15-1 補正の行き届くところ
──リリアンさんへ
わたくしと交換日記を始めてくださってありがとうございます。気持ちが先走って、まだ貴女に尋ねてもいないのに書き始めてしまいました。
今日は一日ゆっくりと過ごしました。王宮から帰宅する途中に文房具屋に立ち寄り、このノートを見つけました。表紙の模様が可愛らしくて、わたくしたちの名前も入れていただきました。気に入っていただけると嬉しいです。素敵な品物が他にもたくさんありましたから、今度ぜひご一緒しましょう。
帰宅途中、母がとても怒っていると聞いていたのできついお叱りを覚悟していたのですが、母は私の顔を見るなり泣き出して、心配した、無事で良かったと言って、それだけでした。拍子抜けしなかったと言えば嘘になりますわね。父の方が後から細かいことをグチグチとうるさいです。
リリアンさんのお母様はどんな方でしたか? ミミちゃんを大切にしているリリアンさんを見ていると、お母様のお人柄が偲ばれるように思います。
アンジェリーク
──アンジェリークさま
こうかん日記、うれしいです。私、つづりが下手なので、読みにくい思います。ごめんなさい。
かわいいノートうれしいです。
私はきのうも学校に行きました。王子でんかに見つかって、休まないといけないと怒られました。でも私は元気なので困りました。ルネティオットさまがようすを見に来てくれました。
母はやさしい人でした。いつも私をしんぱいしていました。私は母を安心してもらいたくてがんばりました。ミミちゃんを見ると母を思い出します。
アンジェさまは、どんなおかしが好きですか? アンジェさまが好きなおかしを作りたいです。
リリアン
「…………」
戻って来た交換日記の鍵を開け、食い入るように相手の文面を読んだアンジェは、予想外の感覚に面食らって目を見開いた。アンジェはきらきらするラメの入ったお気に入りの青インクで書いたのだが、リリアンの文面は鉛筆で書かれていた。それはいい、乾かす手間もないし簡単に消せる鉛筆を愛用する学生も多い。だが並んでいる字はどこか角張っていて、選ぶ言葉もより平易なものが多く、綴りや文法が間違っている箇所さえあった。
(学年が一つ違うだけで、こんなに違うものかしら……?)
自分の一年前を思い起こしてアンジェは首を傾げる。セルヴェール家のアンジェリークの私室、書斎という名の勉強部屋には、アンジェの一年間の努力の軌跡が山のように詰め込まれている。一つ一つを取り出さなくても、どんな勉強をしてきたかはすぐに思い出せる。文法や綴りどころか、美しい表現を使えるように、筆跡がより美しくなるようにと精進していたのだ。
「…………」
(ご自分で下手と書かれているし……ご自覚はされているのね)
(やりとりを始めたばかりなのに指摘などしたら、やかましく思われてしまうかもしれませんわ……)
アンジェは結局そのことには触れずに返信を書いた。
交換日記のやり取りは毎朝の恒例となった。アンジェが登校するとフェリクスが出迎える。フェリクスにエスコートされて校舎に向かうと、玄関口あたりでリリアンが待っている。二人は挨拶を交わして微笑み合い、汚れないようリネンの袋に入れた日記を相手に渡す。自分が書いた時は、相手は読んだらどう思うのかを想像して。自分が受け取る時は、相手がどんな返事を書いたのかを期待して。言葉少なに、だが親しげにお互いを見つめ合って微笑む二人の横で、たまりかねたフェリクスが毎朝何をやり取りしているのかと聞いてきた。
「あの、えっと」
「手紙のやりとりのようなものですわ」
聞かれることなどとっくに見越していたアンジェは、慌てるリリアンの横でにっこりと微笑む。
「交換日記と言いますの。一冊のノートを共有して、相手へのメッセージを交代で書きますのよ」
「へえ、楽しそうだね。この前のピクニックでは、この事について相談していたのかい?」
「ふふふ、そうかもしれませんことよ」
「僕は君たち二人のやりとりを見ていると、眩しくてたまらない時があるよ。その交換日記のやりとりに、お願いしたら僕も混ぜてもらえるものなのだろうか?」
「申し訳ありません、フェリクス様。これも女同士の秘密ですのよ」
「それを言われると弱いなあ」
「でで、殿下、ごめんなさいっ」
「いいんだよ、リリアンくん。スカラバディが仲睦まじいのは良いことだ」
フェリクスは残念そうではあるものの、口調は上機嫌だった。リリアンは恐縮して小さく縮こまり、アンジェもクスクスと笑った。
