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18-5 茹で汁は捨てるなよ、それにモチゴメを浸すからな+久方ぶりの鮮烈

 爆散したポットの破片もようやく片付け終わったあたりで昼休みも終わるかという時間になったので、二人は剣術部の部室を後にした。ルナによれば剣術部にフェリクスの武具は置いていないらしい。アンジェは内心がっかりしつつ、並べられた武具をしげしげと眺めながら退室した。


「そういえば、ルナ」

「何だ」

「貴女、どうして今日は誘ってくださったの? リリアンさんを押し除けてまで……」

「ああ……」


 本棟へ向かって歩きながら、ルナはふふふと笑う。


「お前、昨日の定例会で、魔物の大将みたいな顔をしてただろう。あの後姫御前が大層心配なさっていたんだ」

「まあ、イザベラ様が?」

「御前が御自ら子リスを捕まえておくから、話を聞いて来いと仰せでな。……行ってみたらその顔だ」

「そう……イザベラ様にもご心配をおかけしてしまったのね……」

「もし原因が殿下だったら、御前には言いにくいやもしれぬとのご配慮だ。子リスに用事があるのも本当らしいが」

「以前も似たようなことがありましたのよ、お二人は何をなさっているの?」

「さあな」


 ルナは肩をすくめてみせながら、アンジェを──その完成された美しい曲線美を、横目にじっ……と眺めた。アンジェは視線に気が付かずに首を傾げているだけで、ルナはクックッと笑った。


 部活棟を出て渡り廊下に差し掛かると、本棟入り口あたりに小柄な人影が二人、連れ立って並んでいるのが見えた。ストロベリーブロンドは遠目にもよく分かる、リリアンと、その隣はイザベラだ。


「リリアンさん……!」


 アンジェは足が竦んで立ち止まる。ルナがニヤニヤと二人を見比べている間に、アンジェの顔がみるみる赤くなっていく。


「ルナ……どうしましょう、リリアンさんがいるわ……!」

「どうもしないだろ」

「だって……」


 アンジェは目を伏せ、ハンカチを取り出して握り締める。


「さっき……ルナが、あんなこと、仰るから……」


 潤んだ瞳。赤らんだ頬。恥じらう表情。まさしく恋する乙女の顔になったアンジェを見て、ルナは一瞬呆気に取られ、それから爆笑した。


「おうおう、そうか、そんなに子リスと乳繰りたいか」

「ちっ……下品な物言いをなさらないで!」

「何を今更」

「今更じゃないわ……」


 アンジェは握りしめたハンカチで、口許を隠す。


「たった今よ……」


 ルナは息を呑んで、親友の横顔をまじまじと見る。微かに震えて、切なげに眉をひそめて、だが真っ直ぐにリリアンを──想い人を見つめている、真摯な眼差し。その視線の先で、リリアンがこちらに気づき、慌てふためいて隣のイザベラに何か話す。イザベラはニコニコと頷くと、二人してアンジェたちの方を向く。視線が合う。アンジェは一瞬くらりとよろめいて、ルナが差し出した手に支えられて何とか踏み止まる。


「……ルナ」


 アンジェは震える声で呟く。

 見つめる先で、リリアンがこちらめがけて駆け出した。イザベラはその後にしゃなりと歩きながら追随する。リリアンの背中で軽やかに揺れるストロベリーブロンドが、風を受けてふわりと舞い上がる。


