15-3 補正の行き届くところ
放課後に貴賓室に集まり三人で相談した結果、イザベラをフェリクスの放課後のお茶会に招き、その場で謝罪しつつ手紙を渡すことになった。手紙はアンジェが文面を作り、リリアンがそれを書き写すようにした。リリアンによれば、イザベラのお菓子は手の込んだ砂糖菓子のようだったという。繊細で精緻な細工で、くしゃくしゃで破れかけた包みを開けると、中身はほとんど白い粉と化していたとのこと。きっと素敵なお菓子だった、名のあるパティシエの作品に違いない、とリリアンは熱弁しつつ、眉間に深い皺を寄せながら何とか手紙を写し終えた。
ガチガチに緊張しているリリアン、イザベラの心境が分からず不安なアンジェ、同情的だが機嫌は良さそうなフェリクスが部屋で待っていると、護衛官がイザベラの到着を告げた。リリアンはとうとう自分で「ぴゃっ!」と叫ぶと、ばね仕掛けのおもちゃのようにその場に飛び上がった。アンジェも立ち上がり、フェリクスは持っていたティーカップをソーサーに戻す。
「ご機嫌よう、フェリクスくん。お招き嬉しく存じますわ」
鈴が鳴るような声、ふわりと広がる花の香り。イザベラ・シュテルン・フォン・アシュフォードは、プラチナブロンドをきっちりとシニョンに結い上げてしゃなりと参上した。アンジェは合図をしようとリリアンの方を向いたが、もう限界に近いリリアン・スウィートは顔を真っ赤にして、右手と右足を、左手と左手を一緒に出しながら、王女イザベラの前に歩み出る。
「子リスちゃん、ご機嫌よう、今日はぴょこぴょこしていないのね」
「お、お、王女殿下、ご機嫌うるわしく、わ、わ、私、今日は、お、お、お話があり、ありま、ありまして、アン……セル、ヴェル様と、王子、殿下に、お力添えを、いた、いた、いたっただき、ました」
(ああリリアンさん、落ち着いて……!!!)
見ていてこちらまで緊張してくるようだ。アンジェは刺繍入りハンカチを握りしめ、フェリクスをちらりと見る。フェリクスはさすがに泰然と構えていたが、アンジェの視線に気が付くとにこりと微笑む。大丈夫だよ、アンジェ。唇だけその形に動いて、イザベラへと視線を向ける。その先でリリアンがぐるぐる目を回している様を眺めながら、イザベラが天女のように微笑む。
「うふふ、ありがとう、子リスちゃん。フェリクスくんから聞いていてよ。森のくるみでも届けに来てくれたのかしら?」
「あ、あの、あのっ……」
イザベラはリリアンの言葉は待たずに、護衛官のチェアサービスで席に着いた。リリアンはぎっくしゃっくとイザベラの前まで歩み寄る。
「ごめんなさ……申し訳ありません! わ、わた、私、いただいたお菓子を、だ、駄目にして、しまいました……!」
リリアンは腰から直角にがばりと、深すぎるほど深々と頭を下げる。
「駄目に、し、してしまっ、て、それを、お伝え、す、するのが、遅く……なってしまって! 申し訳ありません! 気持ちを、て、手紙、お手紙に書きましたので、……お、お読み、ください!」
リリアンは腰を折った姿勢のまま、ばっと手紙を差し出した(賞状を受け取る時みたいだとアンジェは思った)。イザベラは微笑みの形は崩さずにゆっくりと瞬きをし、リリアンをじっと見つめ、ふう、とごく僅かにため息をつく。
「お立ちになって、リリアン・スウィートさん」
「はっはいいっ!」
脊髄反射で立ち上がるリリアン、それを上から下までじっと眺めるイザベラ、ハラハラしているアンジェ、ゆったりとお茶を飲んでいるフェリクス。イザベラはポケットから扇子を取り出すとゆっくりと広げ、口許を隠して優雅に微笑んだ。
「転落のことは聞いていましてよ、大変でしたわね」
「ひゃ、ひゃい、あの」
