19-2 重なる想い
秋晴れの週明けに、試験結果が本棟正面入り口脇に張り出された。最高学年の首席は当然フェリクス、三年はイザベラ、二年はアンジェだ。更には三人とも全教科満点。フェリクスと共に掲示を見に来たアンジェは、期待と結果が一致した安堵に深々と息を吐いた。
「何とかなりましたわ……」
「アンジェ、今回も全教科満点じゃないか。素晴らしいね」
「フェリクス様こそですわ、連続記録を更新なさいましたわね。おめでとうごさいます」
「ありがとう、僕の聡明なアンジェリーク。君もおめでとう、僕は自分のことよりも君の努力の成果が誇らしいよ」
「ありがとうございます、フェリクス様」
「いつもこの瞬間だけはどうしても緊張するな。問題が解けても、解答欄がずれていなかったか、綴りを間違えなかったか……心配は尽きないよ」
フェリクスもどこか疲れたような、安堵したような顔をしている。彼は入学以来ずっと全教科満点を取り続けているので、その重圧は相当なものだろう。アンジェを心配して付き添ったり、無茶な要望を聞いてやりつつも、待っている合間は必ず本を読んでいるフェリクス。アンジェが覚えている限り、哲学書や政治学、歴史に関する本ばかりで、少なくともアカデミーの教科書ではない。アンジェが尋ねると、息抜きに冒険小説を読むこともあるよとはにかんでいたが、学業の予復習と試験対策をして、更にその上を行く本も読んでいるのだ。予定やタスク管理は専任の秘書官がいるとはいえ、彼のストイックな向学心と研鑽の結果が、四年連続全科目満点という結果につながっているのは自明の理だった。
「フェリクス様は本当に素晴らしい方ですこと、未来の国王陛下は聡明であらせられます」
「ありがとう、アンジェ。素晴らしい淑女である君の夫になるのだから、これくらいはね」
アンジェがフェリクスに寄り添うと、フェリクスが微笑んでその肩を抱いた。国王ではなく君の夫、という言葉が何だかこそばゆかった。掲示板を見にやって来た他の生徒がその様子に気が付いて若干ざわめく。
(そう言えば、リリアンさんは……)
むつしかつた、と交換日記の文面を思い出しながらアンジェは周囲を見回す。きっとリリアンも朝一番に結果を見に来ている筈だ。人ごみを縫うように探すと、掲示板と植え込みの間の隅の方で、しゃがみこんで頭を抱えているストロベリーブロンドが目に入った。
(あらまあ……)
(大変なのではと、思ってはいましたけれど……)
アンジェは続いて掲示板に視線を移す。リリアン・スウィート、リリアン・スウィート。愛しいスカラバディの名前は、全教科最下位のところに記載されていた。
「えっ……」
「ん? どうかしたかい、アンジェ」
「い、いえ、何でもありませんわ」
思わず声が出てしまったアンジェは口をつぐむ。リリアンは猶も頭を抱えて動かない。むつしかつた、と言っていたから、上位ではないことは察していたが、まさか最下位──それも、全科目で最下位とは。フェリクスはまだリリアンにも掲示板にも気が付いていないようだ。どうしよう、せめて王子に気付かれる前に、ここを離れた方がいいか。アンジェがほんの数秒逡巡する間に、人ごみの前の方を青髪の少年が横切った。
(エリオット・アンダーソン……!)
息を呑むアンジェと泰然としているフェリクスには気がついていないのか、エリオットは掲示板を見上げてふーんと鼻を鳴らす。アンジェがさっと見るに、彼の順位は理数系がやや上位、他は中堅といったくらいか。エリオットは自分の順位を手帳にメモし、それからもう一度掲示板を見て、視線が一番下に行ったところでうげっと声を出した。
(リリアンさんの順位も見たのだわ……)
エリオットはしかめ面のままきょろきょろと辺りを見回し、うずくまって自分の頭をぽかぽか叩いているリリアンを見つけ、更にうげっと声を出す。
「おや、あそこにリリアンくんがいるね」
「──ッ!!!」
頭上からフェリクスののんびりとした声が聞こえてきてアンジェは飛び上がった。
「酷く落ち込んだ様子だね、結果が芳しくなかったのだろうか……アンジェ?」
「フェリクス様、ふぇ、フェリクス様……」
アンジェは意味もなくと周囲を見回す。どうしよう、どうしたらいい。あのまま二人がこちらに気が付かずに会話する様子を見たい。アンジェは考えがまとまらないままフェリクスの腕を引いて、そろり、そろり、とリリアンとは遠ざかる方向に導いていく。
「あ、アンジェ、どうしたんだい?」
「失礼いたします、フェリクス様」
戸惑うフェリクスの肩に手を乗せて、アンジェは婚約者の耳元に唇を寄せる。
「……一年生の掲示板の、一番下を、そっと、ご覧くださいまし」
「…………あ」
フェリクスは僅かばかり頬を染めつつ、アンジェの言う通り視線を動かし──思わず声が漏れてしまった。次いで二人がリリアンの方に目線を遣ると、エリオットがちょうどリリアンに話しかけたところだった。
「あれは……」
「殿下後生ですわお静かに……!」
自分の腕にしがみつくアンジェの必死さに気圧されて、フェリクスも何となく黙る。周囲は他の生徒の歓声やら落胆の声やら入り混じるが、神経を集中させれば二人の声がなんとか聞こえてくる。
「……リコ」
「……リオ……!」
がばっと顔を上げ、アンジェの想像通り涙目のリリアン。エリオット少年は一瞬ぎくりと凍り付くが、すぐに平静を装う。
「リオ~……どうしよう……全部最下位だった……」
