20-2 祝賀会の主役
祝賀会とクラブの準備も順調ながら立て込んできたある日、アンジェがルナ達クラスメイトとカフェテリアで昼食を食べていると、エリオットがきょろきょろしながら近くまでやって来た。思わず身構えたアンジェを見つけると少年は目を見開いたが、同じテーブルにクラスメイトがたくさんいるのを見てとるとギョッとして立ち止まる。それ以上近づいたものかどうか躊躇いながらこちらの様子を伺っていたので、アンジェは痺れを切らして声をかけた。
「ご機嫌よう、アンダーソンさん。よいお天気ですこと」
「えっ……あ、こ、こんちは」
少年は身をすくめつつもどこか安堵した顔をすると、ぺこりと頭を下げた。クラスメイトらが何事かと彼の方を向き、ルナは完璧に微笑むアンジェを見て無言で顔をしかめる。
「その……リコ……リリアン・スウィートを見かけませんでしたか?」
「リリアンさんなら」
あの子を探していたのね。
アンジェは一瞬言葉を切った。背中を誰かに引っかかれたような心地になる。
「……今日は、生徒会長付のみなさんで昼食と仰っていましてよ」
「あっ、生徒会……」
「何かお約束をされていましたの?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
エリオットは困惑を隠しもせずにもごもごと何か口の中で呟くと、視線をあさっての方に向けて黙り込む。アンジェには幼いと見えるその顔は、眉をひそめ、口許に手を当て、明らかに何か心配している様子だった。何を案じているのだろうか? アンジェの大切なあの子のことだろうか? 今日の予定を逐一共有するような仲というわけではなかったのか。居場所を知らないで探し回って、何をしているかと案じるような感情を持っているのか……。
「アンダーソンさん、今、何か急ぎのご用事がありまして?」
「え? いや、リコを探してただけで別に……」
「そう。でしたら、少しお時間をいただけませんこと?」
「えっ、俺ですか!?」
「ええ、貴方でしてよ。かねがねお話ししてみたいと思っていましたの」
「えっ、えっ!?」
「ご用事はないのでしょう、さあこちらに、みなさんはゆっくりなさっていてね」
アンジェはさっさと立ち上がると自分のお茶のカップを手に取って歩き出した。慌てて転びそうになりながらエリオットがついて来る。クラスメイトがきゃあきゃあ言っているのが聞こえる、ルナはきっと笑いを堪えているだろう。自分が去ったテーブルの騒ぎのことを想像すると煩わしい気持ちにならなくもなかったが、どうせ言う内容も手に取るように分かるのだから、自分が気にしなければいいだけのことだ。場所を変えるといってもカフェテリアのあちらとこちら、距離と喧騒で互いの声が聞こえなくなる程度のところでいい。
アンジェは手近な席を見つけてカップを置くと、慌てふためいているエリオットに彼の分のお茶と、何か茶菓子を買ってくるように言いつけ、小銭を握らせた。手が触れた瞬間にエリオット少年はばね仕掛けのおもちゃのように飛びすさって、顔を真っ赤にして湯気を出しながら売店の方へ駆けて行き、ほどなくして自分のお茶とクッキーを持って戻って来た。
「まあ、走られなくてもよろしかったのよ」
「あ、いや……お待たせしてるかなーと」
「ありがとう存じます。そのクッキー、リリアンさんともよくいただきますの」
「あ……そうスか……」
エリオットがアンジェの向かい側の席に座ると、心なしか周囲の生徒達の声が大きくなった。ねえ、あれ、セルヴェール様じゃなくて? 相手の男子生徒は見かけない人だわ。まさか……。いやいや、ご友人だろ。一年生かしら……サッカー部で見たことある。エリオットは赤い顔のままだったが、だらだらと汗をかいて居心地悪そうにうつむく。
「あ……の……何スか、その、話って……」
