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19-3 重なる想い

 あの後、リリアンは予鈴ギリギリにアンジェのクラスに交換日記を渡しにやって来た。目は少し腫れており仏頂面で、アンジェが何か口を開く前に、予鈴を言い訳にして自分のクラスルームへと戻っていった。アンジェは授業中にその様子を思い出しているうちにいたたまれなくなり、次の休み時間にリリアンのクラスに顔を出した。


「スウィートさんはいらっしゃる? 二年のセルヴェールが来たとお伝えください」


 入口に一番近い席の女子生徒に声をかけると、ギョッとしてアンジェの顔を凝視し、それから慌ててリリアンを呼びに行った。一人ぼんやりと席に座っていたリリアンがぎくりとするのが見える。パタパタと駆けてくるリリアン。教室中が、その挙動を目で追っているような気がする──


(……何かしら、この視線……)


 王子の婚約者という立場上、アンジェは生徒たちに注目されるのには慣れている。大抵は羨望で、少しばかりの嫉妬もあるかもしれないが、どれも熱っぽいことには変わりない。それに比べ、リリアンに注がれる視線は、じっと注視している割にはいやに冷ややかだった。


(最下位だったから、ということ……?)

(それにしては、遠巻きと言えばいいのかしら……)


「アンジェ様、お待たせしました、なんでしょうかっ」


 駆けて来たリリアンも、どこか焦っているようにも見える。


「いえ、その……今日、お昼をご一緒しませんこと?」

「あっ! はい、是非ッ! あの、私、アンジェ様にお願いしたいこともあって!」


 驚いて顔を赤らめたリリアンの挙動を、みなじっと観察しているように思える。言葉の一つ一つを拾い上げて、中身を切り裂いて単語の意味の裏の裏まで探るような、そんな視線。リリアンは分かっていて無視しているのか、あるいは気付いていないのか、いつも通りのふるまいそのものだった。


(どちらにせよ、ここで聞くのは良くなさそうね……)


「ありがとう。それではお昼に、カフェテリアでお会いしましょうね」

「はいっ!」


 立ち去る背中にも、その視線がべっとりと貼りついているようだった。




*  *  *  *  *




 カフェテリアでは予想通り、リリアンががばりと頭を下げて「ごめんなさい、追試になりました。勉強を教えてください、見捨てないでください、アンジェ様」と言ってきた。一緒についてきたルナが大爆笑したのでアンジェは流石に彼女を叱り飛ばし、他のクラスメイトと一緒にリリアンを慰めた。リリアンはしくしくと泣き出してしまい、「頑張ったんですけど、難しくて……」としきりに呟いていた。


 アンジェはフェリクスに頼み、放課後の貴賓室でのお茶を三十分で切り上げさせてもらった。フェリクスはとても残念そうだったが、事情を話すと「他でもない君の大切なリリアンくんの為なら仕方ないね、時間も限られているし」と微笑んだ。その代わりとばかりに人払いをすると、アンジェを自分の膝の上に座らせ、熱烈に唇を重ねた。眩暈がするほど濃厚な口づけは、退出の時間になってもなかなか終わらなかった。


「朝の彼のこともフォローしてあげるといい。きっと傷ついているから」

「……はい」


 名残惜しそうに頬を撫でながらの一言にアンジェが頷くと、フェリクスは微笑みながらもう一度軽くキスをして、それから婚約者を見送った。蕩けるキスが、胸の痛みを少しだけ隠してくれるような気がした。


 カフェテリアでルナたちと一緒に待っていてもらったリリアンと合流する。頬が赤い、とアンジェをからかうルナをばしりと叩いてから校門に向かい、リリアンと共にセルヴェール家の馬車に乗り込む。リリアンは思うところがあるのだろうか、ずっとだらだらと汗をかきながら押し黙って俯いている。アンジェは無理に話すこともないだろうと、隣に寄り添ってその手を握ってやった。きゅっと握り返してきた小さな手が、可愛らしくて暖かかった。


 セルヴェール邸につくと、アンジェはリリアンを自室ではなく応接室に通した。王宮にも引けを取らない玄関ホール、ふんだんにあしらわれた魔法ランプやシャンデリア、ドアというドアから次々に出てくる召使たち。リリアンはきょろきょろおどおどとしていたが、アンジェと一緒に鞄を引き取られ、服の埃を取り払われ、案内された応接室のふかふかの長椅子に座ると、改めて周囲を見回して呆然と呟いた。


