14-3 木漏れ日が照らしたもの
「……リリアン・セレナ・スウィートさん」
彼女のために注がれているような陽光を一身に受けたリリアンが、胸許で両手を握り締めて身構える。
「……アンジェ様……」
その彼女を取り囲むように、守るように動物たちが集まり、じっとアンジェの方を見る。雑念のない、だが探るような視線を一身に受け、アンジェは微笑みながら視線を逸らした。
「……何からお話ししたらいいかしら」
「…………」
「一昨日、お父様がお迎えにいらした時の貴女の様子がとても気がかりで……少しでもお力になれたらと考えた末に、交換日記をご一緒にできたらと思い立ちましたのよ」
「……え、何ですか、交換?」
思わずリリアンが聞き返したので、アンジェは頷く。
「交換日記ですわ、お手紙と似ていましてよ。一冊のノートをお友達の間で共有して、そこに交代でメッセージを書きますの。それを見てお返事をしたり、お話をしたり……そうしているうちに、お互いの仲が深まりますわ」
「へえ……」
リリアンは思わず身を乗り出したが、キツネがその腕をトンと叩き、慌てて縮こまった。
「交換日記では、お互いの秘密をこっそり打ち明けることもありますわ。そうしてリリアンさんのお心に寄り添えば、何かわたくしに打ち明けてくださって、お力になれることもあるかもしれないと……思いましたの」
「…………」
「でも……わたくし、リリアンさんに秘密にしていることなんて殆どなくて……」
アンジェはリリアンに視線を戻してにっこりと笑った。リリアンの膝にうさぎがぴょんと飛び乗って来て、リリアンは丸い背をそっと撫でる。
「セルヴェール家の三女で。セレネス・シャイアン候補で、フェリクス様と婚約していて。フェアウェルローズの生徒会では会計補佐。好きな食べ物、飲み物、得意なもの……いろいろありますけれど。どれもこれも、リリアンさんが胸の奥にしまっているかもしれない秘密に比べたら、取るに足りないものだと思いましたわ。……わたくしが、これから一年間の間に起こる出来事を知っていることを除いては」
一年間。
それが、乙女ゲーム「セレネ・フェアウェル」内で経過した時間の総量だ。
「これから起こることを、知っているということなんですか?」
「……未来予知、とでも言えばよろしいのかしらね。夢を見たのです」
ここがゲームの世界で、アンジェの前世はそのゲームのプレーヤーで。その説明を当初はクラウスにも試みたのだが、彼にはゲームという概念が理解しがたかったらしく、あれこれ説明してなんとか動く絵図物語という解釈に落ち着いた。それを今もう一度リリアンにしても混乱させるだけだ。
「……夢……」
リリアンは眉をひそめて思案顔になる。
「そう、夢です。貴女がフェアウェルローズに入学してくること。フェリクス様に生徒手帳を拾われること。生徒会に入会して、生徒会長付になること……」
「……っ」
本当はゲームとは異なる部分もあるが、アンジェはそれは敢えて言及はしない。
「……貴女が生徒会長付となった日に、わたくしが貴女を階段から突き落とすこと」
「そんな、だって、アンジェ様は私を助けてくれました!」
リリアンは叫んでしまい、肩に乗っていた小鳥が驚いて少し飛び上がったが、すぐまた同じところに戻る。アンジェはあの時の浮遊感思い出してしまい、微かに顔をしかめた。
「……過ぎたことは、どうとでも言えますわね。かと言って、全ての物事を全て正確に把握しているというわけでもないのです。未来はいくつかの道に分かれていて、それぞれのあらすじを知っている、と言えば、少しは伝わりますかしら」
「…………」
「冬至祭の日、貴女はセレネス・シャイアンとして覚醒し、セレナの御名を精霊様から授かったことが明かされるでしょう」
リリアンは膝の上のうさぎを抱き締めながら、泣きそうな顔でじっとアンジェを見ている。アンジェはそのまなざしから逃げるように視線を逸らし、両手を弱々しく握り締めた。
「そして……フェリクス様は、わたくしとは婚約破棄なさり……貴女と婚約なさる」