フェリクスはリリアンのことをスウィート嬢ではなく、リリアンくんと呼ぶようになった。数日前、アンジェがカフェテリアでルナと昼食を食べていると、神妙な顔をしたフェリクスとリリアンが二人の席までやって来た。リリアンは真っ青な顔でブルブル震えていて、フェリクスは侍女に怒られた時のように、どこか怯えたような表情をしている。それだけで爆笑しそうになったのを必死にこらえるルナを肘で小突きつつアンジェが事情を尋ねると、フェリクスはぽつりぽつりと、生徒会長付のメンバーを貴賓室に招いて昼食にしたところ、親睦のため生徒会長付の間では家名ではなくファーストネームで呼び合うことになったこと、フェリクスも彼らを呼ぶ時はそれに倣ってほしいと要望されたことを告白した。
「意気軒高な一年生男子の発案なんだ……断る理由もない……かといって、スウィート嬢だけ今まで通り呼び続けるのも不自然だ……けれどアンジェ、僕はもう自分の無神経な行動で君を傷つけたくないんだ……」
「…………」
「だからこうして、せめて事前に君に伝えようと、二人してやって来た……」
うなだれるフェリクス、ぶるぶる震えているリリアン。
(ありましたわね、そんなイベント……)
ゲーム内では生徒会長付の他のメンバーは存在せず、攻略対象と主人公は貴賓室で二人きりで過ごし、呼び方について甘々トークをする。そこに運悪く尋ねて来た悪役令嬢が鉢合わせる。生徒会の親睦のために、と弁明する攻略対象の言葉など耳に入らない様子で、悪役令嬢は主人公に強烈な平手打ちをくらわせ、「出ておいきなさい、無礼者の薄汚い泥棒猫!」と意地悪な顔で叫ぶのだ。攻略対象は悪役令嬢の粗野な振る舞いを非難して追い出し、主人公は悪役令嬢をかばう発言をすることで、攻略対象の好感度がアップする。
(まあ……平手打ちは、わたくし自身がすることですし……リリアンさんに危害は及ばないことでしょう)
「……フェリクス様がどなたをどのようにお呼びするか、わたくしが口を差し挟むことではありませんわ」
「アンジェ……」
ルナは椅子の背もたれに突っ伏して、椅子ごとガタガタ震えて堪えている。
「ファーストネームでお呼びなさる方は他にもいらっしゃいますでしょう、イザベラ様ですとか、ルナですとか」
リリアンは泣きそうな顔で、ひたむきにアンジェばかり見つめている。
「イザベラは従妹だし、ルネティオットは同じ門下だからで……それなりに理由がある」
「生徒会長付だから、も、それなりの理由になるのではありませんこと?」
「それは……そうかもしれないが……」
「繰り返しになりますが、フェリクス様がどなたをどのようにお呼びするか、わたくしの思惑の行き届くことではございませんわ。どうぞご随意になさいませ」
「アンジェ……」
「けれど、フェリクス様、リリアンさん、わたくしを慮って下さったお気持ちをとても嬉しく思いますわ」
アンジェは立ち上がってフェリクスの手を取ると、その顔を覗き込むようにして微笑んで見せる。フェリクスは婚約者の笑顔に一瞬見惚れて、それから嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、アンジェ。君は何と美しい心の持ち主だろう」
そのあたりで笑いの堤防が決壊したルナがゲラゲラと盛大に笑い転げ、アンジェははしたないと注意する羽目になった。その横でフェリクスの一億倍はほっとしていたリリアンに、後で二人だけの時にゲームのあらましを説明した。
「なるほど、それででしたか」
「何かあったんですの?」
「いえ、その……昨日、父に厳しく叱られまして……」
えへへ、と笑いながらリリアンは自分の左頬をさする。それは無意識の動作だったようで、アンジェがじっと見ているのに気が付くと慌てて手を離す。アンジェはお父様が貴女に手を上げたのか、と追求したが、リリアンは微笑むだけで何も語らなかった。
「多少のことが違っても、アンジェ様の夢の通りになるように、見えない力が働いているのかもしれません」
神妙な顔で言うリリアンはどこか遠くを見ていて、それが彼女の言葉に重みをもたせていた。
(お父様が叩いたのか、何なのか、分からずじまいですけれど……)
(わたくし自身が明確に手を出したと分かるエピソードで、わたくしが何もしなくても、リリアンさんに何らかの影響がある……)
数日前の出来事を思い出しながら、アンジェは少し前を歩くリリアンの巻き毛が弾むさまを見つめる。フェリクスが何か喋り続けているが、たぶん二人の友情が尊いとかどうとか言ってるだけだろう。
(もう、階段から落ちることはあってはなりませんわ)
(他でもないわたくしが、リリアンさんをお守りするのよ……)
人知れず、アンジェは唇を固く引き結んだのだった。




