第4章:ジャングルの携帯口糧と、ありえないヤシの実ジュース
1.ぐちゃぐちゃの乾パンと、ゲテモノの誘惑
「く、クマ殿、水瀬殿……安心してくれ。私は本当に大丈夫だから。我が連隊の訓練に比べれば、これくらいの打撃、痛くも痒くもない……」
頬を真っ赤に腫らした佐藤上等兵は、全身から気まずい汗をダラダラとかきながら、バツの悪そうに姿勢を正した。どう見ても大丈夫ではないけれど、そこは皇軍兵士としての意地があるのだろう。
佐藤上等兵は咳払いをひとつすると、腰の雑嚢に手を入れ、中から一袋の包みを取り出した。
中に入っていたのは、漂流のせいで水分を吸って、すっかりぐちゃぐちゃに砕けてしまった『乾パン』だった。彼はそれを、照りつける南国の太陽の下、乾いた岩肌にそっと広げて日に当て始めた。
「……携帯口糧(戦闘糧食)は、これだけか」
ぽつり、と佐藤上等兵が呟く。乾燥させればまだ食べられるだろうが、これだけで何日も生き延びることは到底不可能だ。
「今後の持久戦に備えて、島のジャングルの探検にでも行かないか? 水源や、他に食べられそうな物資があるかを確認しておきたい」
「そうだ。何か食べ物があるかもクマ。詩織、ちょっとしたピクニックだと思って行ってみるクマー」
流木から飛び降りたクマのぬいぐるみに促され、私は胸のキャラTを少し引っ張りながら、静かにコクンと頷いた。他人の目が一切ない島だから、ただの散歩だと思えば、社交不安障害の私でも不思議と足が前に動く。
こうして、私たちは3人で鬱蒼とした緑のジャングルの中へと足を踏み入れた。
「おお! 見てくだされ、水瀬殿!」
ジャングルに入って数分、佐藤上等兵が目を輝かせて茂みを指差した。
「大きな蛇に、カタツムリ、それに野ネズミまで丸々と太った奴がいるぞ! 素晴らしい、これで貴重な動物性タンパク質は完全に確保できるな。あとはビタミンを補うための野菜類があれば完璧だ!」
「…………っ」
佐藤上等兵が泥だらけの顔で嬉しそうに叫ぶ中、私は完全に、その場に凍りついてひいていた。
……あんなゲテモノを、本気で、生から調理して食べる気なの?
一瞬で顔から血の気がひいていく。マンガの知識でサバイバル術は知っていたけれど、リアルな蛇やネズミを目の前にすると、都会育ちの19歳のメンタルには刺激が強すぎた。
(い、いやだ……絶対に、さっきのロロちゃんが持ってきてくれた新鮮な魚の方が1億倍いいんだけど……!? というか、できたら普通に、コンビニのパンとかおにぎりとか、マックのハンバーガーが食べたいよぉ……!)
そんな私の心の絶叫を察したのか、横にいたクマがやれやれと首を振った。
「詩織、この無人島でマクドナルドを探すのは非常に難しいクマ。……でも、せっかくの散歩だし、あのご馳走なら僕が取ってあげるクマ」
2.三十年式銃剣と甘い天然ジュース
ジャングルから散歩がてら海岸線へと帰ってくる途中、クマが一本の立派なヤシの木の根元でピタリと足を止めた。
「そこをどくクマ!」
次の瞬間だった。小さなクマのぬいぐるみが、綿が詰まっているとは思えないほどの『ありえないスピード』で、垂直なヤシの木の幹をトコトコトコッ!と駆け上がっていったのだ。
そして、てっぺんに実っていた大きなヤシの実の茎を短い手で力一杯ねじ切ると、砂浜に向かって「ドスン!」と一つ、勢いよく落とした。
「はい、お土産クマ!」
「わあ……! ありがとう、クマちゃん!」
ヤシの実を拾い上げた私の目が、嬉しさで自然とキラキラと輝き出す。
すると、それを見た佐藤上等兵が「お任せくだされ!」と再び三十年式銃剣を引き抜いた。
ザシュッ!!
鋭い銀光が一閃し、硬いヤシの実の頭が、銃剣の圧倒的な切れ味によってスパッと綺麗に斬り落とされた。
切り口からは、たっぷりと蓄えられた、透明な天然のヤシの実ジュースがなみなみと覗いている。
「さあ、どうぞ」
手渡されたヤシの実を両手で抱え、恐る恐る口をつけてみる。
すうっと喉を通り過ぎていったのは、冷たくて、ほんのり優しい甘さの、最高にピュアな天然果汁だった。
「――っ、おいしい……!」
現実の世界では、明日への不安でお腹を下してばかりで、冷たいジュースなんてまともに飲めなかった。でも、この島の木の上から採れたジュースは、私の荒んだ心と胃腸に、びっくりするくらい優しく染み渡っていく。気づけば、私の口元から、自然と本物の笑みがこぼれ落ちていた。
「ハハハ、気に入っていただけて何よりだ。どれ、果肉も食べねば勿体ないな」
佐藤上等兵は嬉しそうに目を細めると、手にした銃剣の先を器用に使い、ヤシの実の内側にこびりついている白い贅沢な果肉――『コプラ』を、まるで熟練の職人のように綺麗に削ぎ落として、私に差し出してくれた。
ネズミや蛇には肝を冷やしたけれど、この無人島には、大好きなクマと、ちょっとズレてるけど頼もしい佐藤上等兵がいる。
私はスウェットの裾に泥をつけたまま、ヤシの実を抱えて、あたたかい南国の風の中で幸せな時間を噛み締めるのだった。
(第4章・完)