昨日帰宅して、「セレネ・フェアウェル」について書きつけたものを読めば読むほど、アンジェは混乱していった。リリアンは生徒会長付を拝命して、順調にフェリクスルートを進んでいる。自分は何もしていないのに悪役令嬢の嫌がらせも起こってしまった。一年間主人公が現れることを恐れ続け、がむしゃらに努力と研鑽を重ねて来たが、それも全て無駄になってしまうのではないか。ならばいっそ本来の悪役令嬢に戻って、リリアンをフェリクスから遠ざけた方が良いのではないか。フェリクスがアンジェと呼んで微笑んだ時の瞳の形。優しく唇に触れた時の吐息。それらを失わないためにどうしたらいいのか、この紙切れにはどこにも書かれていないじゃないか。
「ごめんなさい、急にこんな事をお話ししても、戸惑わせてしまうだけですわね」
けれど、どうしても。
ミミちゃんを握り締めて震えていた小さな背中を、頭の隅から消すことが出来なかった。
「貴女と交換日記をすることを思い立って……何を書こうかと考えていましたの。考えながら、一昨日のことを何度も思い出して……未来のこととリリアンさんのことを一緒に考えるのが、苦しくなってきたのかもしれませんわ」
「……アンジェ様……」
うなだれたアンジェを、リリアンは大いに戸惑いながら見つめる。
「あの……私、自分がセレネス・シャイアンかどうか、お答えできません。神様がお決めになることです」
「そう……」
「王子殿下と私が、け、結婚だなんて……あり得ないです」
「……そうかしら」
「そうです、私、ちんちくりんだし、殿下はアンジェ様のことが大好きなの、とてもよく分かりますし……わ、私、今、アンジェ様のお話を聞いて、殿下はその……私には、大人の男の人すぎてちょっと無理というか……自分がアンジェ様の立場になったら……ちょっと、愛が重いというか……アンジェ様とご一緒にいる殿下は、とってもとっても、素敵だと思うんですけど、あの」
話すうちにしどろもどろになっていくリリアンは、更に話してるとだんだん顔が赤くなってきて、混乱に任せてすぐ横にいるキツネの背中をぽふぽふと叩く。
「あれ、その、ええと、何言ってるんだろう私……とにかく、殿下と私が結婚とか、ぜぜん、ないです、あり得ないです」
キツネは迷惑そうなそぶりで鼻先でリリアンの手を押し返す。
「わあ、ごめんね、ごめん、私今ちょっと頭がぐるぐるしてて、ごめん」
「…………」
「ごめん、ごめんってば」
リリアンは怒っているらしいキツネの背中を何度も丹念に撫でてやる。黄土色の毛並みが綺麗に揃って艶が出てきた頃、キツネは満足そうに目を細め、リリアンの手のひらに耳のあたりをこすりつけた。アンジェが呆然とその様子を見ていると、リリアンはだんだんと俯き、動物たちをかわるがわる撫で、やがて唇を引き結んでアンジェの方に向き直った。
「……アンジェ様。私、アンジェ様が秘密を話してくれて、嬉しいです。……私のこと、心配してくださったんですよね」
この子のすみれ色の瞳は、見ているとそれだけで引き込まれて眩暈がしそうなのに。
こんなにも真っ直ぐ見つめられて──射すくめられて、粉々に砕けてしまいそうだ。
「……そうですわね。これを話さないことには……込み入ったことをあなたに尋ねてはいけないような気がしましたの」
「アンジェ様」
リリアンはピクニックシートの上を四つん這いで進む。動物たちが慌てて彼女の体から降りたり飛び立ったりする。陽の光をそのまま引き連れて、震えているアンジェの手をリリアンが強く握る。
「私……ごめんなさい、まだアンジェ様に話していないこと、あります。今も話せなくて……でも、少しずつ、話せたらいいなと思います」
「リリアンさん……」
「わ、私が殿下と結婚なんて……ありえないですけど。でも未来の夢がそうなるってなってて、アンジェ様、ご不安だったと思います。アンジェ様、殿下のこと大好きだから」
「…………」
リリアンはアンジェの手を、ミミちゃんを見つけた時のように自分の胸元に引き寄せる。
「未来のことを考えて──もしアンジェ様が私のこと、お嫌いになったら、その時は私はもうアンジェ様のお近くには行きません。生徒会も辞めます。スカラバディもどなたかと交代してもらいます」
「そんな、違いますわ、交代なんて」
「もし、それでも嫌いにならないでいてくださったら……私のスカラバディのままでいてくださったら。私にも、アンジェ様の心配、させてください」
リリアンの瞳に映る自分が、驚いて息を呑んでいるのが分かる。
「私、アンジェ様が大好きです」
真っ直ぐ、吸い込まれそうなほど、正面から見つめられて。
好きと言われるだけで、心臓はこんなにも、跳ね上がるものだっただろうか?
