時刻45 心の傷は癒せない
遅い昼食が始まった。机の端の方の席にシスティアとミリアが珍しく隣同士で座り、ニコニコと笑っている。トキヤはシグレの対面、ミリアの右隣り三つ目に座り、ジョシュアはいつも通り、シグレとトキヤの席を一つ飛ばした、一番奥の上座へと座る。システィアたちとは違い、トキヤ、シグレ、ジョシュアは少々重い空気を醸し出していた。
それに気づいたシスティアとミリアは顔を見合わせ、コソコソと小さな声で話している。
「トキヤお兄ちゃん、心配です。けど、シグレお姉ちゃんもジョシュア様もなんだか調子が悪い……みたい?」
「そうね。トキヤ君は何となく分かるけれど……聞いてみるわね」
システィアは口に手を当て小さな咳払いをつくと、食事に全く手をつけていないトキヤへ語りかけた。
「トキヤ君、食事があんまり進んでいないようだけど、大丈――」
「大丈夫」
重ねられるようにすぐに返ってくるが、しばらく経っても食事には全く手をつけない。
人の死を直接、それも間近で見たのだ。あれほど損壊した人の姿をシスティアも見たことはなかったが、様々な死は小さい頃から見てきた。
獣や魔物が蔓延るナインズティアは、現代の日本ほど平和な世界じゃない。今日いた人物が明日には死体になっていることだってある。フリッツのような戦いの間に訪れる死も、この国では珍しいものではない。
あんな姿を見た後でも、食事を取れる私の方がおかしいのだと頭を悩ませる。
トキヤとのわだかまりを少しでも解消したいシスティアだったが、話が続かないことにはどうしようもない。目をウルウルさせながらミリアに顔を向けると、幼い彼女は困ったように笑顔を返していた。
ならば今度は、とミリアがシグレに声をかけてみる。
「シ、シグレお姉ちゃん……?」
「…………あっ、はい! ミリア、どうしました?」
シグレも心ここにあらずといった具合で、少し遅れミリアへと返答。笑顔はちゃんといつも通りに見える。
シグレの調子を伺うために話しかけたまではよかったが、続く話題を用意してなかったことをミリアは思い出すと、慌てて「なんでもないです!」と濁した。
「うん……? そうですか? それならいいですけど……」
若干、挙動不審さが目立っていたはずなのにシグレはそれだけを返し、またも虚空を見つめて、ぼーっとしている。
問いただされなくてよかった……。ミリアはホッと胸をなで下ろすと、システィアと向き合った。
「システィア様、シグレお姉ちゃんもちょっと変かもしれません……!」
「やっぱり原因はあれ、かしら……」
「あれ……?」
トキヤが持ち出した例の魔法の話。だが、これはミリアに告げるべきではない。
ミリアのきょとん顔に、システィアは左目をウィンクさせて返す。
「ふふふ……大人の秘密よ」
「えぇー……大人ってやっぱりずるいです……」
ミリアは心底不満そうに頬を膨らませていたが、けれどもこれが最善だとシスティアは苦笑した。
「シグレ、ガンズとジョンはどうした?」
「あ、はい。先程、お帰りになりました。今日のうちに王都へと出発したいとのことだったので、弔慰金を含め、報奨金もお渡ししております。後はジョシュア様によろしく伝えておいてほしいと」
「そうか、この雨の中を……。二人には悪いことしたな。シグレにも苦労をかけた」
おかわりを頼む、と空っぽのお皿を手渡すジョシュア。
いつもと変わらぬやりとりにシスティアとミリアはまた顔を見合わせていた。
「兄様は普通。やっぱりさっきの、裏庭で何かあったのか……トキヤ君が問題で間違いなさそうね」
「トキヤお兄ちゃん、問題児ですか……?」
問題児と聞かれ、トキヤのことを思い浮かべるシスティア。
確かに今日はトキヤにかなり振り回されたのは否めない。彼だけが原因じゃないだろうが槍を取りにいくというだけでも、ミリアは町を上から下まで走らされ更には町も獣や魔物に襲われている。システィアとシグレも森まで駆け抜けた。言ってしまえば問題児以上、誰に聞いてもほぼほぼ全員その旗を揚げるだろう。
「あはは……ミリアの言うとおりかもねぇ……」
「トキヤお兄ちゃん、不良さんになっちゃったら嫌だな……」
だが、それも終わったこと。それよりも懸念することがある。先程のジョシュアとシグレの会話で、トキヤが何も言わなかったことだ。ガンズとジョンが既に王都へ向けて出発したというのに、トキヤは何も喋らず、動かない。
