15-2 補正の行き届くところ
──アンジェリークさま
サロンで出すおかし、きまりました。パウソドケーキとクッキーにしようと思います。いろんな味をいっぱい作ります。日もちするので安心です。
やっぱり、みなさんの前で作るの、やりたいです。みなさんもすこし手つだってもらいたいです。おかし作るの楽しさ、みなさんに伝わるとうれしいです。まほうオーブン、かりられますか。
今日はしゅくだいがいっぱい! がんばります。
アンジェさまのインクは、いつもきれいです。キラキラしてます。私も買いたいです。
リリアン
──リリアンさん
宿題が多いとうんざりしますわね。無事終わりましたか? 試験が近くなったら、勉強会などご一緒できたら励みになるかもしれません。
お菓子サロンでお出しするもの、決まったようで何よりです。リリアンさんが一生懸命作ってくださったお菓子が食べられるかと思うと、とてもワクワクします。実演もとても良いと思います。わたくしにもお菓子が作れるかしら? 必要な道具をカフェテリアで借りられるか尋ねてみましょうね(魔法オーブンも!)。
このインクは、去年の誕生日にエレノア姉様からいただいたもののうちの一つです。美しいインクを使うと、字も丁寧に書きたくなるので不思議ですね。よろしければ今度ご一緒して、素敵な色を探しましょう。リリアンさんの瞳のような素敵な紫色があるといいのですけど!
お菓子で思い出したのですが、イザベラ様にいただいたお菓子はどうなったのでしょう?
アンジェリーク
いつものようにフェリクスとアンジェが校舎前まで行くと、そこで待っていたリリアンが通学鞄と交換日記の袋を抱きしめて、ブルブル震えながら今にも泣きそうになっていた。
「アンジェ様……」
「あらまあ、どうかしまして、リリアンさん」
「アンジェ様……私……私……」
リリアンはアンジェにしがみつくとポロポロ泣き出してしまった。アンジェはフェリクスを見上げ、彼が微笑み返したので、エスコートの手を離してハンカチを取り出し、リリアンの涙を拭いてやる。
「アンジェ様、ごめんなさい、私……」
「ああ、泣かないでリリアンさん……大丈夫よ、落ち着いて……何が貴女を傷つけたのか教えてちょうだい、さあ深呼吸なさって……」
往来のど真ん中でオロオロするアンジェの肩をフェリクスがそっと押して、二人を少し離れたところのベンチまで連れて行く。王子は婚約者とそのバディが寄り添うようにベンチに座ったのをみると、至極満足げに微笑み、自分もアンジェの隣に腰かけた。アンジェはリリアンを慰めるのに必死で、隣のフェリクスには目もくれない。
「リリアンさん、大丈夫よ、大丈夫ですわ……なんでもお話しいただいてよろしいのよ、わたくしたちスカラバディですもの」
「アンジェ様ぁ……」
リリアンは盛大に鼻を啜り、アンジェのハンカチで顔中を拭くと、ものすごく苦い草を口いっぱい詰め込まれたかのような顔になり、丸々一分は押し黙った。ダラダラと汗をかいて、アンジェとフェリクスをちらりちらりと交互に見て──
「生徒会の日に、王女殿下にいただいたお菓子……」
ごくりと、何かを苦しそうに飲み込んで、
「わ、わ、忘れてました……」
ようやっとのことでそう呟いた。
「あの……違くて! 全然忘れていたわけではなくて……あの日、いただいた後、ポケットに入れていたから、階段から落ちた時に潰してしまったみたいで……家に帰って思い出して開けたら、ぐちゃぐちゃになってたんです……それを、アンジェ様がお元気になったらお伝えして、一緒に王女殿下に謝ろうと……思ってたんですけど……その……」
一度話し始めると次々と言葉が転がり出て来て早口になりアンジェにしがみつき、最後は尻すぼみになって俯いた。
「ど……どうしましょう、アンジェ様……」
