第9章:南十字星の夜、ふんどし踊りと初めての拒絶
1.南十字星と、ひとりの夜の終わり
「ほら、詩織ちゃん。これ、さっきの網バッグの底に入ってたわよ。陸の飲み物なんでしょう?」
ロロちゃんが金髪の髪を揺らしながら、冷たいガラスの感触と共に私に手渡してくれたのは、見慣れた文字が刻まれた『コカ・コーラ』の瓶だった。
「わあ……! ありがとう、ロロちゃん!」
私は嬉しくて、瓶の蓋を佐藤上等兵の銃剣で開けてもらい、ゴクリと喉に流し込んだ。パチパチと弾ける炭酸の刺激と、独特の甘さが、無人島の熱帯の夜に信じられないくらい心地よく広がっていく。
焚き火の周りでは、佐藤上等兵も、クマちゃんも、そしてロロちゃんも、アメリカ軍の沈没船からサルベージしたスコッチ・ウイスキーのボトルを回し飲みして、すっかり上機嫌になっていた。
私はパチパチと爆ぜる火の中に、薪の代わりになりそうな乾燥した枝をそっと追加する。
ふと見上げれば、遮るもののない夜空に、降るような満天の星空が広がっていた。
(……綺麗だな。あれが、教科書で見た南十字星なのかな……)
現代の学校に通っていた頃は、夜、自分の部屋で明日への不安に押し潰されそうになりながら、いつも孤独に震えていた。でも、今の私の周りには、お喋りなクマと、頼もしい日本兵と、可愛い人魚ちゃんがいる。
(私……久しぶりに、1人じゃないんだな……)
そんなあったかい安心感が、コーラの味と一緒に胸の奥を満たしていった。
――しかし。やっぱり、この楽園の空気を盛大にやらかしてブチ壊す奴が、我が陣地にはいた。
「いやーーーっ! 素晴らしい夜だ! 祖国の英霊たちに捧ぐ、我が連隊直伝の祝いの舞を披露しようではないかァァーーーッ!」
「……え?」
私がコーラを吹き出しそうになった瞬間、完全に泥酔して理性のリミッターが消し飛んだ佐藤上等兵は、九八式夏衣の軍服をすべて脱ぎ捨て、なんと真っ白な褌一枚の姿になって、焚き火の周りでドタバタと激しい裸踊りを始めてしまったのだ。
「ちょっと……佐藤上等兵さん……!?」
私は思わず頭を抱えて困り果ててしまった。現実の世界では、私のパパもママもたまにお酒を飲んで陽気になることはあったけれど、目の前の大の大人が晒しているような、こんな凄まじい醜態は一度だって見たことがない。
「いいぞ上等兵殿! キレッキレのステップクマ!」
「アハハハ! 陸の男の子の踊りって、すっごく奇妙で面白いわね!」
信じられないことに、流木の上のクマちゃんと、海から身を乗り出したロロちゃんは、パチパチと拍手をしてこの地獄絵図を全力で楽しんでいた。
2.皇軍の弾道弾と、初めてのビンタ
だが、佐藤上等兵の暴走はふんどし踊りだけでは終わらなかった。
ウイスキーのボトルをラッパ飲みして完全に極限状態(?)に達した彼は、ついにその褌の紐すら引き解き、完全なるフリチン姿(全裸)の仁王立ちに移行したのだ。
そして、南国の美しい星空に向かって、太く、無駄にいい声で堂々と歌い出し始めた。
「う〜さ〜ぎ〜お〜いし〜、か〜の〜や〜ま〜〜〜〜♪」
深夜の静かな海岸に響き渡る、全裸の『故郷』の大熱唱。
私はそのあまりにシュールでカオスな光景を見つめながら、ふと、少しだけ現実の切ないことを考えていた。
(ここはすごく安心できるし、たくさん笑えるけれど……。でも、やっぱり、いつかは元の世界に戻って学校に行かなきゃいけないのかな。あそこに行くのは、本当に辛いのに……。ママにも会いたいけれど、顔を合わせたらきっと『学校はどうするの?』って言われるんだろうな。それも、すごく嫌だな……。……しばらくは、ずっとこのまま、この島のみんなと一緒に居たいな……)
そんな風に、私がちょっとだけセンチメンタルな引きこもり心理になって、俯きかけた、その時だった。
歌い終えた佐藤上等兵が、プラプラと大切な「鈴」を揺らした全裸のまま、私の目の前にトコトコと歩み寄ってきて、恐ろしいほどのクソ真面目な顔(真顔)で私を見下ろして言い放ったのだ。
「――どうだ? 水瀬殿。これが、大日本帝国陸軍・皇軍兵士のキンタマ(・・・・・)だ。……でかいだろう‼️」
「…………っ」
一瞬、私の脳の中で、何かがブツリと音を立てて弾け飛んだ。
パーーーーーンッッッ!!!!
「この、最低ド変態親父ィィーーーーーーーッッッ!!!!」
乾いた、凄まじい炸裂音が夜の無人島に鳴り響いた。
中学生の頃からメンタルクリニックに通い、男性とも恋愛とも完全に無縁で、他人の視線におびえて生きてきた19歳の私が――人生で初めて、人間の顔面に向かって、全力のビンタを叩き込んでいた。
「ぶほっ!?」
佐藤上等兵は、本日二度目となる綺麗な白目を剥きながら、砂浜の上へ今度は横回転しながら吹っ飛んで失神した。
静まり返る、南十字星の夜の浜辺。
再び白目を剥いて倒れたド変態上等兵を見下ろしながら、流木の上のクマちゃんが、頭を抱えて冷ややかな声でこう呟いた。
「……やっぱり、男は救いようのないバカだクマ」
私は真っ赤になった右手をぎゅっと握りしめ、顔から火が出そうになりながらも、おかしくて、切なくて、でもやっぱり恥ずかしくて、星空の下でただただ大絶叫するのだった。
(第9章・完)




