20-1 祝賀会の主役
「大丈夫です、アンジェ様。私、アンジェ様のお誕生日パーティーに出ます」
追試の日以来、リリアンは事あるごとにそう言うようになった。
「でも……」
朝の交換日記の受け渡しをしながら、アンジェは顔をしかめる。
「直に聞いてしまったから、心苦しいですわ……」
「いいんです。試合はきっとまたあります。でもパーティーでお菓子を出せるのはこれっきりかもしれません。私が行きたい方に行くんです」
リリアンはそういう時は、いつもきっぱりとした物言いで微笑み、アンジェの顔を覗き込んだ。いつもと同じ笑顔にも見えるし、どこか自分に言い聞かせているようにも見える。
「君たちは、毎朝のようにそのやりとりをしているね」
二人を眺めながら、フェリクスが気の毒そうに呟く。リリアンはエリオットのことはあまり他人に知られたくないようで、アンジェと二人きりの時にしか彼の名前を出さない。なので毎朝やりとりをしているフェリクスも、リリアンの友人の何かの用事とアンジェの祝賀会の予定が重なった、程度の認識をしていた。
「祝賀会の日をずらしてやれたら一番良いのだろうけど……」
「わわっ、殿下、とんでもないです、そんなことなさってはいけません。みなさんその日に合わせてご準備されていることでしょう。パーティーの日取りを変えるなんて、もっての他です」
「そうか……」
フェリクスが残念そうに微笑むのももう何度も見た。正直アンジェは、フェリクスの提案を聞く度にそれが一番いいのではと思わなくもなかった。アンジェの祝賀会の日程は動かせなくとも、サッカーの試合の方はどうだろう? フェリクスも観戦に誘って、王太子が天覧を望んでいるからと、試合の日を翌週、あるいはせめて翌日の日曜日に変えるくらいなら、王家の威光をもってすれば可能なのではないか? 君の為なら何でもする、と公言して憚らないフェリクスに、今こそその何でもを実行してもらう時なのではないか……。人の好い、だが聡明な王子は、愛しいアンジェに頼まれたらどんな顔をするだろう? 君の為ならといつものように微笑んでキスでもするだろうか。あるいはさすがに我儘が過ぎると叱るだろうか……。
(……フェリクス様に、ご判断を委ねてはいけないわ……)
魔法学の授業を聞き流しながらアンジェは考える。教壇で教師が、魔法を扱う際の力の流れの捉え方について説明している。アンジェは先週リリアンが勉強している横で既に予習していた範囲だ。
(人の上に立つ者こそ清廉であれ、誠実であれ、と、努力なさっているフェリクス様を邪魔立てするようなことは……いけないわ、アンジェリーク……)
(しかも……わたくし自身の利になるというわけでもない……)
もし日程がずれて、両方に参加できるようになったとして。喜ぶのはアンジェでもフェリクスでもなく、リリアン・スウィートなのだ。恐縮して、しかし大喜びする顔が見たい。人知れず泣いているかもしれない彼女に手を差し伸べたい。アンジェの利になるとすればそれくらいか。かといって、リリアンがエリオットの試合に行くことを考えると──少年が上級生に交じってグラウンドを駆ける姿を、頬を染めて応援するであろう姿を想像すると、昏い感情が頭をもたげてくる。貴女のために、わたくしがフェリクス様にお願いして、無理を聞いていただいたというのに。その眼差しの先にいるのが、どうしてわたくしではないの。
「このように、ある程度以上の魔法は、その構造と系統をよく理解することが重要です。自分が得意な系統かどうかも大きく影響します。本校では全ての系統を実習で実践しますが……」
身体の中を、黒い炎が蛇のように這いまわっているような気がする。これは嫉妬の炎だ。リリアンさんの隣にいるのは、リリアンさんが見つめる先で微笑むのは、いつもわたくしでありたい……。いつかこの蛇はわたくしという殻を破って、醜い魔物の姿となって出てくるのではないか。わたくし自身が、実はその醜い魔物だったのではないか……。