「堂々と背筋を伸ばされたらお話しいたしますわ」
「は……はい」
エリオットはぎくしゃくと身体を起こし、それでもまだ少し首を縮めている。アンジェは対面でその姿を涼やかに眺めていたが、ようやっと少年が背筋までまっすぐに伸ばすと、にこりと微笑んだ。
「お話しする間は、ずっとそのようになさっていてくださいませね。何もやましいことなどしていないのだから、胸を張っていればよろしいのよ」
「はあ……」
どうやら緊張のあまりアンジェの顔を正面から見れないらしく、エリオットは相槌もそこそこに目線をあちらこちらに泳がせ、カップのお茶をちびりと飲んだ。
「そ、それで、話って……何ですか」
「……リリアンさんのことですわ。シルバーヴェイルではどのように過ごされていたのかお聞きしたいのです」
「シルバーヴェイル……ですか」
どぎまぎしていたエリオットの顔が、ふと真剣なものに変わる。
「アイツ……リリアンは、セルヴェール様にいろいろ話してるんですか」
「いろいろ? そうね、多少は存じ上げていると言っても嘘にはならないと思いますわ」
「…………」
アンジェの顔を見ながら、少年は考え込む。あるいはアンジェの腹の底を見透かそうとしているのだろうか。アンジェが知っていることと言えば、リリアンこそがセレネス・シャイアンであること、子供の頃にシルバーヴェイルに住んでいたこと。スウィート男爵は実の父ではなく、養子となったリリアンの遠縁の親戚にあたること。読み書きをあまり必要として来なかったので苦手なこと。あとは、母親の形見のミミちゃんを後生大事に持ち歩いていること──そうだ、母親。リリアンはあんなにも形見を大切にしているのに、母親のことをあまり語りたがらない。きっと優しいお母様だったはずだ。リリアンについて知っていることを脳内で数え上げていたアンジェは、いいことを思いついたとばかりに口を開いた。
「リリアンさん、シルバーヴェイルではお母様と暮らしていたのでしょう? どのような方だったのかしら、貴方はお会いした事がありまして?」
「ちょっと──ちょっと、待ってください」
エリオットはあからさまに動揺し、中途半端に手を差し出してきたが、距離があるのでアンジェには届かない。
「ええ、待ちますけれども……どうかなさいまして?」
「その……リコの母親の事、アイツから聞いてるんですか」
「聞いている? 何をですの?」
「…………」
エリオットは押し黙る。
アンジェは沈黙の重さに、テーブルの上で自分の手を握り締める。
「……いつも持ち歩いているお母様の形見を、見せて頂いたことはありますわ」
「……ミミちゃんか」
エリオットは微かに笑ったが、すぐにまた深刻な顔に戻ってしまった。彼は母親の形見と聞いてミミちゃんだと分かるくらいには事情に精通している。アンジェの知らないことも知っているかもしれない──そう思った矢先、エリオットがテーブルに手をついてがばりと頭を下げた。
「すみません、セルヴェール様。俺、たぶん、セルヴェール様が知りたいことは大体全部知ってます。でもリコが話してないことを、俺の口から話すわけにいきません」
顔を上げて現れたのは、真摯に真っ直ぐにアンジェを見上げてくる少年の顔。
「察してやってください」
ひたむきな想いを隠し切れていない、アンジェよりも色の濃い青い瞳。
「あの、遠慮してとか、信用してないとか、アイツ、話さないのはそういうことじゃないと思うんです。なんていうか……しんどいことだったんで。口にするのも、思い出すのもしんどいのって、あるじゃないですか」
