16-3 リリアンさんのお菓子をいただく会
「王子殿下、イザベラ様。お口に合うか分かりませんが、お試しください」
「うふふ、ありがとう、可愛い子リスのリリアンさん。どれが何のお味なのかしら?」
アンジェはお茶を淹れながら、リリアンの様子を横目に見守る。
「はい、プレーンとお茶っぱ入りです。クッキーはプレーンとチョコチップとナッツです」
リリアンは緊張はしているようだが、怖気づかずにしっかりと説明している。イザベラはニコニコ頷きながら聞いており、フェリクスも微笑みながら耳を傾けているようだ。
「最初は是非、何もつけずにプレーンから食べてみてください。時間がたってもしっとりしているように工夫しました。ホイップクリームはどちらにも合います。ジャムは特に、お茶っぱに合います。キャラメルやハチミツは、私はプレーンが好きです。でもどれも全部美味しいので、お好きな組み合わせを見つけてください」
「そうなのね、ありがとう。ではプレーンを頂きましょう」
イザベラの細い指がカトラリーを手に取り、プレーンのパウンドケーキを小さく切り分けて口に運んだ。花びらのような唇をきっちり閉じて咀嚼して、ゆっくりと飲み込んで。アンジェが淹れたお茶を一口含んで、王女はにこりと微笑んだ。
「美味しいじゃない。王宮のパティシエにも負けていなくてよ」
「えへへ、本当ですか! 嬉しいです、ありがとうございます!」
フェリクスもイザベラ同様プレーンを食べたようで、咀嚼しながらうんうんと頷いていた。東屋のあちこちでも、美味しい、素敵、と声が上がっている。リリアンさんちょっといらして! これは何が入っているんですの? そんな声にリリアンは真っ赤になりつつ嬉しそうに笑い、王族二人に一礼をして声のした方に向かっていった。
「フェリクス様、お待たせいたしました、お茶のお替りですわ」
「ありがとう、アンジェ。君はもういただいたのかい」
フェリクスはいつかのように両手でアンジェの手を包むようにして受け取った。アンジェは微笑みながら頷いて見せる。
「はい、味見でいただきましたわ。どれも美味しくて驚きました」
「なんだ、じゃあまだここでは食べてないんじゃないか。一緒に食べよう。君と食べれば美味しさもより格別になるだろう」
フェリクスはアンジェの手を離さないまま隣の席の椅子を引いて、アンジェをそこに座らせた。アンジェの席の取り皿を手にすると、君は待っているといい、と微笑む。王子はずらりと並ぶ、だが半分ほどに減って来たケーキとクッキーを見てふむと鼻を鳴らし、ニコニコと一つずつ皿に取り、クリームやジャムも綺麗に盛り付ける。一同は王子が婚約者のためにサーブしていると気が付いてざわめき始めたが、フェリクスは相変わらず気にしない様子だった。リリアンは同学年のメンバーたちに質問攻めにされつつ、フェリクスの様子を横目に見て、そりゃあもう素晴らしいものを見たと言いたげにニコニコしている。
「さあ、アンジェ」
「ありがとうございます、フェリクス様」
フェリクスはふわりと微笑むと、アンジェの頬を優しく撫で、親指でそっと唇に触れた。婚約者が驚いて目を見開くのを、その胸の奥で心臓が高鳴るのを確かめるようにじっと見つめ、パウンドケーキを乗せた皿をアンジェの前に置く。アンジェは赤くなった顔を誤魔化すように視線をパウンドケーキに移した。先ほど味見をした時は、ケーキの一番端をリリアンと二人で分け合った。その時もとても美味しいと思ったが、今度はどうだろう? 味見して美味しいと言ったときのリリアンの笑顔を思い出しながら、アンジェはお茶入りのケーキを小さく切り分け、ホイップクリームをつけて頬張る。
「……本当。味見とは違いますわね」
