16-4 リリアンさんのお菓子をいただく会
フェリクスとリリアンは医務室に行こうとしつこく食い下がったが、アンジェはサロンが終わった後に具合が悪かったら行く、と二人を押し退けた。強い口調のアンジェを見てイザベラがコロコロと笑い「アンジェちゃん、顔色も良いし、様子を見てもよいのではなくて? 心配ばかりしたいなら箱の中に小さく畳んでしまっておけばいいでしょう」と言ったのが決め手となり、サロンは続行することとなった。アンジェが礼を言うと、一つ年上のスカラバディはうふふ、と笑い返した。
「いいのよ。愛と心配は同じではないと知る良い機会でしょう」
「素敵な言葉ですわね、覚えておきますわ」
フェリクスもリリアンもまだまだ心配そうな顔をしていたが、二人がクスクス笑い合うのを見て、互いに顔を見合わせ、深々と溜息をついたのだった。
全員がパウンドケーキ五種類を全て食べたかという頃になって、いよいよお菓子作り実演の運びとなった。リリアンはアンジェとルナを連れてカフェテリアまで行き、事前に用意して魔法氷室で保管しておいてもらった材料を持って戻ってくる。卵、牛乳、砂糖、小麦粉、細々としたトッピング類。一つ一つを仮設テントのテーブル上に並べ、何かのメモを見ながらチェックし、よし、とリリアンは気合を入れた。
フェリクスとイザベラは二人の護衛官が椅子を移動させ、そこに腰掛ける。残りのサロンメンバーたちはテーブルをぐるりと取り囲む形になる。テーブルは会議室にあるような簡易的なものを三つ並べており、端の一つには魔法オーブンが二台置かれていた。
「それでは、お菓子作りを始めます。私がやり方を言ってアンジェ様に作っていただき、時々みなさんにもお手伝いいただきます」
リリアンはパウンドケーキを一同が食べているのを見るうちにすっかり緊張は解けたようで、はきはきニコニコと話し、ぺこりとお辞儀をした。助手として横に立つアンジェもそれに合わせて軽く頭を下げる。
「今日はカップケーキを作ります」
「わたくし、精一杯お手伝いさせていただきましてよ」
リリアンが落ち着いても、今度は隣のアンジェの胸に不安がよぎる。作るものが難しいレシピではないと知って欲しいからアンジェに実演して欲しいと頼まれたはいいが、今の今まで料理らしい料理などしたことがない。レシピも一通り読んだが、そつなくこなすことが出来るだろうか?
「卵を割ります。こちらの王室御用達の卵……素晴らしいです、生でも安心して食べられるなんて、一個いくら……素晴らしいです。プリンを作りたいです。それを割ります」
リリアンがうっとり目を細めながら卵を二つ取り出し、一つをアンジェに手渡した。リリアンは手慣れた手つきでガラスボウルの端にこんこんと叩きつけ、ひびが入ったところに指を入れてぱかりと割る。満月のように黄色く丸いものが透明なものに包まれてつるんとボウルに落ち、一同は歓声を上げた。
「すごい、卵ってこうなっているんですのね!」
「白身のところは最初から白いわけじゃないのですね……」
「あら、あそこを髪の毛のケアに使うと良いんですのよ」
「まあ、本当?」
料理と縁のない令嬢達は生卵を見る機会も殆どないらしい、身を乗り出して生卵がぷるぷるしている様を見てきゃあきゃあと騒ぐ。アンジェは自分に手渡された、氷室から出したばかりでひんやりと冷たく、白い殻がざらざらした卵をおそるおそるボウルの縁のところまで持ってきた。
(こんこん、ぱかり、とリリアンさんは仰っていたけど……)
