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14-2 木漏れ日が照らしたもの

 授業が午前で終わる日は、時間がどこかゆったりと過ぎるような気がする。終鈴がフェアウェルローズ・アカデミーに鳴り響き、生徒たちが帰り支度を始めるのを横目に、アンジェは鞄を持って足早に職員室に向かった。教室から戻って来たクラウスを捕まえて面談室に入ると、ここ数日の経緯と自分の考えを手短に説明する。一昨日の事故はクラウスも把握していたようで、アンジェの話に真摯な表情で聞き入っていた。この後の行動のことも話すと、クラウスはしみじみと頷いて同意した。


「良いと思います。ですがセルヴェール、未来はその瞬間になるまで確定していないことを忘れないように。貴女の思うようにはならないかもしれませんよ」

「はい、ありがとうございます、アシュフォード先生」


 心配そうなクラウスに礼をして、アンジェは面談室を出た。実際、クラウスに胸の内を話したところでなにかが変わるわけでもない。それでも、フェリクスによく似た、この口が堅い教師に話さずにはいられない──たぶん、自分は、誰かの同意が欲しいのだ。


「アンジェ様!」


 カフェテリアの入り口では、既にピクニックセットを借りたらしいリリアンが大きな藤のバスケットを持って、ニコニコ笑いながら手を振っていた。


「ごめんなさい、遅くなりましたわ」

「大丈夫です!」


 リリアンの横には、ニコニコ上機嫌なフェリクスと、その横で肩を震わせているルナ、そして彼女のスカラバディのグレースが並んでいる。アンジェが三人を見て首を傾げたのを見ると、リリアンはわたわたと顔の前で手を振る。


「あの、アンジェ様、ここで待ってたら、殿下が通りかかって、それで、そこにルネティオット様と、グレースさんが来て、ええと」

「そこな朴念仁殿下がアンタ達にのこのこついていかないよう、ルナ様が見張ってやってるのさ」

「ま、ルナ、失礼よ、フェリクス様に」

「いいんだよアンジェ、言わせてやれ」


 アンジェは昨日の朴念仁事件はもちろん誰にも話していないし、侍女も当然そうするだろう。だとするとフェリクス自身がルナの兄に愚痴でもこぼしたという事になる。フェリクスは不思議と上機嫌なままだったのでアンジェはそれ以上の追求は諦め、自分の昼食を買った。クロックムッシュをテイクアウト用に包んでもらったものを鞄にしまって一同のもとに戻り、フェリクス、ルナ、グレースの三人に賑やかに見送られながら、リリアンと連れ立って歩き出した。


「それで、どちらに行くんですの、可愛い子リスさん」

「えへへ、森です」

「まあ、森。思いつきませんでしたわ」


 夏に比べて色が褪せて来た芝生を踏んで歩くと、さくさくと小気味良い音がする。


「森がお好きだと仰っていましたものね」

「はい。アンジェ様と行きたかったんです」


 リリアンはバスケットを抱え直すと、ふふふと嬉しそうに笑った。

 森はカフェテリアとは校舎を挟んでちょうど反対側にある。手入れはされているが人通りはあまりないし、確かに二人きりで話すには丁度よいかもしれない。


「あ、アンジェ様、そこじゃないですよ、こっち」


 森の前に辿り着いたアンジェがピクニックシートを敷けそうなところを探してきょろきょろしていると、リリアンは森の奥へ続く道を進み始めていた。アンジェは今いるところまで来たことはあるが、森の中に足を踏み入れたことはない。さんさんと日差しがたっぷり注ぐ芝生に比べて、森の中は薄暗く寒々しく見える。


「……寒くありませんこと?」

「ブランケットも貸してもらえましたから、大丈夫です」


 道の真ん中で、バスケットを抱えて笑っているリリアンは、何だか絵本に出てくる登場人物のようだ。リリアンの後ろの方で、木漏れ日が斜めに差し込んでところどころを明るく照らしている。