お茶のほのかな香りと僅かな渋み、しっとりとした生地、甘く消えていくクリーム。端を食べた時はもう少しパサついていたような気がしたが(それでも十分美味しかった)、こちらはどこまでもしっとりと滑らかだ。アンジェが驚いて二切れ、三切れと続けて食べるのを見て、フェリクスも嬉しそうに頷いた。
「イザベラも言っていたが、相当な腕前だよ。僕は正直、もう少し……素朴なものが出てくるのではないかと思っていたんだ」
「分かりますわ。味見は端をいただいたので、こんなにしっとりしているとは思いませんでしたもの。雑味もなく、甘味も洗練されていて、それでいてどこか懐かしい風味もあるような……」
「王宮のパティシエ達も、専門的なところまでよく知っている、と驚いていたよ。令嬢が趣味でやっている範疇ではないと」
「まあ……」
アンジェは思わずリリアンの方を見る。リリアンは味見係ルナに捕まったようだが、クッキーとジャムを並べて何やら解説しながら一つずつルナに食べさせては感想を言わせ、周囲がおおーと歓声を上げている。芝生がびりびり震えるかと思うくらいの大きな声に、フェリクスはクスクスと笑った。
「彼女自身が、菓子作りの勉強を何かしていたか……しっかり指導してくれる先生がいるのかもしれないね」
祥子ちゃん、私、パティシエになりたいんだ。
「……!?」
不意に脳裏に閃いた誰かの声に、アンジェは驚いて息を呑む。
いいじゃん。──のお菓子美味しいもん、絶対プロになれるよ。お店出したら私を最初のお客さんにしてね。
まばゆい光が目の前に大量に押し寄せて、何も見えなくなる。
ありがとう。でも……祥子ちゃんは──でしょ。進路がバラバラになっちゃうね。
寂しい?
……寂しいよお! 当たり前じゃん!
ごめんごめん。そうだ、春休みからおんなじところで──しようよ。そしたら進路違っても会えるよ。
いいねそれ! 祥子ちゃん天才!
「……アンジェ? アンジェ!?」
気が付くとフェリクスが顔を覗き込んで──腕に抱くようにしてアンジェの身体を支えていた。アンジェが瞳を開けたのを見るや、大きく嘆息して周りの目も気にせずに抱き締める。
「アンジェ……良かった……」
「あの……わたくし……」
「急に後ろに倒れ込んだんだよ。僕が間に合って良かった。眩暈でもしたのかい?」
「あ、アンジェ様っ、大丈夫ですかっ!?」
アンジェの瞳からぽろりと一粒涙が落ちる。フェリクスは顔を上げたがアンジェから離れようとはしない。リリアンがつまづきそうになりながら近寄ってきて、フェリクスの腕ごとがばりとアンジェに抱き着いた。
「ごめんなさい、アンジェ様に甘えて、準備たくさん手伝っていただいたから、ご無理させてしまって……私……アンジェ様に何かあったら……!」
「アンジェ、無理をしてはいけない、一度医務室に行こう」
「違います……大丈夫です、フェリクス様、リリアンさん」
アンジェは起き上がろうとするがリリアンが重くて身動きが取れない。リリアンに押し退けられたルナがずいずいとやってきて、どうしたものかと戸惑う護衛官を制し、リリアンの制服の首元を掴んでべりっと引き剥がす。リリアンは宙づりになってギョッとするが、ルナが真顔で自分を見てるのを見て、吊るされたまましおらしくなった。アンジェはフェリクスの手を借りて身を起こし、もう一度椅子に座る。
「医務室には行かなくて大丈夫ですわ……」
「アンジェ、しかし」
アンジェは首を振り、額のあたりを手で押さえる。
「……白昼夢を、見たようです」
「夢?」
眉をひそめて聞き返すフェリクス。
イザベラが、ルナが、サロンメンバーが、訝しげに首を傾げ──リリアンはただ一人、宙づりのまま息を呑む。
「……もう、終わりました。だから大丈夫ですわ……」
アンジェは首を振ったが、一粒だけ落ちた涙の理由も、胸が締め付けれるように切ないのも──自分では、何一つ分からないままだった。
アンジェの皿の上の食べかけのパウンドケーキが、まだ綺麗なまま皿に残されていた。