くだんの件。シグレが話した、生き返らせる……死者を蘇らせる魔法が出任せではなく本当に存在するものならば、少なくともその人物の亡骸が必要になるのではないだろうか? 魔法の条件を知らなくとも、疑問には思うはずだ。
――本当に存在するの? もし本当にあるのなら、トキヤ君の縋りたい気持ちは共感できる。私だって覚悟をしてないわけじゃない。もしかしたらクレアだって。
もう五年も見つからないのだ。諦められない気持ちはあるが、覚悟は必要になる。彼女が亡骸として戻ることだってあるのだ。ただそのとき、トキヤと同じように感情的にならないかと言われれば、きっと嘘になるだろう。けれども、森で見たシグレの顔を忘れたわけじゃない。
生死が不明な以上、今は時を遡ると言われている【時遡】が欲しい。それこそ本当に存在するか分からないものだけど。
ただただ不可解なのは、今のトキヤのこと。大きな怒号、それが裏庭からならば屋敷にいたシスティアに届かないはずがなかった。
システィアが思うのはあれほどまでにフリッツに執着して、シグレが言った魔法がどんな形でさえ目の前の情報として『ある』のに、どうして――
「システィア様、大丈夫ですか? すごく難しい顔してます……」
「ん、ごめんね。心配させちゃった……?」
システィアが困ったように笑うと、ミリアの方も気を遣っているのかふるふると左右に首を振った。
とにかく真意が分からない以上、トキヤとシグレについて、システィアは口を出すことはできない。どんなに疑問に思っても、当事者ではないシスティアが『生き返らせる魔法について――』なんて、口が裂けても言えるはずがなかった。
ただ、トキヤにも何かしらの考えがあるのだと信じるだけ。
「ひゃっ!」
「うにゃっ⁉」
後ろから突然、二人の肩に手が置かれ、システィア、ミリアがほぼ同時に驚きの声を上げる。
「いけないな、システィア、ミリア。食事中に行儀が悪いぞ?」
二人でコソコソ話していたことを注意されたのだろう。システィアとミリアは無言でコクコク何回も頷くと、じっとり背中に冷や汗を感じていた。
「分かればよろしい。楽しく食事をするのは良いことだからな」
「そういうジョシュア様も。あまり食事中にはうろつかないようにしてください」
「っと、私も人のことを言えないようだ」
ご飯をよそい戻ってきたシグレに叱られながらも、フッ――と笑っているジョシュア。皿を受け取り、席へと戻る兄の姿はやはりいつも通り。
しかし、席に戻る前、ジョシュアはトキヤの隣に立ち寄っていた。既に冷え切った料理、それが始めから手がつけられていないことをジョシュアも知っていた。
「トキヤ、食べないのか?」
誰もがその会話の行方に耳を傾ける。トキヤはジョシュアから顔を背けると、小さな声で呟いた。
「あんまり……食欲がないんです」
その途端、トキヤの腹からは大きな音が鳴る。
無理もない、朝から何も食べていない上、ヘッドレス・クロウとの戦いで相応の体力も使っている。腹が減っていないというのは苦しい言い訳だ。
「体はそうは言っていないようだぞ? 朝から何も食べていないんだ。食べる気力がなくとも、多少は腹に入れておけ」
「トキヤさん、あれでしたら温かい物と交換しますよ?」
ジョシュアに引き続き、シグレも優しく告げた。
そんな二人の温かい言葉。トキヤは辛そうに、そして今にも泣き出しそうに表情を変える。自分のわがままを全て押し通そうとしているのに、彼らは今まで通り接してくれる。シグレでさえ、こんなにも。
ガンズとジョンの言葉が相当に堪えた。特にジョンの言葉は今のトキヤの心には深く突き刺さり、重くのしかかっている。脳内で何度もリフレインするのだ。
『人を傷つけてまで死者に語りかけようとする君に、フリッツのことを思う資格はない!』
『君はどうだ? 死者に魅入られ、人を傷つけ、そうやって周りの人たちに迷惑をかける!』
『だが君は、フリッツが死ぬ前に残した最後の希望だったはずなんだ』
――俺が本当に希望だったかどうかは分からねぇ。けど……迷惑をかけてるのはその通りじゃねぇか。今だって。けど、どうすればいいんだよ。
死んでしまった者のことばかり考え、生きているフローレンス家の皆に今もなお迷惑をかけ続けている。森でシグレが出した言葉だけを頼りに、今でもフリッツを生き返らせようと彼女の気持ちを蔑ろにしている。
たとえ、たとえだ。その言葉がなかったとしても、冷静さを取り戻した今のトキヤになら分かる。自分の思い通りにならない子どもがわめき散らかし、怒鳴り、荒れる。どっちに転んだとしてもそれは想像に容易かった。今だってそうなのだから。
