所業と酷似していた、あの事件。


「リリアンさん……まさか……」


 リリアンはアンジェが青ざめたのを見て小さく頷き、視線を他の面々に戻した。


「私も、みなさんにお怪我をさせてまでお付き合いをするのは、ちょっと怖くて……生徒会のみなさんや、お菓子クラブのみなさんには何もないみたいだから、……まあ、いいかなって……」

「そんな……いたいけだわ、リリアンさん!」

「リリアンさんのせいではないのに……!」

「元気を出して、リリアンさん!」


 一年のクラブメンバーたちが次々に押し寄せてリリアンの手を握ってぶんぶんと振り、肩を抱いて悔しがり、腕に縋って涙を拭く。リリアンはあはは、ありがとうございます、と能天気な顔で笑っているが、内心もそうなのかは分からない。ルナや他の面々も予想外の答えだったようで困惑している。アンジェは同情的な表情を作りつつ、あの時の痛みを、乙女ゲームで閉じ込められた主人公(リリアン)を思い出し、人知れず掌を握り締めた。


(……ゲームでは、クラスメイトとの交流なんて、なにも描かれていなかったけれど……)

(もしかすると見えない力が働いているのかもしれない……少なくともリリアンさんは、そう考えていらっしゃるのね……)


 ゲームシナリオと同じく、現実でもリリアンがどこかに閉じ込められたとして。ゲームではヒーローである攻略対象(フェリクス)が颯爽と助けに来るが、現実でも同じように誰かの助けが来るかどうかは分からない。そもそも起こることが閉じ込められるだけなのかどうかも分からない。分かっていたつもりだったが、リリアンに降りかかる災難を新事実として聞くと、冷水を浴びせられたように目が醒めるのが分かる。


(気を付けなくてはいけないわ、アンジェリーク……それこそいろいろなことを)

(リリアンさんを……お守りするのよ……)

(わたくしが……)


 アンジェは唇を噛み、ブラウスの下のペンダントロケットを握り締めた。




*  *  *  *  *




 あらゆる不測の事態に備えようと、アンジェは秘かにサッカー部の試合の場所と時間について調べた。もしかすると本当に祝賀会ではなく試合観戦に行った方が──アンジェとリリアンが離れていた方が安全なのかもしれないと思ったからだ。サッカーの試合は前半後半合わせて九十分、ハーフタイムが十五分。ゲーム時間は正味二時間ほどということになる。前後の準備や片付けなども含めると、三~四時間といったところか。試合は午前中に始まり昼頃に終わる。一方の祝賀会は昼時に始まり夜の晩餐まで続く。


「…………」


 自室でそれぞれの時間を紙に書き出して見比べ、アンジェは目を見開く。


(リリアンさんが……お菓子の仕込みをしなければ、間に合うわ……)


 試合会場はフェアウェルローズ・アカデミーのグラウンドだ。アカデミーと王宮なら馬車で三十分もかからない。試合が終わったらすぐに移動して、王宮で着替えれば。馬車ではなく早馬を使えばもっと短い時間で行ける……。


(…………間に合って、しまう……)


 アンジェが訪ねる度に、試合にはいかないときっぱり断言していたリリアンは、この時間のことを知っているのだろうか? 端から諦めて知らないということはないだろうか?


 もしも、間に合うと知ったら。

 お菓子作りをやめて──試合を観戦してから、嬉しそうに頬を染めて、祝賀会に参加するだろうか?


「…………」


 リリアンは王宮の菓子厨房(ペストリー)に入れるのが楽しみだと言っていた。祝賀会という特別な場所で自分のお菓子を振る舞えるのが光栄だと言っていた。だから……お菓子を作らなければ試合を観ても間に合う時間だと知ったとしても、首を、振って、くれるはずだ。本当に? 間違いなく? 知らずに諦めていただけだったとしたら? 少年を見上げて頬を染める少女は、そんな時でもアンジェを選んでくれるのだろうか?


(……リリアンさん……)


 鉛筆を持つ手が震えていた。指先から黒い炎が噴き出してくるような気がした。リリアンに伝えなければならない。アンジェから離れていた方が、リリアンの身を守れるかもしれない。何より、試合を見に行けたほうが、リリアンは嬉しい筈だ……。


(……どれだけ理由を並べても、心が動かないわ……)

(もう少しだけ……迷う時間が欲しい……)

(冷静に……リリアンさんに伝えられるようになるまで……)


 アンジェは書き出した紙を小さく折り畳むと引き出しにしまった。次いで交換日記の添削と返事を書き(相変わらずお菓子の事ばかりだ)、既に終えた予習分の教科書をぱらぱらと見返してみたが、胸で渦を巻くモヤは一向に晴れなかった。諦めて侍女を読んで、歯磨きやら着替えやらをして早々とベッドに入る。眠りは浅く、どこか黒い海のようなところをずっと溺れかけながら泳いでいる夢ばかり見る。黒い、魔物のように大きな男が、溺れるアンジェを見て笑い声を上げている──アンジェは瞳を開け、静まり返った自室を見回し、深々と溜息をついた。もうすぐ誕生日だというのに、恋人が極上の一日にするべく骨を折ってくれているというのに、どうして自分の心はこんなにも晴れないのか。