「なんだ」

「わたくしが──もし、わたくしがこのまま、心臓が爆散して死んでしまったら、骨を拾ってフェリクス様に届けてちょうだい」

「……ぶふっ!」

「アンジェ様ぁ!」


 生真面目なアンジェの物言いと、盛大に吹き出したルナの笑い声に、リリアンの叫びが重なった。


「アンジェ様、アンジェ様っ……あのっ……!」


 息を切らせて駆けてきて、リリアンはアンジェの腕に取り縋る。アンジェの顔を覗き込むなりボロボロと大粒の涙をこぼし、それを手の甲で拭きながらぐずりぐずりと鼻を啜る。


「あのっ、私、どこがダメでしたかっ!?」

「……えっ?」

「あっ、アンジェ様、いっぱい、その、ほ……褒めてくださると思ってて……! 可決はされたけど、そ、そんなに、だ、だ、ダメだったんでしょうか!?」


 身構えていたアンジェが戸惑う前で、リリアンは更にしゃくり上げ、とうとう最後には声を上げて泣き出してしまった。


「アンジェ様ぁ〜ごべんだばい〜私頑張りばずがら〜」

「ちょ、ちょっと、リリアンさん」


 アンジェは慌てて握りしめていたハンカチで涙を拭いにかかる。


「嫌いに、嫌いにだらだいでぐだばい、アンジェ様ぁ~うわああああ」

「どうしたの、落ち着いてリリアンさん、何の話ですの!?」

「アンジェ様ぁぁあぁぁ」


 拭いても拭いてもとめどなく溢れる涙に、アンジェは胸の疼きなど吹っ飛んでしまいおろおろと辺りを見回す。ルナは壁に手をついて肩を震わせていて何の役にも立ちそうにないが、ようやっと一同の許に辿り着いたイザベラが、にこりと微笑んだ。


「ご機嫌よう、アンジェちゃん、大変ね」

「ご機嫌よう、イザベラ様、あの、これは……」

「わたくしには詳しく分からないのだけれど」


 イザベラは人差し指を顎に当てて、小さく首を傾げる。


「交換? 日記? を、読んだとか……」

「ぞうだんです~アンジェ様ぁぁぁぁ」


 リリアンがアンジェの腕をつかんでがくがくと揺さぶる。


「いざ、いざべ、イザベラ様の……お話が終わって! アンジェ様、な、何を書いてくださったかなって……思って……見たら……わ、私……私……!」

「交換日記をご覧になって……それで、泣かれているの?」

「あ、あ、アンジェ様、絶対、お、怒ってるって……」

「急に泣き出して、それからずっとこの調子ですの。仕方ないからとりあえずアンジェちゃんのいる所に行きましょうと、連れて来ましたのよ」

「……まあ……それは、わたくしのバディにお心を寄せて頂いて、イザベラ様……」

「いいのよアンジェちゃん、リリアンさんはお友達だもの。……でも、ずっとこれではね」

「はい……」


 アンジェは驚きを隠せずに、自分に縋りついて泣いているリリアンを見下ろした。たった一文しか書けなかった交換日記。涙の跡がシミになっているのもそのままで、皆にしたのと同じ言い訳で言いくるめるか、あるいはエリオットのことを察してくれやしないかと思っていたページ。それを見て、こんなに泣いている? わたくしが怒っているって……あれを読んで、どうしてその結論に至るのだろう?

 

「リリアンさん。落ち着いて。わたくし、怒ってなどいませんことよ」


 アンジェは猶も涙を拭いてやりながら、リリアンに囁きかける。


「ほ……ほんとですか」

「ええ」

「私……かける言葉もないくらい、プレゼンが酷い出来だと、怒っていらっしゃるんだと思って……」


 髪と同じストロベリー色の睫毛が、涙に濡れて束になっている。瞬きする度に新しい涙が泉のように溢れ出て頬を転がり落ちていく。アンジェの手が、ハンカチが、その雫を一つ一つ追いかけて丁寧に拭っていく。


「リリアンさんとの今までのことを……思い返していたら、胸がいっぱいになってしまって……言葉になりませんでしたの。本当よ」


 視界の端で、ルナがイザベラに略式の礼をしているのが見える。イザベラは微笑みながらそれを受け、何か話しかけている。

 

「……じゃあ……怒って、ないんですか……?」

「ええ」


 見上げたリリアンに頷く時に、胸の奥がずきりと痛んだ。本当と言えば本当だし、嘘と言えば嘘になる。泣きたいのはこちらの方だ、エリオットのことを問い質して、今までの二人の関係は何だったのかと問い詰めて。泣いてしまいたい、晒してしまいたい、けれどそれ以上に、貴女がこんなに泣いているのを見る方が胸を打つ。アンジェの顔を、疑いを知らぬ紫の瞳がじっと覗き込む。呆然とした顔が少しずつ安堵に蕩けていって、やがてリリアンはがしりとアンジェに抱き着いて、制服に顔を埋めた。


「良かった……アンジェ様……!」

「ええ、良かったわ」


 アンジェは肩に手を触れようと手を差し出し──自分の鼓動が早くなっているのに気が付いて、少しだけ躊躇う。


(ルナが、変なことを言うから……)


 きゅっと手を握り、小さく息を吸って、それから、そっと、肩を優しく撫でた。小さな肩はもう震えていない。制服のジャケットの下の肌は、温かく柔らかだろうか。想像に頭の芯が痺れかけたところに、昼休み終了の予冷が鳴った。