「綺麗ですわ……」

「でしょう。秘密の場所があるんですよ」


 リリアンはアンジェのところまで戻ってくると、朝のように手をつないで、森の奥へと誘った。アカデミーの喧騒が、人々の気配が一歩ずつ遠くなる。目が慣れてくると、樹上から差し込む光が眩しいほどだ。あちこちで小さな足音や小鳥の鳴き声が聞こえ、小さな枯れ枝を踏んでぱきりと割れる音がする。


「あっ」


 どこからか小さな鳥が飛んできて二人の周りをぐるぐると回り、チチチと鳴いた。


「こんにちは。……そうなの、今日はアンジェ様と一緒」


 リリアンはニコニコ笑いながら小鳥たちを見上げ、まるで人間に話すような口ぶりで話す。小鳥のうち一羽がリリアンの頭の上に着地する。アンジェが手を離してやると、リリアンはくすぐったそうに頭に手を伸ばし、小鳥はその手のひらのうえにちょんと乗った。


「まあ、可愛い」

「えへへ、ですよね」


 差し出したリリアンの手の上に、他の小鳥もどんどん着地していく。いつの間にか木の幹からリスがかけ降りてきて、リリアンの背中を駆け上がり、首元に自分の頭をすり寄せる。


「……リリアンさんは、動物に好かれるのね」

「そうだと嬉しいです」


 絶対に好かれていますわ。アンジェの言葉にリリアンは嬉しそうに笑う。


(…………)


 建国の女神セレニアを復活させる力を持つとされる聖女、セレネス・シャイアン。セレネス・シャイアンの力を持つものは、人間でも動物でも、万物問わず、言葉を交わすことができると言われている。


「うふふ、やだ、くすぐったいよ」


 リスが肩の上で駆け回るので、リリアンは笑い声を上げた。アンジェも試しに手を上げてみると、小鳥が一匹、ほんの数秒だけ親指の付け根あたりに止まったが、すぐに飛び立ってしまう。昔からそうだ。親兄弟の中では一番動物に懐かれやすいが、その程度でしかない。


【未来はその瞬間になるまで確定していないことを忘れないように】


 クラウスの言葉が脳裏に蘇ったが、アンジェはゆっくりと首を振る。

 これは。こればかりは、もう。


(定められているのですわ……)


「うん、いつものところ。待ってて、もう着くよ」


 無邪気に笑うリリアンについて森の中を歩いていくうちに、少し開けた場所に出た。上を見上げるとここだけ木々の天井が途切れていて、ちょうど昼時の陽の光がたっぷりと降り注いでいる。


「ここです」


 リリアンは大きな切り株にバスケットを置きながらアンジェを見上げる。


「素敵じゃないですか?」

「ええ、とても素敵。絵本の中のようね」

「私のお気に入りの場所なんです!」


 リリアンはニコニコしながらバスケットからピクニックシートを取り出した。赤いギンガムチェックの厚手のキルティングだ。


「あ、ずっと持っていただいてしまいましたわね、ごめんなさい」

「大丈夫ですよお、こう見えて力持ちなんです、私」

「どう見てもそんな風に見えませんことよ?」

「ええー、そんなことありますよぉ」


 笑いながら二人でシートの端を持ってばさりと広げ、靴を脱いでシートの上に乗る。バスケットに入っている木製の皿、カップ、お茶のポットを取り出して二人の間に並べた。アンジェは自分の鞄からテイクアウトのランチを取り出し自分の皿に置く。リリアンの方を見ると、バスケットからはみ出すほど大きなバゲットと、チーズの塊を取り出した。


「……昼食、それですの? シンプルですわね」

「えへへ、見ててください」


 リリアンは自分の皿の上でバケットとチーズを切り分け始めた。アンジェがカップに二人分のお茶を注ぎながら見ていると、リリアンはかなり小さくサイコロ状に切り分けたパンとチーズをどんどん切株の上に置いていく。すると何処からともなく小鳥やらリスやらうさぎやらキツネやらがやってきて、切株の上に木の実やら果物やら可愛い花やらを置いた。