予め練習した方が良いか、と尋ねたアンジェに、リリアンは首を振った。本当に初めての人がやる方が見る方はイメージしやすいからだという。失敗しても大丈夫、と言われたが、隣であんなに上手にやられたのでは、さしものアンジェリークも緊張せざるを得ない。いいえ、大丈夫よ、アンジェリーク。貴女なら出来る。アンジェは卵を握り、落とさないようにと祈りながら、ボウルの端にそっと打ち付けた。こん、と音はするが、ひびが入る様子は全然ない。こん、こん。
(もっと力を入れないとダメかしら……)
少し卵を持ち上げて、押し付けるようにぶつけると、手の中でくしゃりと殻が崩れ、隙間から白身がどろりと溢れ出した。
「きゃあ、ごめんなさい!」
「大丈夫ですよ、アンジェ様」
為すすべなく手を離そうとしたアンジェに、リリアンが笑いながら手を差し伸べる。アンジェの手の上に自分の手を重ねて左右に引きぱかりとやると、殻に引っかかっていた黄身が、破片を巻き込みながらぽとりとボールに落ちた。
「ごめんなさい、殻が入ってしまって……失敗ですわ」
「全然です、アンジェ様。初めてなのにお上手でした。じゃーん」
アンジェの卵割りの結果を想定していたのだろう、リリアンはにこにこしながらティースプーンを取り出し、うまく白身を掻き分けて殻を掬いあげ、ぴっぴっとゴミ袋に捨てた。
「卵の殻が入っちゃったら、スプーンか何かで取ればいいです。上手に割れなくてもお菓子は美味しく出来ます」
「ありがとう……」
白身が付いた手を布巾で拭うと、リリアンの指示に従い、卵を混ぜて二つのボウルに分け、その他の材料も加えていく。リリアンがふるいだという網が付いた枠のようなものに小麦粉とふくらし粉を入れてとんとんと揺らすと、雪のようにボウルに降り注いでいく。
「綺麗な小麦粉……真っ白で混じり気が全然なくて……このままでも使えそう……」
リリアンはうっとりと呟きながらもう一つのボウルに材料をふるいがけをし、アンジェの作業も手伝った。
「綺麗にふるいがけが出来ました。二つの生地は味付けが少しずつ違います。さあアンジェ様、一気に全部まぜまぜしましょう。卵と小麦粉がしっかり混ざるように、ヘラで混ぜます。ぐるぐるするとケーキが固くなってしまうので、こう、ササッ、ササッとやります」
「はい……こうかしら」
「そうです、上手です」
リリアンの手本を見ながら、アンジェは渡されたヘラでおそるおそる、切りつけるようにしながら生地を混ぜていく。雪原のように真っ白だったボウルの下から、クリーム色の卵の色が現れる。ささっ。さっ。おそるおそる混ぜていくうちに、白とクリーム色が混じり合い、とろとろとした生地に仕上がっていく。リリアンはボウルの端の方に残る小麦粉も掬うように言い、アンジェは剥ぎ取るようにしてそれも混ぜ込んだ。
「いいですね……綺麗です。うまく混ざってます」
リリアンはアンジェの手許を覗き込むとうんうんと頷き、アンジェの手の上からヘラを握り、驚くほど力強く、さっさっさっ、と生地を混ぜた。アンジェは思わずリリアンの横顔を見る。リリアンは見られていることには気づかず、ヘラを持ち上げて生地の落ち具合を確認している。
その横顔が、いつもよりも凛としているような気がして。
「…………」
「こんな感じにもったりしたら、型に入れます」
リリアンはボウルをテーブルに置くと、丸いくぼみがたくさん並んだ板を二枚持ってきた。くぼみのところにぴったりの大きさの紙カップを並べ、アンジェと一緒にスプーンで生地を流し込む。とろとろもったりとした生地はボウルからカップに辿りつくまでにぽたぽたと垂れてしまいアンジェは慌てるが、リリアンはニコニコしながら布巾でそれを拭った。リリアンの動作を見ると、素早いからなのか、スプーンに角度をつけているからなのか、全く垂れずに次々カップによそっていく。アンジェが見よう見まねでやってみると、確かに垂れるのが少し減った。それでも早さばかりはどうにもならず、アンジェが三割、リリアンが七割ほどの比率で全てのカップに生地を入れ終えると、リリアンは頬をバラ色に染め、満足げに頷いた。