「ほら、ちゃんとお顔を拭きましょう。午後の授業が始まりましてよ」

「ひゃい……」


 アンジェはうさぎ刺繍のハンカチをリリアンに渡した。リリアンは素直に受け取って自分の目尻や鼻水を拭う。このやりとりも何度目になっただろうか。せかせかと小動物めいた仕草(子リスの毛づくろいだとアンジェは思った)でリリアンは顔を拭き、手櫛で髪を整え、それからぎゃあと悲鳴を上げてアンジェの制服についた涙と鼻水の跡に飛びついた。


「ご、ごめんなさい、アンジェ様、制服が!」

「これくらい大丈夫ですわ、すぐ乾いてしまいましてよ」

「でも、き、汚いです!」

「大丈夫ですけれど、貴女がお気になさるなら、予備の制服に着替えますわ」

「わあ……本当、ごめんなさい、アンジェ様……」

「よろしくてよ」


 アンジェは笑いながらため息をつくと、リリアンの髪にそっと触れた。ゆるやかなウェーブの弾力が指先に心地よい。


「リリアンさん。お菓子クラブ設立可決、おめでとう。素晴らしい、非の打ちどころのないプレゼンテーションでしたわ。さすがはわたくしのスカラバディですことね」


 リリアンの顔が、日差しに花開く南国の花のように、ぱあっと明るくなる。


「あ、あ、ありがとうございますっ、アンジェ様っ!」

「貴女の幼馴染のことも、今度聞かせてくださいませね」

「はい……はい!」


 ありったけの精神力で平静を装った言葉にも、リリアンはあっさりと頷いた。朝のアンジェよりも更にひどく瞼が腫れてしまっているが、借りたハンカチを握りしめ、うふふふ、と嬉しそうに笑みをこぼす。


「アンジェ様……」

「なあに?」

「アンジェ様」

「なにかしら」

「嬉しいです。良かったです」

「頑張りましたものね」

「はい……アンジェ様、ありがとうございます! 大好きです!」


 ああ、その笑顔。

 わたくしにも、そんな顔で笑っていただける、可愛い貴女。

 それだけで、わたくしは──


 ぼぼぼぼぼん!!!!


「きゃっ!」

「何だ!?」


 アンジェは全身の血が頭に集まって、頭皮から一気に迸ったのだと思った。その瞬間に周囲で何かが破裂する音がして、リリアンが驚いて身をすくめる。ルナが、護衛官がイザベラを壁側に庇う。通りすがりの生徒たちが驚いて振り向く──


 一同の頭上に、ひらひらと舞い落ちる、小さな紫色のもの。


「これは……」

「花?」

「すみれだ……」

「何で?」

「どこから……」


 どこからともなく現れたのは、大量の、季節外れの、すみれの花だった。まるで桜吹雪のように風に吹かれて舞い散る光景に、その場に居合わせた者たちは歓声を上げる。アンジェは覚えのある──身体を静電気が駆け抜けたような感触に、おそるおそる、ルナの方を見た。ルナはアンジェと視線が合った瞬間、バッと視線を外して口許を覆う。肩がブルブルと震えて、それ以降決してアンジェの方を見ようとしない。


【魔法だよ、魔法】

【今からそんなんじゃそのうち手に負えなくなるぞ!】


 ルナの声が耳にこだまする。まさか、まさか、これも。


「すごいすごい! 何これ!」


 怯えていたリリアンも顔を上げて瞳を輝かせ、小さな手ですみれを取ろうとぴょんぴょんと飛び跳ねた。そのうち一つをなんとか捕まえると、掌に乗せて覗き込み、ニコニコ笑いながらアンジェの方を振り仰いだ。


「綺麗ですね、アンジェ様!」


 こんな時なのに。

 昨日はあんなに泣いたというのに。

 やっぱり貴女は、なんて可愛いの。

 身体が熱い。顔が熱い……何もかも、燃えてしまいそう、黒い炎が……。


「あっ……あっ、アンジェ様!?」


 リリアンの悲鳴で、アンジェはようやく、自分の顔の中央から迸る鮮烈が制服を真っ赤に染めていることに気が付いた。


「やだ……わたくし……また……」

「きゃーっきゃーっアンジェ様ーっ!!!!」

「アンジェ!」

「アンジェちゃん!」


 止まらない鮮烈とすみれの花吹雪の中、アンジェはふらりと倒れたのだった。






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