リリアンは涙目で上目遣いにアンジェの顔を覗き込む。アンジェは思わず高鳴る心臓にごくりと喉を鳴らしつつ、とりあえずまた涙を拭いてやる。
「……いただいたお菓子を潰してしまって、それをわたくしに伝えるのを忘れていた、ということでしたのね……?」
「はい……」
アンジェは首を傾げた。イザベラからお菓子をもらった日、生徒会定例会がありアンジェとリリアンが階段から落ちた日からゆうに一週間は過ぎている。幸いその間、アンジェがイザベラと顔を合わせることはなかったが──
「……リリアンくん、イザベラから菓子をもらったって?」
「はい……アンジェ様と一緒に食べなさいって……」
「そうか、それを駄目にしてしまったのを伝え忘れていたということなんだね」
「はい……」
「大丈夫、イザベラはああ見えて気立ての良い淑女だ、素直に真心を伝えればきっと伝わるよ」
アンジェが何か言う前に、フェリクスが肩越しにリリアンに話しかける。リリアンもくすんくすんとしゃくり上げながらそれに応える。間に挟まれる形になったアンジェは小さく首を傾げつつ微笑むしかできない。アンジェとしては特に何も思うところはないはずなのだが──
「あっ、済まないアンジェ、僕としたことがまた余計な口出しをしてしまった」
「アンジェ様ごめんなさい、私、気が動転して、その」
数分もすると二人とも慌てふためき始めるので、面倒くさいことこの上ない。
「フェリクス様の情に篤いお人柄も、リリアンさんの素直な心根も、わたくしは好きですわ」
「アンジェッ……君という人はっ……」
「アンジェ様ぁぁ〜」
泣きついてくる二人をよしよしとあやしてやるまでがお決まりの流れだ。この日も結局フェリクスがべらべら愛を語り、リリアンがぴーぴー泣くのを宥めているうちに予鈴が鳴ってしまい、放課後に作戦会議をすることを約束してそれぞれの教室へ向かうことになった。
(リリアンさんが言う通り、ルートシナリオに沿うための強制力があるなら、お二人で言葉を交わさずにはいられないのかもしれませんわ……)
クラスルームの自席で予習済の授業を聞き流しながら、アンジェはぼんやりと考える。幾何学ははっきりとした答えが出るので好きな科目のうちの一つだ。
(泥棒猫、と言いたくなる悪役令嬢の胸中も、分からなくはない……)
二人の間に挟まれて、毎度の茶番を見せられて。
何事もないかのように微笑んでみせて、胸をよぎるものが全くないというわけでもない。けれど誰に何を言えばいいのだろう? そもそもアンジェは、誰が誰の何を奪おうとしていることが気にかかっているのだろう?
「…………」
悪役令嬢は、攻略対象を奪われるのを恐れていた。恐れるあまり、主人公に過剰すぎる拒絶反応をしてしまい、自分自身を追い詰めていってしまった。その幼くも切り裂かれるような心情は、アンジェにもよく分かる。
(……けれど……)
ノートを取る手を止めて、アンジェは小さくため息をつく。
(フェリクス様にリリアンさんが接近するのが嫌なのか)
(リリアンさんにフェリクス様が親切になさるのが嫌なのか)
どちらなのか。
その問題を考える度にいろいろな事が──フェリクスの金髪が頬に触れる感触やリリアンの小さな手、二人で食べた朝食、リスが膝の上に置いたくるみなど、あとからあとからたくさんの事が思い出されて、思考が絡まって沈んでいく。
「…………」
教師は教科書の練習問題を解くよう指示を出した。生徒たちが一斉にペンを持ちノートに手を添える気配。生徒たちの八割ほどは正答を導き出すことができるだろうか。アンジェも解法をさらさらとノートに書きつけ、頭の中で検算をする。どうやら間違いはなさそうだ。
(わたくしの悩み事も、このように美しい解が見つかればよろしいのに……)
ため息をついて、アンジェはペンを机に置いた。