「アンジェ様……アンジェ様、アンジェ様のおうち、すごいです、お城です」

「このまえ王宮に行かれたでしょう? あれこそお城ですわ」

「王宮は王宮なので、もちろんお城ですけど……ここもお城です。私一人だと玄関まで戻れません。きらきらしすぎです」

「ふふふ、大丈夫ですわ。わたくしの部屋はもう少し地味でしてよ」


 応接室の調度品は隣国風の、淡い色合いで繊細な模様を描き出した華奢なものが多い。それがこの屋敷の中でもより華美な雰囲気を醸していることはアンジェも理解している。壁一面がガラス窓で、よく手入れされた中庭を一望することができる。小さな広場の噴水を中心に季節の花や紅葉した低木が美しく手入れされ、奥の方には小さな森も見える。空を飛んでいたスズメやメジロなどが、しきりに窓の中を覗いてはちゅんちゅんピーピーと鳴いている。リリアンはえへへと笑いながら彼らに手を振ってやると、鳥たちは嬉しそうにその場をくるくると旋回していた。


 侍女がお茶の用意をしながら、リリアンのことをニコニコと眺めている。彼女には当たり障りのない範囲でアンジェが話しているので、ようやっと実物を見ることが出来た、と言ったところだろうか。置かれたカップは三つ。リリアンはそれを見て怪訝な顔をする。


「あの、アンジェ様」

「なあに?」

「追試の勉強を見ていただけるんですよね?」

「ええ、そうよ」

「私……恥ずかしながら、全教科追試になってしまったので……少しでも早く始めたいです」

「大丈夫、間もなく始まりますわ」 


 アンジェがにこりと微笑み、小菓子を乗せたティースタンドも置かれた頃、こんこん、と入口の扉がノックされた。


「アンジェリークお嬢様。サリヴァン先生がお見えになりました」

「ありがとう、お通しして下さい」

「承知いたしました」

「……失礼いたします」


 初老の女性の声と共に、扉がゆっくりと開かれる。入室してきたのは声の通りの人物だった。深緑色の古めかしいドレスを着て、杖を突きつつも背筋を真っ直ぐに伸ばして立っている。色の白い肌にはたくさんの年齢が刻まれ、一つにまとめた髪も殆ど白い。


「ご機嫌よう、アンジェリークさん。アカデミーご苦労様でした」


 女性──サリヴァンは応接室に一歩入ると、ゆっくりと優雅に礼をして見せた。


「ご機嫌よう、サリヴァン先生。お忙しいところありがとうございます」

「あの……リリアン・スウィートです。アンジェ様にお招き預かりました。ご機嫌よう」


 アンジェとリリアンも立ち上がって一礼する。老婦人はにこりと微笑むと長椅子と応接テーブルの前までしずしずとやってきて、もう一度礼をしてからゆっくりと二人の対面に腰掛けた。身体は華奢というよりは老いて痩せたといった雰囲気で、足の長い水鳥が湖面に立ち尽くしているかのような、克己的な眼差しで二人をじっと見つめた。リリアンがびくりと身体をこわばらせたのを見て取ると、ホホホ、と小さく笑う。


「そんなに緊張なさらないで。ようこそおいで下さいましたね、スウィートさん」

「こちら、マリアンヌ・サリヴァン先生は、私たち兄妹を代々ご指導くださっている先生ですわ」

「そ、そうなんですね」

「ええ。特にアンジェリークさんは抜きんでて優秀な生徒ですよ」

「うふふ、ありがとうございます、先生。光栄ですわ」

「試験の結果は、自己採点の通りでしたか」

「はい、おかげさまで。フェリクス様にお褒めいただきました」

「それはようございました」


 ニコニコと談笑する教師と生徒。同じくニコニコしながらカップにお茶を注いでいる侍女。リリアンが居心地が悪そうに鞄を膝に抱えて小さく縮こまっている様子を見て、さて、とサリヴァンは面差しを正した。


「スウィートさん、アンジェリークさんから貴女のことを聞いていますよ。試験の解答用紙を見せていただけますか」

「はい……」


 リリアンは目に見えてしょぼくれ、顔を真っ赤にしつつ、しかし抵抗はせずに通学鞄から紙束を取り出した。アンジェの位置から見ても、赤字でバツがたくさん書かれているのが見て取れる。


「これです……」

「ありがとう」


 サリヴァンは懐から細い眼鏡を取り出してかけ、それでも眉間に皺を寄せながら解答用紙を一つずつ眺めていった。何か言うわけでもなく、表情が変わるわけでもなく、一枚一枚をくまなく見ている。リリアンは青ざめてガタガタ震えながらその様子を見守っている。蛇に睨まれた子リスだわ、とアンジェが考えた頃、サリヴァンが小さくため息をついた。