「わあ、美味しそうだね、ありがとう。きのこはちょっと人間は食べられないんだあ、ごめんね。……うん、お腹痛くなっちゃうから。持ってっていいよ。わあ、可愛いお花! どこで咲いてるの?」


 動物たちはみなリリアンの手に乗り、頭を摺り寄せ、膝に乗り、親しげに見上げている。リリアンは一匹一匹顔を覗き込み、優しく撫でてやり、うんうんと頷きながら話しかける。


「あはは、ありがとう、アンジェ様と食べるね。……うん、そう、仲良しなの」


 動物たちを優しく撫で、その手にりんごを手渡され無邪気に微笑むリリアンこそ、まさしく聖女セレネス・シャイアンなのだ。


(…………)


 アンジェは緊張に唇を引き結ぶ。手の汗を誤魔化そうと、制服のスカートの上で握ったり開いたりしてみる。


 セレネス・シャイアンが動物と意思疎通できることは、フェアウェル王国では知られていない。大神官ですらこの単純な事実を知らないのだ。セレネス・シャイアン候補は、赤ん坊が生まれた時に神託によって授けられるミドルネームから選出されることが多い。国民には神託がなくミドルネームのない者もいるし、フェリクスのように嫡子が代々同じミドルネームを継承する家柄もある。アンジェリーク・ルネ・ドゥ・セルヴェールも、ルネという名を大神官の神託によって賜り、名前が建国の女神(セレニア)が司る月を意味している、という理由でセレネス・シャイアン候補となった。一方のリリアンは、ある日突然髪の色が変わったことが神の奇跡の体現だとして、セレネス・シャイアン候補に取り上げられたのだと言っていた。


「…………」


 アンジェはセレネス・シャイアンの要件が万物の生き物と意思疎通ができること、セレネス・シャイアンのミドルネームは神託ではなく建国の女神(セレニア)の御使いたる精霊から授けられること、動物たちはセレネス・シャイアンのことをミドルネームで呼んでいることを──乙女ゲーム「セレネ・フェアウェル」の設定知識として、知っていた。精霊の言いつけで、時が満ちるまでは自分がセレネス・シャイアンであることを秘匿しなければならないことも。


「アンジェ様、見てください、こんなにいっぱい!」


 切り株の上の果物の山を両手で示して、嬉しそうに笑うリリアン。

 その陽光を透かして輝くストロベリーブロンドを、愛しくてたまらない紫の瞳を、アンジェはじっと見つめて微笑む。


 未来はまだ決まっていないと、クラウスは言った。

 けれどセレネス・シャイアンはアンジェではなく、リリアンなのだ──アンジェの前世、安藤祥子が好きだった乙女ゲームと同じように。


「本当、素敵ね。こんなの初めてですわ」


 アンジェはシナリオ通りにリリアンをいじめる悪役令嬢にはなりたくなかった。泣いているリリアンを、強張った表情のリリアンを見て、彼女に寄り添いたいと思った。その心に触れて、もっと親しくなって、支えになれたらと願った。そのために二人の距離を縮めるためにはどうしたらいいのか、必死に考えた。


(…………)


 祥子が子供の頃に友達としていた交換日記。

 秘密を教えてもらうには、まずは自分の秘密を明かすこと。


(わたくしが……リリアンさんに打ち明けられる秘密なんて……)


「──セレナさん」


 これしかないのだ。


「はい、みんな、いろんなものを持ってきてくれて……えっ」


 果物をより分けていたリリアンは、当たり前のことのように聞き流して返事をしてしまった。数秒してからぴたりと手が止まり、息を呑み──呆然と、あるいは驚愕と恐怖が入り混じって、アンジェの方を見る。アンジェは何も言わずに微笑む。リリアンの紫の瞳が、アンジェの青い瞳が、互いの姿を映してゆらりと揺れる。


 リリアンこそが真のセレネス・シャイアンだと、知っていること。


「……リリアン・セレナ・スウィートさん」


 それが、アンジェが明かそうと決めた秘密だった。


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