リリアンは手紙を持った手をどうしたらいいか分からずに中途半端な位置で浮かせている。イザベラはゆっくりと扇子を持っていない方の手を差し伸べて、リリアンの手から手紙を引き抜いた。
「お手紙ありがとう。後ほど読ませていただきますわね」
「あ、あ、あ、ありがとうございます!!!!」
イザベラは無言で頷くと、壁際に控えていた自分の護衛官に向けて手紙を差し向けた。護衛官は一礼して恭しく手紙を受け取り、ジャケットの内側にしまう。その様子を横目に確認していたイザベラは、呆然としているリリアンに視線を戻すとクスッと笑った。
「あの時のお菓子など、斯様にお気になさいませんことよ。また美味しいものがありましたら差し上げましょうね。……アンジェちゃんも、子リスちゃんのことが心配だったのね、いじらしいこと」
「はい、イザベラ様、わたくしももっと早くに気が付けばよかったのですが……」
「いいのよ、大変でしたものね、アンジェちゃん。可愛い寝間着はフェリクスくんに気に入っていただけて?」
「…………ッ!」
「イザベラ!」
アンジェの顔が赤くなるよりも先に、フェリクスがギョッとして持ち上げかけていたティーカップを下ろす。
「ここで言わなくてもいいだろう!」
「だって、アンナがものすごい剣幕で『客用ののっぺりした適当な奴では駄目なんです!』なぞ言ってくるのですもの」
「僕が指示したわけじゃない!」
「アンジェちゃん、背が高いから、……サイズが合うか心配でしたのよ」
「その節はありがとうございました、丁度よく着られましたわ」
「そう、良かったわ。フェリクスくんの好みが分からないから気になっていたの」
「イザベラ!!!!!」
従妹相手に赤くなって弁明するフェリクス、俯いて赤くなるしかできないアンジェ、そのアンジェを、俯いた顔の影が落ちる制服のブラウスを、じっ……と見つめるイザベラ。リリアンは無邪気な顔できょろきょろと三人を見比べていたが、やがて何か合点した顔になり一気にのぼせて頬を押さえたが、耳まで赤くなったので隠した意味はなかった。
「アンジェちゃん、どうぞおかけになって。スウィートさんはこちらにいらしてね」
「はい」
「ひゃい!」
アンジェが座ろうとするとすかさずフェリクスが立ち上がってチェアサービスをした。イザベラはその様子を眺めてニコニコ笑っている。リリアンは首を傾げてイザベラの近くに寄ると、イザベラは改めてリリアンを眺め──特に、ささやか極まりない胸元をじっ……と見た。
「スウィートさん、貴女……」
イザベラは手招きをしてリリアンを屈ませる。まだ赤い耳に唇と扇子を寄せて、何事かをひそやかに囁く。
「────っ!!!」
リリアンは驚いて飛び上がり、自分の肩を、その間にあるものを両腕で抱いた。くわっと紫の瞳を見開いてイザベラを──その美しいながらも小ぶりでささやかなシルエットをじっ……と観察する。イザベラは無遠慮までな視線を咎めもせずににこりと微笑んだ。
「どうかしら?」
「ぜひっ! お願いっ! しますっ!」
「やはり。そうではないかと思ったの」
もう一度イザベラはひそひそと囁く。先ほどの緊張はどこへやら、鼻息荒く何度も頷くリリアン。アンジェとフェリクスは訳が分からずに二人を見ていると、イザベラはその場に立ち上がり、リリアンの両肩に手を置いた。
「フェリクスくん。アンジェちゃん。来たばかりで申し訳ないけれど、スウィートさんをお借りしますわ。間もなく戻りますから、二人の時間を楽しんでいらしてね」
「そうなのか? 僕は構わないけれど……」
「わたくしも構いませんわ」
リリアンとイザベラは、戸惑いながら返事をした二人を──特にアンジェのデコルテから始まる曲線をじっ……と見て、何かを決意したかのように頷き合って見せ、いそいそと部屋を出て行ってしまった。