慌てて、必死に、自分の事のように──自分の事以上に伝えようとして、くしゃりと歪められた顔。その顔を見ていると、リリアンの前から消えてしまえなどと考えていた自分が卑屈でちっぽけな存在のように思えてくる。彼は、彼もこんなにもリリアンさんのことを想って心配している。彼のリリアンへの想いが恋なのか、親愛なのか、こうして話しているだけでは分からないけれど、それでも何かがあると思わずにはいられない。リリアンはきっと、到らないところも多い彼の、こうしたひたむきさに惹かれたのだ……。
(……恋する気持ちは……彼も、リリアンさんも、……わたくしも、フェリクス様も、みな同じ……)
(止めたり、引き離したりできるものではないのだわ……)
「……何かご事情がおありなのね。承知いたしましてよ」
「ありがとうございます……」
エリオットは水から顔を出したかのように大袈裟なため息をつくと、はは、と笑いを漏らした。母親が亡くなっていて、形見の人形を父親に奪われると怯えていて。どんな事情があるのかは分からないが、それがどれくらいの重さでリリアンの心にのしかかっているのかは、想像できるような気がした。
「……今度は逆に、俺が聞いてもいいですか」
「ええ、どうぞ。わたくしに答えられることなら」
「あざっす!」
アンジェが頷くと、エリオットは今度は顔を輝かせて身を乗り出して来た。感情の切り替えが早いのか、次々と興味の対象が移っていくのか。めまぐるしいところはどことなくリリアンに似ているな、とアンジェは頭の隅で考える。
「セルヴェール様って……婚約者様がいらっしゃるじゃないですか」
「……ええ、そうですわね」
「どんな感じなんスか? 婚約者がいるって……恋人とか、好きな人とはまた違いますか?」
「…………」
アンジェは完璧に笑いながら、エリオットの顔をまじまじとみる。フェリクスとアンジェの婚約に興味があったとしても、ここまで正面から聞いてくる輩はそうそういない。この少年、子爵令息にしても相当奔放なお育ちをしているのね。何と答えてやろう。考えているうちに、ここ数日の思考が蘇ってきて、アンジェは目を伏せた。
「とても……難しい質問ですわ。わたくしとフェリクス様は、わたくしが一歳になる前にはもう婚約していましたから。家族同然にお付き合いさせていただいているといっても差し支えないでしょう」
「えっ、赤ちゃんの頃からってことスか」
「ええ、そうよ」
「すっげ……すごいスね」
エリオットの素朴な感嘆の言葉は、だからこそ彼の感情が直に伝わってくるような気がする。
「けれど……わたくしたちは、恋人と言ってもよいのではないかと、自負しております。フェリクス様はわたくしを惜しみなく愛してくださいますし、わたくしもまた、同じようにフェリクス様をお慕い申し上げております」
そう。わたくしはフェリクス様の婚約者で、恋人だ。彼のことを一番に考えていれば、それで何も問題はない筈だ。
「婚約と言ってもあくまでも一つの契約と捉え、ほどよい距離を保つ方たちもいらっしゃることでしょう」
「……はい」
「逆に、そうした約束がなくとも、……身体の中で、世界中の鐘が打ち鳴らされるような激しい恋をなさるかたもいらっしゃるわ」
そう。わたくしとリリアンさんの間には、何の約束もない。ただ、スカラバディで、お友達で……わたくしが一方的に、あの時からずっと、この胸を焦がしているだけだ。
「恋……」
エリオットがぽつりと呟く。
「……セルヴェール様は、怖くないんですか。殿下のお心が離れやしないかとか、他の誰かに奪われやしないかとか……」
「そうですわね……それは、婚約に限らず、夫婦でも、恋人でも、皆が心配することだとは思いますけれど……」
アンジェはふと予感がして言葉を切り、周囲を見回す。つられたエリオットも同じ方向を向く。カフェテリア中央二階の貴賓室に向かう階段から、数人の集団がぞろぞろと降りてきて──
「なっ……まさか……あれは……アンジェ……!?」
「ででっでっででで殿下!!! 隣は私の友達ですうっ!!!!!」