(……駄目ね……)
祥子の記憶にもあった。少女たちが想い人を教え合って、親しい間柄だけの秘密にして、暇さえあれば恋を語り合う。ほんの一瞬言葉を交わすために協力し合い、些細な触れ合いでも大事件のように喜び合って。いざ想いを伝える時には、真心からの応援で送り出す。それが、同性の友人に想い人がいた時の振る舞いだと思っていた。実際に去年は、クラスメイトの恋をそのように皆で応援したりもした。
(リリアンさんとも、そんな風になれたらいいのに……)
そうなれたらいい、そうありたい、そうならなければ。
見かける度に呪文のように唱え続けているアンジェの目線の先で、リリアンはいつも以上にせかせかと忙しそうにしていた。追試が明けてから、祝賀会で出す菓子の準備と、お菓子クラブの活動開始に向けた準備を並行してこなしているのだ。それに加えて授業の宿題と、サリヴァンとクラウスが出す補習教材もある。アンジェももとより手伝うつもりだったので一緒に作業をするが、菓子のレシピや材料の話になると全くもって分からない。サロンメンバー改めお菓子クラブメンバーもよく顔を出して細々としたことを手伝ってくれる。彼女らは先日のお菓子作り実演を見てからというもの、自分でも作ってみたいという気持ちが大きくなったらしく、リリアンをあれこれと質問攻めにしていた。
「オーブンは絶対魔法オーブンの方がいいですけど……そうすると、他の機材を買うお金が足りなくなっちゃうんですよねえ」
「なるほどねえ……リリアンさん、専用の道具をあまり使わないでも作れるお菓子はありませんの?」
「必要なら、私費で賄っても良いのではなくて? 卒業するときに寄贈ということにして……」
「そうですねー……ボウルと泡立て器とヘラがあれば、最低限どうにかなるかなあ……型も欲しいところだけど……道具に制限がある中で作るのも面白そう……」
「もし体験入部の方がお家でもお菓子を作ろうと思った時に、道具から揃えるのでは面倒ですわ。専用の道具がなくても、家のキッチンにありそうな道具で作れるところから始められると謳えば、参加者も増えるのではないかしら」
「素敵、名案ね!!!」
調理機材カタログを覗き込みながら、あれやこれやと喋りまくる令嬢たち。あの日のサロンにたまたま参加していたアンジェのクラスメイトとそのスカラバディ達だったが、いつの間にか互いをファーストネームで呼び合うようになり、お菓子作りについて熱心に調べたり部員募集のチラシに載せる文言を真剣に考えるようになっていた。リリアンは彼女たちに囲まれて、忙しくも嬉しそうに備品やレシピを検討し、時にはアンジェの誕生祝賀会のメニューの相談もしている。その顔は溌溂としてきらきらとしていて、アンジェの良く知ってる、大好きなリリアンの顔だった。お菓子作りに没頭することで、エリオットの試合に行けないことを考えないようにしているのかもしれない。そんな考えが頭をよぎらなくもなかったが、それを差し引いても、お菓子のことを話しているリリアンの顔が、アンジェは一番好きだった。
「絶対、アンジェ様のパーティーでは、フォンダンショコラがいいと思うんです!」
王宮の菓子厨房まで出向き、国内屈指のパティシエ達との打ち合わせで、リリアンは気後れするどころかどこかの政治家か軍人が乗り移ったのではないかという勢いで、鼻息荒く拳を握り締めて熱弁した。
「殿下の! 胸焼け……胸がいっぱいになるほどの! アンジェ様への愛を表現するには、蕩けるショコラ、これしかありません! 皆様の素晴らしい技術の精巧なお菓子に敵わないのは分かっていますが、素朴な見た目とあったかとろとろショコラのギャップ、行けるんじゃないでしょうか!」
「いや、いいと思うよスウィートさん、この前のパウンドケーキもすごく良かった」