「美味しい卵と小麦粉で作ったカップケーキ……絶対美味しいです。もっと美味しく可愛くするためにトッピングをしましょう。皆様、お手伝いをお願いします」
リリアンが示すトレイには、チョコチップ、小さく切った果物、アーモンドスライス、チーズ、ベーコン、金平糖などが小皿に入って並べられていた。ニコニコするリリアンに令嬢たちは顔を見合わせるが、もじもじしていて誰も前に出てこない。アンジェが誰か名指ししようかと身を乗り出しかけると、イザベラの横で腕組みしながら調理風景を眺めていたルナが、すたすたとこちらに歩いてきて、味見係の札をひらひらと見せる。
「係に徹するつもりだったんだが、入れて混ぜるくらいなら出来そうだな」
「ええ、ルナ、ありがとう。仰る通りよ、是非挑戦なさって」
「どれ。……ケーキにチーズなんて合うのか?」
「ふふふ、気になるなら試してみてください」
「おうおう、強気だな、子リスちゃん」
「えへへ。しょっぱい系はこちらのプレートにどうぞ」
ルナは笑いながらチーズをつまむと、カップの一つにぽとぽとと投げ込み、リリアンに渡されたスプーンでぐるぐると混ぜる。
「どれくらい混ぜればいいんだ?」
「適当です。混ぜなくても上に乗っかって可愛くなります」
「そういうもんか」
「そういうものです」
フェリクスとイザベラも席を立ち、ルナの手許を興味津々に覗く。
「焼く前のケーキなんて初めて見るよ。どろりとしているんだね」
「リリアンさんがお好きなトッピングはどちら?」
「どれも好きですが、金平糖が可愛いし、カリッとして美味しいですよ! イザベラ様にぴったりだと思います!」
「ありがとう、そちらにしてみるわ」
イザベラはニコニコしながら金平糖をぽんぽんと投げ入れてぐるぐると混ぜた。
「リリアンくん、僕にも選んでもらえるかな」
「存じませんっ殿下はアンジェ様に選んでいただいて下さいっ!」
「こら、リリアンさん!」
「あはは、いいよ、アンジェ。君が選んでくれると僕も嬉しい」
フェリクスが話しかけると急につっけんどんになるリリアン。アンジェは思わず叱るがフェリクスはニコニコしながらアンジェを止めた。王族二人が近寄ったのを見て、他のメンバーも恐る恐る近付いて来る。生地がカップの中でとろりとしているのを覗き込み、トッピングを見て首を傾げ、あれがいい、これはどうか、これはどうなるのか──隣の者と囁き合ったり、リリアンに相談しているうちに、あっという間に大盛況になった。フェリクスはアンジェと一緒に果物のトッピングを選び、他のカップも端の数個を除いて全てトッピングされた。リリアンはトッピングの間に魔法オーブンの準備を済ませていたようで、オーブン二つにプレート二つを差し入れる。
「すごいわ、とても熱いのね、魔法オーブンは」
「そうなんです、触ったら駄目ですよ」
「魔法じゃないオーブンもありますの?」
「はい、あります、私も前は普通のオーブンを使ってました。魔法オーブンは場所を動かせるし、温度も時間も正確に出来るのでとても便利なんです」
焼き時間は十分ほどだという。東屋の方に戻ってもよいのだが、誰一人戻らず、そわそわとオーブンを覗き込む。そのうちあたりに甘い香りが漂い始め、仮設テントの近くを通る生徒が何だろう、と様子を窺いながら通り過ぎる。リリアンは待っている間に新しいボウルに牛乳を注ぎ、砂糖を入れ、泡立て器でかしゃかしゃとかき回し続けていた。それはみるみるうちにふわふわのクリームになっていって、味見係ルナが得意げに味見をして仕上がりを確かめていた。
ぽーん、と、魔法オーブンのベルが鳴る。