(……フェリクス様……)


 エリオットと同じテーブルに座っていただけであんなにも慌てふためいていたフェリクス。アンジェを愛していると公言してやまないフェリクスが、ただそれだけのことであそこまで取り乱すなんて。わたくしも同じように取り乱すことが出来たら。リリアンさん、どうしてカフェテリアでアンダーソンさんと一緒にいらしたの。あの後はどちらに行かれたの。リリアンさん……。


(恋人や……婚約者や、夫婦というのは、嫉妬する権利を得るという事なのね……)


 フェリクスが、彼の婚約者のアンジェが男子生徒とお茶をしていたのを見て嫉妬しても、誰もそれを咎めることはない。だがアンジェがリリアンに、エリオットといたことの是非を問い詰めたらどうだろう。リリアンは戸惑うだろうか。周囲は友情にしては度が過ぎていると眉を顰めるだろうか。暗い感情の出口がどこにもないと、いつまでも胸の中でうず巻き続けているような気がする……。


(……眠りましょう……)

(明日も早いわ……)


 アンジェはつけたままのペンダントを祈るように握り締め、頭からすっぽりと布団をかぶったのだった。


 結局明け方まで眠ることが出来ず、アンジェは寝不足のまま登校した。馬車の中で少しだけ眠れたが、毎日アンジェをくまなく観察しているフェリクスの目を誤魔化すことはできず、無理をしないようにと叱られてしまった。いつものようにリリアンと交換日記の受け渡しをして、フェリクスに導かれてクラスルームへ行く。名残惜しそうに去るフェリクスを見送って、自分の席に座って。寝不足だといつもと同じ朝の動作をするだけで、どっと疲れたような気がするのは何故だろう。


「ねえ、聞いてくださる? 隣のクラスのシュミットさん、ご婚約が決まるかもしれないんですって」

「きゃあ、素敵! どなたとですの?」


 近くに座るクラスメイト達のひそやかな噂話が、頭にガンガンと響く。アンジェは半分目をつむりながら、通学鞄から教科書と筆記用具を取り出す。


「アンダーソン子爵のご令息だそうよ!」

「まあ、サッカー部の?」


(サッカー部の、……アンダーソン?)


 アンジェは手を止める。

 目を見開いて、おしゃべりを続ける級友の方を向く。


「そうなの、お相手は一つ年下なのですって」

「確かシュミットさん、年下だけど素敵な方だと仰っていましたわね! お世話好きのシュミットさんにはぴったりね」

「うふふ、今ご両家がお話を取りまとめているそうよ。だから貴女もあまり言いふらしたりなさらないでね」

「もちろんよ、私たちだけの秘密ね」


 血の気が引いていく。口の中が渇いていく。

 手は震えているだろうか? 瞳孔が大きく開かれているだろうか?


【どんな感じなんスか? 婚約者がいるって……恋人とか、好きな人とはまた違いますか?】


 身を乗り出して、嬉々として尋ねて来たエリオット。


(あれは……)


 単なる好奇心ではなく、間もなく自分に訪れる大きな変化の、予習だったというのか?


【どうしよう、アンジェ様……】


 リリアンさん、愛しい可愛いリリアンさん。

 貴女の横顔が、彼を映した瞳が美しくて、わたくしは胸が痛かった。

 けれど、貴女がこのことを知ったら、きっとまた、泣いてしまう。

 大切なわたくしのリリアンさんがまた、泣いてしまう……。


【あの……まだ……たぶん私の、片想いで……】


「今度の日曜日にお顔合わせなんですって、シュミットさん張り切っていらしたわ」

「へえ、もう割と近い日なのね、年内には正式にご婚約がお決まりになるのかしら」

「そうかもしれなくてよ。……ねえ、その前日の土曜日、サッカー部の試合がありますのよ。シュミットさんもご一緒に、彼を見に行きませんこと?」

「素敵! ぜひ行きましょう!」


 全身を駆け巡る感情が何という名前なのか、アンジェには分からなかった。近くて遠い噂話が鎖となってアンジェをぐるぐると縛り上げているようだった。その激流が怖くて身動きが取れない。昨夜見た夢のような黒い海に引きずり込まれて、もう二度と出ることが出来ないような気がする。ただ、ただ、苦しい。あの子に会いたい……けれど会って何を言えばいいのか。言ったら彼女は泣いてしまう。言ったら彼女は行ってしまう……。けれど。けれど。


(……リリアンさん……!)


 ブラウスの中のペンダントの鎖が、肌に引っかかってチリチリと痛かった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