「クッキーもいい塩梅だったよな」
菓子厨房の休憩室に集まったパティシエたちが顔を見合わせながらうんうんと頷き合う。パティシエは大体全員が頑健な男たちで、ただでさえ小柄なリリアンは彼らに囲まれるとそれこそ幼い子供のように見える。
「あれはどこのレシピなの? 自分で考えたの?」
「えへへ~内緒なんです~」
「ええ~教えてよ、あんないいレシピで学校の部活なんかやられた日にゃ、俺たち仕事なくなっちゃうよ」
「いっそスウィートさんもここで一緒に働こうよ」
「えっええっ本当ですか!?」
「腕は確かだしフェリクス殿下とイザベラ殿下のお口添えがあれば、なんだって行けるだろ」
「ええ~ええ~、ほ、本当ですかあ~!?」
パティシエに囲まれて嬉しそうに話すリリアンの横顔を、アンジェは休憩室のテーブルの端に座りながらしみじみと眺める。この楽しそうな顔を、あの少年は見たことがあるのだろうか。幼い日の思い出の中にはあるいはあるかもしれない。けれど今、こうして生き生きとしている彼女は、他でもないわたくしのために、わたくしの祝賀会に出すお菓子のために、時間を割き骨を折って下さっている。
(なんて、浅ましいのでしょう……わたくしは……)
(けれど……)
それが、どうしようもなく、嬉しい。
先の約束だったからなのか。王子と王女からの直々の依頼だからなのか。はたまた大好きなお菓子に関することだからなのか。……大好きと言ってくれるアンジェの為なのか。理由はどれでも良かった。エリオットの試合とアンジェの誕生祝賀会を並べて、どんな理由であれ、リリアンはアンジェを選んだ。それが嬉しい。彼女の心の中に自分が住んでいることが証明されたような気分だ。リリアンが無理をしてこちらに出ると言っていやしないか、エリオットの試合を見に行けないことを悔やんではいないか。それを気遣うような口ぶりで何度もリリアンに大丈夫かと尋ねてしまい、その度にリリアンがにこりと微笑んで自分を、自分だけを見上げてくれるのが、何よりも嬉しかった。
「大丈夫です、アンジェ様。私、絶対美味しいお菓子を作りますし、一人にもなりません」
もう一つそれらしい理由があるとすれば、乙女ゲーム「セレネ・フェアウェル」フェリクスルートのシナリオと、それに従わせようとする見えない力の可能性だった。悪役令嬢に閉じ込められてしまう主人公と、それを助ける攻略対象。見えない力がどのように作用するか分からないとすると、リリアンがどこかに一人閉じ込められてしまう可能性は大いにある。それを考えると、一人でサッカーを応援に行くよりも、アンジェやお菓子クラブメンバーやパティシエたちと一緒にいた方が安全かもしれない。当初はそれを理由にお菓子作りは危険ではないかと言っていたアンジェだが、その点は完全にリリアンに押し切られてしまった。
(……リリアンさんのお気持ちを考えると……試合に行くよう、勧めるべきなのかもしれない……)
(でも……それは、しませんわ……)
交換日記の文面を眺めながら、アンジェは独り言ちる。サリヴァンが文面を積極的に直してやるようにと助言したので、リリアンが書いたところに鉛筆で小さく注釈を入れるようになった。
(浅ましいと言われてもいい……)
(リリアンさんを、手離したくない……)
リリアンの無骨な文字に、アンジェの注釈の小さな文字が絡むように寄り添う。
一度書いたらわざわざ消さないと消えない文字と同じように。わざわざ離れない限り、ずっとリリアンさんと一緒にいられたらいいのに。
また、明日も、大丈夫と答えてくれるだろうか。
(……きっと……)
そうすれば、胸の奥で燻っている昏い炎をしばらくは見なくても済む。
アンジェが机の傍らに置いたペンダントロケットをぎゅっと握り締めると、ぽん、とマリーゴールドの花が咲いたのだった。