「……どうかしたのだろうか?」
「……どうしたのでしょう、わたくしにもさっぱり」
アンジェは何食わぬ顔で言いながら自分のお茶を飲む。フェリクスは全く何も分からないという顔で首を傾げたが、まあいいか、と明るい声を出した。
「菓子のことは何事もなかったようで何よりだ。イザベラの言う通り、僕たちの時間を楽しむことにしよう」
「そうですわね、そう致しましょう。そうそう、次のわたくしのサロンでリリアンさんが……」
アンジェの話を、フェリクスは穏やかに微笑みながら相槌を打って聞いていた。微笑む彼の隣にいると安心する、何もかもうまくいくような気がする、婚約者の声音はそんな心地にさせてくれる。イザベラとリリアンはどこに行ったのだろう? 二人してあっという間に意気投合して、あの一瞬でわたくしの知らない秘密を共有したというの? お優しいイザベラ様、リリアンさんはとても素直な心根の持ち主でいらっしゃいますの、どうか、わたくしから取り上げたりなさらないで。頭の隅の祈りが少しずつ大きくなって来た頃、イザベラとリリアンが連れ立って戻って来た。
「戻りましたわ」
微笑むイザベラに押し出されるようにして、リリアンが一歩前に出る。背中で揺れるストロベリーブロンドの髪、喜びと自信に満ち溢れた紫の瞳。
「どうかしら」
リリアンが、イザベラが、期待に満ち満ちてアンジェの方を見る。制服を着たリリアンは、先ほどとは特に変わった様子はない。だがこうして尋ねてくるという事は、何かが変わっているのだ──よくよく心眼を凝らして見てみると、どことなくリリアンがより女性らしく、柔らかな曲線を得たような気がしないでもない気がしてくる。
「……そうですわね……」
アンジェはちらりとフェリクスの方を見た。フェリクスはおそらく違いなどまるきり分かっていない、至極真剣に考えこんでいる表情を取り繕っているが、どんな言葉をかけるのが正解か、どうすればイザベラの地雷を踏み抜かないのか、アンジェの様子を探っている気配が伝わってくる。
「……何だかリリアンさんが、先ほどより魅力的に見えますわ」
「そうだな。魅力的になった」
言葉を選び抜いたアンジェに早速便乗するフェリクス。イザベラはくすりと微笑むと、ほらご覧なさい、とリリアンの顔を覗き込んだ。
「わたくしの言う通りになったでしょう?」
「はいっすごいですっ王女殿下!」
両手を握り締めてリリアンはぴょんぴょんと飛び跳ねる。興奮したリリアンの瞳はキラキラと輝いていて綺麗だ、とアンジェは思う。
「うふふ、これから仲良くさせていただくのだもの、イザベラとお呼びしてね、リリアンさん」
「感激ですっ、嬉しいですっ、イザベラ様っ!」
リリアンはがっしとイザベラの手を両手で握り締めてぶんぶんと振った。イザベラは咎めるでもなく、元気のいいこと、と笑いながらされるがままになっている。フェリクスは大事に至らずに事が済んだらしいことに安堵したようで、ニコニコと笑いながら茶菓子に手を伸ばしていた。
(……お二人して、何なのかしら……)
アンジェはどっと疲れて、はしたなくならないように静かにため息をつく。
(……イザベラ様、衣服のお話がお好きではないと思っていましたのに……)
(リリアンさんとは気が合いますのね……)
アンジェははしゃぎ回る自分のスカラバディ二人を、その清楚で繊細で華奢ですらりとしてささやかな線をじっ……と見遣る。
「さあ、わたくしたちもお茶にしましょう。すっかり喉が渇いてしまったわ」
「はいっイザベラ様っお注ぎしますっ!」
上機嫌な二人には、何がどう補正されたのかは問わない方がよさそうだ。
アンジェはそんなことを考えながら、しみじみとため息をついたのだった。