「うん見た……やばそうとは思ってたけど、全部って逆にすごくね?」
「すごくない! どうしよう~……」
「ま、お前、元からバカだからなあ」
「うるさい……バカって言う方がバカなんだよ……」
リリアンは自分の膝の上に突っ伏して頭を抱えてしまった。
「どうしよう……お父様に叱られるし、追試でアンジェ様とお買い物に行けなくなっちゃった……」
「アンジェ様って、スカラバディのセルヴェール様?」
「うん、試験が終わったらお買い物に行きましょうって約束してたの……」
「あーあ。お前がぶっちぎりのビリだって知ったら、買い物どころかバディ解消かもしれねえぞ」
「嘘っやだっそんなの!」
再び顔を上げるリリアン、ニヤニヤ笑っているエリオット。リリアンは立ち上がって両の拳を握り締め、少年をギッと睨み上げる。
「アンジェ様そんな人じゃないもん!」
「ははっ、どうだか」
「そうだもん! 優しいもん!」
「全教科ドンケツビリって知ったら人は変わるかもしんねえぞ」
「アンジェ様は違うもん!」
「もんもんもんもんうるせえな、それよかこれ全科目追試だろ、どうすんだよ」
「うるさくない! これから勉強するもん!」
「ほらもんって言った、ガキくせえんだよチビリコ」
「言ってない! チビじゃない!」
「チービ」
怒り心頭のリリアンを見て、少年はどこか嬉しそうにニヤリと笑う。
「どうせお前みたいなバカが一人で勉強したって無駄だろ。このままじゃ留年確定だな」
「そんなことないもんっ!」
リリアンの声が一際大きくなり、周囲の生徒が驚いて振り向いた。おい声でけえよ、とエリオットが顔をしかめ、ごめん、とリリアンが縮こまる。生徒達が首を傾げ、興味を失って目線を戻した頃、エリオットが盛大にため息をついた。
「あーあ、お前がここまでバカだとはなあ、バカリコバカリコ」
「…………」
リリアンはうつむいてブルブル震えている。
「バカリコは救いようがねえよなあ。バカリコの面倒なんて誰も見ねえよなあ」
芝居がかった動作でやれやれと肩をすくめるエリオット。
「しっかたねえから、俺が」
「……何よ、さっきからバカバカバカバカ……どうせ私はバカですよ最下位ですよ追試ですよっ! リオはバカな私なんかに構ってないでとっととどっか行ったら!?」
「……え」
噛みつかんばかりの勢いで食ってかかって来たリリアンに、エリオットはたじろいで一歩後ずさる。
「いや、だから、俺がその……勉強、見てやろうか」
「いい! バカって言う人に教えてもらったらバカになるからいい!」
「……んっだよそれ、可愛くねえな、人がせっかく」
「アンジェ様に教えてもらうからいいっ!」
「……はっ、そーかい! 天下の公爵令嬢がお前みたいなちんちくりんの追試の面倒なんか見ねーよ! 留年しちまえバーカ! ブース! クソバカリコ!」
「うるさい、リオなんか大っ嫌い! あっち行ってよ! リオなんか知らない!」
リリアンはボロボロこぼれた涙を制服の袖で拭い、ばたばたとその場を走り去ってしまった。残された少年は呆然とストロベリーブロンドの背中が小さくなり、校舎の中に消えていくのを見ていたが、やがて盛大にため息をつく。
「……んっだよ……アイツ……」
だん、と右足で地面を強く踏むと、青い髪をがりがりと掻きむしって首を振り、自分も校舎の方へと歩いて行ってしまった。
「…………」
「…………もういいのかい、アンジェ?」
二人から離れたところでアンジェに命綱のようにしがみつかれていたフェリクスが、不思議そうに首を傾げながらアンジェに囁く。
「よ、よろしいですわ……大変失礼いたしました」
「いいよ、大丈夫。リリアンくんを心配していたんだね」
フェリクスはニコニコ微笑みながらアンジェの手を取ると、二人が走り去っていった校舎入口の方に視線を遣った。
「彼はリリアンくんの友人なのかな。随分と……気心知れた間柄のようだね」
「ええ……」
アンジェも同じ方を見ながら上の空で呟く。
(リリアンさん……見たことのない表情をなさっていたわ……)
(幼馴染どうし、軽口を叩き合って……)
(アンダーソンさんは、からかってはいたけれど……勉強を教えるつもりだったようですわ……)
(きっと、リリアンさんのこと、悪からず思っている……)
(リリアンさんも……)
(けれど……)
「……アンジェ?」
「あっ、ごめんなさい、ぼんやりしていて」
フェリクスが不思議そうに顔を覗き込む。アンジェが我に返って慌てふためくと、フェリクスはにこりと微笑んだ。
「試験期間中、君との時間があまり取れなかったからかな。今日の君は一段と美しく見える。リリアンくんを心配する君のまなざしは、建国の女神そのものかと見紛うよ」
「……そんなこと……」
「そんなことがあるものだよ、アンジェ」
フェリクスは上機嫌に笑うと、さあ行こう、とアンジェの手を取って歩き出した。アンジェは婚約者にエスコートされながら思考がめまぐるしく回る。
(フェリクス様は……小さな変化も、すぐにお気づきになられる……)
(今以上に、振る舞いに気を遣わないといけないわ……)
(フェリクス様にも、リリアンさんにも)
(気が付かれてはいけないもの……)
それでも。
(勉強は、わたくしを……頼って下さるのね……)
(彼ではなく、わたくしを……)
この胸が暗い澱みを押しのけて希望に疼くのは、止められそうになかった。