「スウィートさん。一つご質問です」

「は、はい」

「現在の魔法科学の礎となる、魔法脈を発見した魔法科学者の名は?」


 突然の問題にリリアンはギョッとしたが、うーんと首を傾げた後、恐る恐る呟いた。


「アウレリア・ルミナリス、でしょうか」

「その時の国王は誰でしたか?」

「……エリオン……三世?」


 サリヴァンは、ちらりとアンジェの方を見て──


「正解です」


 目尻の皺を深くして微笑んだ。


「同じ問題が試験にも出ていましたよ。今わたくしの質問には正解できたのに、試験では誤答になっていました」

「…………」

「スウィートさん」


 名前を呼ばれ、リリアンが膝の上できゅっと両手を握り締める。


「アンジェリークさんは気付いていらっしゃいますよ。どうか楽になさって。……アンジェリークさん、貴女からお伝えなさい」

「はい、先生。……リリアンさん」


 アンジェは身体をリリアンの方に向ける。リリアンは不安そうに、いや怯えた表情で、アンジェの顔を見る。小さな手はいつものように震えているだろうか? 手に取って、胸に押し抱いて、安心させてやってから話した方が良いのではないか? アンジェは思わず手を伸ばしそうになったが、小さく唇を噛んで自分を律した。


「貴女……読み書きを始めたのが、つい最近なのではなくて?」

「…………ッ」


 リリアンが息を呑む。


「お話ししていると、聡明なところも多くありますのに、書き文字だけ小さな子供のようで……綴りも初歩的なところで間違えているでしょう。試験で苦労なさるのではないかと……心配で、サリヴァン先生に相談していましたの」


 アンジェの言葉に、サリヴァンも頷く。


「アンジェリークさんからお話を伺って……ノートは秘密とのことなので、今日の解答用紙で初めて筆跡を拝見しましたが、私もそのようにお見受けします。授業はしっかり聞いて、理解できているのですね」

「ここにはわたくしたちしかおりませんわ、わたくし、リリアンさんの助けになりたいの。フェリクス様にも、追試のお手伝いをするとしかお伝えしていませんわ」


 戸惑いなのか、周知なのか、リリアンは何も言えずにただアンジェとサリヴァンの顔を見比べる。アンジェは一歩身を乗り出し、今度こそリリアンの手にそっと触れる。


「お話しいただいたとしたら、わたくしたち二人以外、決して他言致しませんから……」


 リリアンはびくりと身体全体を震わせたが、手を引きはしなかった。アンジェがその手を包むに任せ、うなだれて自分の膝を見る。


「お願い、リリアンさん……力にならせてちょうだい」


【天下の公爵令嬢がお前みたいなちんちくりんの追試の面倒なんか見ねーよ!】


(そんなことはない……そんなことは決してないわ)

(わたくし、リリアンさんをお助けするわ……貴方の出る幕はなくてよ、エリオット・アンダーソン……)


 アンジェの言葉に人知れず熱が籠ったところで、リリアンが唇を噛んで顔を上げ、えへへ、と愛想笑いのようなものを浮かべてみせた。


「アンジェ様……サリヴァン先生……さすがです。私、頑張ってたつもりだったんですけど、試験の結果は誤魔化せないですね」

「リリアンさん……」

「あの……アンジェ様。ごめんなさい。私、今、十三歳なんです」

「……えっ?」


 アンジェは驚いて目を見開く。フェアウェルローズ・アカデミーの入学要件は、九月一日の時点で十四歳であることだ。身分を問わず、等しく試験に合格した同じ年の少年少女が集められ、ひとところの学び舎で学ぶことが教育理念の一つに上げられている。


「だって……入学要件に、十四歳と……」

「そのー……ちょっと、家庭の事情といいますか……先日迎えに来た父は、父なんですけど、父じゃなくて……えーと、その、遠い親戚のような、そんな感じで……よ、養子に、なったんです」

「……まあ……」


 アンジェは思わずサリヴァンを仰ぎ見る。サリヴァンも驚いた顔をしているが、真っ直ぐな姿勢のままお茶のカップに手を伸ばし、ゆっくりと首を振った。まずは話を聞けということだ。アンジェもそれに気圧される形で押し黙り、リリアンを見遣る。リリアンはアンジェが動揺しているのをしっかり見ていたようで、ごめんなさい、と乾いた笑いを浮かべた。


「そのー……詳しくは、話せないんですけど……養子に、なった時に……年齢を誤魔化して次の九月にフェアウェルローズに入学しろ、試験を受けろ、と言われて……どうやって誤魔化したのか、私には分からないですけど……試験は、選ぶ問題が多かったので……合格してしまいました」


 アンジェは入学式の新入生入場の列を思い出す。同級生に比べて明らかに背が低かったリリアン。泣きそうになるのを堪えて震えていたリリアン。背が低いのは個性、泣きそうなのはコルセットを締めすぎたせいとばかり思っていたが。


 自分より一つ年上の同級生たちに囲まれて。

 バレやしないか、ボロがでやしないかと、怯えて、泣いていたのだろうか?