間違いなく死者に魅入られている者の所業。ガンズの言葉もジョンの言葉も、彼を案じてのものだったはず。
表情を辛く変えたまま何も言えない状態のトキヤを見て、システィアとミリアが顔を合わせ「今だ」という感じに頷いた。
「あっ! 兄様がトキヤ君を虐めてる!」
「い、いや! これは違うぞ! そうじゃない! すまん、トキヤ……無理をさせたか?」
システィアの唐突な言葉にジョシュアは焦ると、トキヤの背中を擦る。だが、トキヤはそれでも喋ることはせず、俯いたまま。
辛い、悲しい、痛い、諦めたくないのに、一人では何もできない無力。
もし言葉を発してしまえば、きっと嘆きを……涙と共に今の感情を零してしまいそうだった。
様々な感情がトキヤを渦巻く。そのときだ、ミリアはぴょんと椅子から立ち上がると顔を歪めるトキヤの元へ、そして彼の少しだけ冷たい手を握った。
「ねぇ、トキヤお兄ちゃん」
小さな両手がキュッと大きな左手を包む。冷えてしまったトキヤの手に強いぬくもりが伝わっていく。俯いたトキヤの顔が少しだけ持ち上がると、ミリアは「えへっ」と笑うように自身の頭を傾けた。
揺れる金の髪、屈託のない笑顔、細める目。緑海色の瞳にはいつだって彼女を象徴する優しさが込められている。その天使のような微笑みは、今も闇の中を彷徨っているトキヤには眩しすぎて、目が自然と伏せられる。
今はそれでもいいとミリアは目を瞑り、自分の思いの丈をトキヤへと告げ始めた。
「今日はすごく、すごーく大変だったけど……わたしはトキヤお兄ちゃんが無事でよかったーって安心してるよ。きっとシスティア様も、ジョシュア様も、シグレお姉ちゃんも同じだと思う。迷惑だったなんて思ってないよ?」
それに促されるよう、ジョシュアとシスティア、シグレも頷いた。
「わたしは今日、トキヤお兄ちゃんの側にずーっといたわけじゃないから分からないけど……きっと、亡くなった人はトキヤお兄ちゃんの大事なお友達だった、んだよね?」
「なんで、それを――」
言い当てられる。少なくとも、トキヤにとってはそうだった。異世界に舞い降りて初めてできた友人、同年代で同性の友人だった。
でもどうしてミリアにそれが分かるのか、それは――
「分かるよ。話が少しだけ裏庭から聞こえてたのもあるけど、トキヤお兄ちゃんがあんなに必死で諦めなかった姿をわたしは見たことがあるから」
どこでそんな姿を。俺はミリアからそこまで言ってもらえる程の人間じゃない。そう心の中で思うトキヤに対して、ミリアは続ける。
「暗い路地裏、もうわたしはダメだーって思ったあの日、トキヤお兄ちゃんの声が聞こえたの。途切れ途切れの記憶しかないけど、わたしはトキヤお兄ちゃんたち……トキヤお兄ちゃんと、システィア様とシグレお姉ちゃんに救われた」
完全に気を失っていたと思っていた、システィアもシグレもそう思っていた。しかし、現実はそうじゃない。薄れ行く思考の中で、断片的にミリアはその記憶を持っていた。
「違う。俺は……俺はミリアを助けられたわけじゃない、本当に助けたのは傷つきながらも立ち向かったシグレと、リーダー格を倒してくれたシスティだ。俺はミリアが連れていかれるのを見ているだけしかできなかった……! 諦めるしか手立てがなかったんだぞ!」
「ううん、トキヤお兄ちゃんは最後まで諦めてなんかいなかった。あの目は、そうだってわたしは言い切れるよ。あのときのトキヤお兄ちゃんは、傷ついたシグレお姉ちゃんを死なせないために精一杯だった。最後にわたしはそれを見て、トキヤお兄ちゃんならわたしの大事なシグレお姉ちゃんを救ってくれるって思ったの。だから、あんなに血だらけの中でもパニックにならなかった」
広がっていく血の海を思い出しているのか、ミリアの体が小刻みに震える。
「ミリア……」
シグレは顔を俯かせると、下瞼に涙を浮かべていた。
――気づいていなくてよかった、そう思っていたのにそのときの記憶まであるなんて。
けれども、現代世界でいう|心的外傷後ストレス障害《PTSD》をミリアが発症しなかったのは、彼女の言葉通りトキヤがシグレを救ったからだ。そしてそれは、ミリアの心を救ったと同義だった。
「だからといって、システィが来れなかったら本当にミリアは――」