「交換、なんでしたっけ、アンジェ様と一緒にやりたいです」
にこりと笑ったリリアンの笑顔が、ゆらりと歪んで見えなくなる。手を引き戻して顔を覆うが、溢れたものが指先を濡らした。
「リリアンさん……」
「アンジェ様」
リリアンは自分の鞄からハンカチ──うさぎ刺繍の、皺ひとつなくアイロンがかけられたハンカチを取り出すと、アンジェの手を顔からどけさせて、頬を、瞳を、優しく拭う。アンジェはリリアンからハンカチを受け取り、自分で何度も目尻を拭った。
「ごめんなさい、情けないですわね」
「全然です、大丈夫です、アンジェ様」
微笑んでいるリリアンの周りに、また動物が集まって来た。動物たちはリリアンの様子を見て、アンジェの方を見て、おそるおそるアンジェの方にも近寄ってくる。リスが一匹アンジェの膝の上に乗って首を傾げ、手に持っていたくるみを膝に置くと、パッと飛んでリリアンの方へ戻っていった。
「……まあ」
リリアンはクスクス笑いながら、リスの背中を撫でる。
「元気出して、って言ってます」
「まあ、そうなの。優しい子ね、ありがとう」
「動物はみんな優しいです。シルバーヴェイルにいた頃も、森で動物たちと遊んでばかりいました」
「……動物と言葉を交わせるのがセレネス・シャイアンだけなのはご存知?」
「えっ」
ニコニコしていたリリアンがギョッとして硬直する。あまりにもやってしまった感満載な顔でだらだらと汗をかいているので、アンジェは思わず吹き出した。
「あ、あ、あの、アンジェ様、その、私、違くて」
慌てふためくリリアンに、アンジェはクスクスと笑う。
「どうか他の方の前ではお気をつけなさってね。貴女がセレネス・シャイアンなのかどうか……時が来たら、建国の女神と王国の守護神が教えてくださることでしょう」
「ああああああ、あの、その」
「それから、貴女にミドルネームなんてありませんでしたわね、リリアン・スウィートさん」
「……え……」
「誰にでも秘密はありますわ。いつか、わたくしに話してもいいと思える時が来たら……交換日記に書いて、わたくしにだけ教えてくださいませね」
微笑むアンジェをリリアンは呆然と眺め──
「はい……はい!」
その頬を赤く染めて何度も頷いて見せた。
「あの……私、アンジェ様の夢のことも、内緒にします。誰にも言いません」
「ありがとう、でもそれはアシュフォード先生だけはご存知ですのよ」
「ええっ、二人だけの秘密じゃなかったんですか?」
「それはこれから、たくさん増やしていきましょうね。……さあ、お昼をいただきましょう。貴女のお友達からの素敵な贈り物は、わたくしもいただいてもよいのかしら?」
「はい、ぜひっ! ピクニックセットにお手拭きとナイフが入っているので、それで果物を拭いてから切るんです。美味しいんですよ」
「まあ、楽しみね」
「今の時期は野りんごが美味しくて……」
リリアンが再び果物を見繕い始め、アンジェは自分の鞄からテイクアウトの昼食を取り出し、切株の上に置いた。動物たちも食事が始まる気配に興奮したようで、あたりをうろうろと歩き回る。
森の中の二人のピクニックは、大きな手のひらのような陽光に、ずっと包まれていた。