「……そうだったんですのね……」


 こくりと頷いたリリアンの瞳から、涙がぽろりとこぼれた。


「それまでは、シルバーヴェイルで平民……同然に、両親とぼんやり暮らしていただけだったんです。小さい神殿が学校もやっているようなひなびた村で……みんな、読み書きとかそんなに必要としていなくて。私も、文字は一応覚えたけど、何か文章を書くような用事なんて全然なかったから、そんなに真面目にはやってなくて……首都(セレニアスタード)に来てから、一生懸命、綴りの勉強、してたんですけど」

「先ほどの問題は、授業で聞いたのを覚えていたのですか?」

「はい……ノートを上手にとれないので……せめて、耳で覚えようと……」

「そうでしたか」

「でも……」


 ぽろり、ぽろりと、心のかけらのような雫が、少女の制服のスカートに染みを作る。


「追試に、なっちゃいました……」

「……そう……」


 アンジェは相槌を打つのが精一杯だったが、サリヴァンはカップをソーサーに戻し、厳しい目つきでリリアンを上から下までじっと観察した。リリアンは視線に気が付いて身体をこわばらせたが、サリヴァンは小さく微笑んで目を伏せる。


「もともと一年飛び級している状態だったのですね」

「……はい……」

「更に、読み書きを本格的に始めたのも、ほぼ入学試験と同時期からだったと」

「……は、はい……」

「ご自宅では、家庭教師はどなたかお付きなの?」

「家庭教師……」


 リリアンは何か気色ばんだが、唇を噛み締める。


「……父はあまり、そういうのに疎いといいますか、熱心じゃないといいますか……合格さえすればいいだろう、病明けということにして特待生になれたのに、これ以上余計なお金を使わせるなと……だから、学校の図書室で本を借りたりして、自分で、書き写したりしてました。でも、学校の本って、学校で習うことの本なので、私にはまだ難しいのが多くて……でも、父が試験の結果を見たら、どうなるか……分かりません」

「そうですか」


 サリヴァンは何度も深々と頷くと、ゆっくりとその場に立ち上がった。リリアンの前までやって来て、膝をついて、しわがれた手でリリアンの手にそっと触れる。驚いたリリアンの顔と、驚愕に青い瞳を見開いてるアンジェの顔を交互に見て、慈悲深く柔らかく微笑んで見せた。


「そのような状況で、よくここまで進歩されましたね。試験には正答もいくつかありました。貴女の素晴らしい努力の成果です。誇るべきことですよ」

「……はいっ……」


 サリヴァンの濃い茶色の瞳に、涙でぐしゃぐしゃになったリリアンの顔が映る。サリヴァンはまさしく幼子にするようにリリアンの肩に手を置いて、とん、とん、と優しく叩いてやる。いたたまれない気持ちになったアンジェも手を差し伸べると、リリアンはアンジェに縋りつくようにして泣き崩れた。


「アンジェ様っ……だま、黙ってて……ごべん、だざいっ……!」

「……リリアンさん……」

「わっ、私っ、アンジェ様、こ、交換、日記……へた、下手くそで……ごっ、ううっ、アンジェ様っ……」

「リリアンさん、いいのよ、いいの。大丈夫ですわ」

「アンジェ様ぁぁぁぁああ~」


(……リリアンさんが泣いているのを見るのは、何度目かしら)


 リリアンの髪を撫でてやりながら、アンジェは内心呟く。


(こんなに……こんなに大きな重責を、抱えていらしたなんて……)

(お話の中に、お母様のことは一度も出てこなかった……)

(父親が、ミミちゃんを処分しろと言い……無茶な進学を強要して)


 いつかのスウィート男爵の値踏みするような視線を思い出して、アンジェは鳥肌が立つのを感じる。


(あの父親……いえ、スウィート男爵は、実のお父様ではなかったのね……)

(分かる気がしますわ……あの冷たい眼差し……)


「大丈夫よ、リリアンさん」


 それでもアンジェは、心の隅の方で安堵してる自分を微かに感じる。


「わたくしも出来る限りのお力添えをしますから……何としても、追試で合格点を取りましょうね」


 それは、リリアンの秘密を知ることが出来たからなのか。

 リリアンの力になってやれることが、自分にもあるからなのか。

 あるいは──その役を、あの少年ではなく、自分が担うことが出来たからなのか。


「ありがとうございます、アンジェ様……私……私、頑張ります……」

「ええ、一緒に頑張りましょうね」


 アンジェの内心など知る由もなく、リリアンはアンジェを見上げて頷き、またしても号泣する。サリヴァンがニコニコと笑っていたが、構わずにアンジェはリリアンの涙をいつものハンカチで拭ってやったのだった。






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