生徒会長付の会が終了したらしい一団の中央にいたフェリクスが驚愕に打ち震えて立ち止まり、その横でリリアンがギャッと叫んでぶるぶると震えあがった。
「何っそれは本当かリリアンくん!!!!!!」
「本当ですっアンジェ様どうしてリオと……!!!」
「気を確かにリリアンくん……彼らが並んで座っている、事実はそれだけだ……彼らがどんな関係性で、どんな会話をしていたのか、僕らには全くもって知る由もない……だが! 僕らは知性の灯を燈す人間なのだ、野蛮な感情に任せて暴れたりせず、対話をもって理解を深めなければならない!!!」
「そうですね殿下全くもってその通りです!!!」
「よしっ行くぞリリアンくん!!! どんな時でもアンジェへの愛を忘れるな!!!」
「はいっ殿下っ!!!!!!」
会話が周囲どころかアンジェとエリオットのところまで丸聞こえなことなど全くもって考えつかないらしく、フェリクスとリリアンが互いに手を取り合ってうんうんと頷くと、二人揃って肩をいからせてこちらへと歩いてきた。さすがのフェリクスは近付くにつれて平静さを取り戻したらしく、足取りは優雅に、表情は柔和に、雰囲気は典雅そのものに戻り、アンジェのすぐ隣に颯爽と立った。
「やあアンジェ、僕の愛しいアンジェリーク。カフェテリアに輝く星が落ちていると思ったら君だったよ……今日は珍しい人との時間を楽しんでいるみたいだね? 彼は誰なのか、君を愛してやまない婚約者の僕にも紹介してくれるかい?」
微笑んだ笑顔の白い歯がきらりと輝いた気がしたのを確かめて、アンジェはエリオットの方に向き直った。
「……フェリクス様がわたくし以外の女性に懸想するところが想像できない、というのが、ここしばらくの素直な気持ちですわ」
「……とてもよく分かりました」
エリオットはずいずい迫って来る王子の圧に押しやられて、椅子からずり落ちそうになりつつ頷いた。
「君……そこの君! 君は先日、試験発表の日にリリアンくんと口論していた男子生徒だね? 君は一体どこの誰でどうした素性で、今日はどういう経緯でアンジェの前に座るという栄光を勝ち得たのか、ぜひこの僕、麗しいアンジェリークの婚約者であるフェリクス・ヘリオス・フォン・アシュフォード・フェアウェルにも詳しく教えてもらえるだろうか……ヴォルフ落ち着け、まだ抜剣するな、対話が大切なんだ」
「あいにく私は剣の柄にも触れておりません殿下」
「そうか、それは僥倖だ、僕が合図したらいつでも不敬者を処せるように、心得ておけ」
「有事の際には前向きに善処いたします我が君」
「あ、あ、あ、あ、あ、アンジェ様……アンジェ様! どうしてリオと一緒に……? 私、私、その、あの……リオ! なんでアンジェ様と……ねえ! なんで!?」
アンジェとエリオットのテーブルは俄かに騒がしくなった。フェリクスは護衛官が持ってきた椅子でアンジェの隣に座ってがっちりと婚約者の肩を抱いて手を握り、リリアンはエリオットをがくがく揺さぶったかと思うと、フェリクスとは反対側のアンジェの腕にがっしりとしがみついてべーべーと泣いた。エリオットは目の前に広がる光景を呆然と眺めていたが、不意にクスクスと笑い声を上げた。
「……リコ」
「……なに」
「楽しそうだな」
リリアンは目を見開いてじっとエリオットを眺め──ゆっくりと、目を伏せた。
「……うん。楽しい。アンジェ様のおかげ」
「そうか」
幼馴染二人は、この時はそれ以上、言葉を交わさなかった。
(……どういう意味なのかしら……)
(お母様がお亡くなりになったことを言っているの……?)
尋ねてみたくても隣にフェリクスがいるのでは──フェリクスがいなかったとしても、朱に染まるリリアンの頬を見てしまったら、何も聞くことなど出来そうになかった。