「それでもよかった、なんて言わないよ。そんなこと言ったら、シグレお姉ちゃんに怒られちゃうから。でも、今はこうしてフローレンス家の侍女としてわたしはここにいる。それより上もなくて、それより下もない。トキヤお兄ちゃんが推薦してくれたんだよ? 全てを擲ったとしても、わたしのことを考えてくれた」
「それだってシスティが――」
「私だけじゃダメだったかもよ? ね、兄様?」
ふふっと笑いながら、兄へとウィンクを飛ばす妹。
「フッ――そうだな。考えようによっては、ミリアは侍女になれなかったかもしれん」
受け取った兄は瞳を閉じ、ミリアへと冗談交じりに告げる。その冗談の意図すらもミリアは見抜いて、また一層微笑みを浮かべた。
「だから、わたしはシグレお姉ちゃんの妹になれた。アサミヤの名をわたしはもらえた。トキヤお兄ちゃんのおかげなの。諦めなかったトキヤお兄ちゃんが紡いでくれたの」
そこまで語り終えるとミリアは意識を集中した。
「子どものわたしじゃまだまだ頼りにならないかもしれないけど……ジョシュア様もシスティア様も、シグレお姉ちゃんもきっと力になってくれるはずだから。亡くなった人を生き返らせられるかって言ったらちょっと難しいかもしれないけど、一人で考えるよりもずっとずっとよくなると思う」
身に纏うドレスが、星の煌めきのようにキラキラと反応する。光魔法特有の輝きがドレスを伝い、ミリアとトキヤの繋いだ手を中心に白を、白以上に染め上げていく。
天使の羽根に包まれているように優しく、とてもあたたかい輝き。それをミリアは発動させた。
「癒して……光魔法―光治癒―」
手から伝わっていく、想いの力。
トキヤの体へと流れ込んでいく癒しの魔力はシスティアともシグレとも違う、幼くあどけない優しさが込められていた。
すぅっと消えていく光の力。部屋の隅々まで明るく照らしていた光はゆっくり、そして跡形もなく消え失せた後、
「ごめんねトキヤお兄ちゃん、これがわたしの精一杯。回復魔法じゃトキヤお兄ちゃんの心の傷までは癒せないから、もしも辛いことがあったら誰でもいいから頼ってね」
「……ミリア」
トキヤは泣きそうになりながらも一言彼女の名前を零した。だけども、涙は堪える、見せるべきじゃないと思ったからだ。
今、伝えたい全ての話が終わった。それを悟ったジョシュアを始め、皆が口を開き始める。
「さー食べるぞ、食わないと私は更に腹が減る病にかかってしまってな」
「あっ、あー兄様の病が移ったのかな? 私も残りを食べないとー」
「え、えっ⁉ じゃあ、わたしも食べます!」
「もう皆様ったら……トキヤさん、温かいのに取り替えましょうか」
和やかになる場、皆、トキヤを案じてのことだった。それを少なからず感じ取ったトキヤは、申し訳なくも思っていたが今だけはそれに甘える。
「いや、シグレがせっかく作ってくれたんだ、ちゃんと頂くよ。冷えても美味しいからな」
「ふふ、そうですか。しかし、おだてても何も出ないですよ?」
そんなんじゃねーよとだけ返答するが、やはりすぐにぎくしゃくが収まるわけではないのはシグレもトキヤも知っていた。
心の中でトキヤの感情が動く。
気づいた、気づいていた。いや、最初から知っていた。
フリッツは恐らく……生き返らせることはできない。
現代でも、ここナインズティアでもきっとそれは同じ。諦めれば楽になるのは知っている、けれど諦められるかといえば嘘になる。その迷いが、ガンズたちを止めなかった。止めたとしてもどうしようもないことを、トキヤは知っていたから。
答えはまだ出せない。シグレのあの表情の意味を、『生き返らせる魔法』として彼女自身に聞くのか、それとも自身で答えを見つけるのか。時間はいつだって飛ぶように過ぎていく。
ほぼ夕食と言っても過言ではない昼食が終わる頃、空はいつしか暗くなっていた。もうすぐ一日が終わる、明日になればシスティアは王都へ旅立ってしまう。
まだ足りない。シグレはもちろんのこと、システィアとだって完全にわだかまりが解けたわけじゃない。彼女がこのフローレンスの町にいる間に、トキヤは自身が起こした問題を解決に導かなくてはいけない。
上がらない雨の中、彼を焦らせるように夜はフローレンスの町ににじり寄ってきていた。
数ある作品の中から、この物語を読んでいただきありがとうございます。
もし良かったと思っていただけたなら「いいね」を。めんどくさくなければ下部にある☆☆☆☆☆からのお好きな評価とブックマークをしてくださると励みになります。
惹かれないと思ったら、低評価とかBADボタン……はないので、そのままブラウザバックしてください。




