↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/10

第2章:上等兵の陣地構築と、人魚のツンデレ差し入れ

1.三十年式銃剣と即席の陣地


無人島での、初めての朝が来た。

見上げる空はどこまでも青く、波の音だけが規則正しく砂浜を洗っている。

私は相変わらず、お気に入りのアニメキャラTシャツにグレーのスウェット姿のまま、流木に腰掛けていた。いつもなら「明日から学校だ」と考えただけで襲ってくる激しい動悸や不安、お腹の嫌なゴロゴロは、嘘のように消え去っている。周囲に、私を値踏みしたり拒絶したりする「人間の視線」が、ただの一つも存在しないからだ。

「詩織、のんびり安心するのは良いことクマ。でも、生き延びるためには、まずは雨風をしのげる拠点(居住スペース)の建築と、火の確保が最優先クマー」

足元でトコトコと歩きながら、お気に入りのクマのぬいぐるみが、生真面目な声で短い腕を組んだ。

「ふむ、クマ殿の言う通りであるな。南国の天候は変わりやすい。まずは第一線陣地(シェルター)を構築せねばならん。水瀬殿は病み上がりだ、そこで休んでいてくだされ」

略帽に帽垂布を揺らした佐藤上等兵が、軍人らしい鋭い目付きで頷いた。

彼は肩から背負っていた三八式歩兵銃を静かに下ろすと、その腰元に吊るされていた、一振りの細長い刃物を引き抜いた。

シャキィン、と冷たい金属音が響く。

それは、日本陸軍の象徴とも言える、全長50センチを超える実戦用の刃物――『三十年式銃剣』だった。

佐藤上等兵は、銃の先端に装着するためのその重厚な銃剣を、手慣れた様子でサバイバルナイフ代わりに片手で構えた。そして、海岸線の一角に生い茂る硬い熱帯植物やヤシの若木へと、迷いなく歩を進める。

ザシュッ! ザシュッ!!

鋭い肉薄の風切り音と共に、三十年式銃剣が容赦なく流木や太いヤシの葉を切り出していく。

「我が愛銃、三八式の木床(木製部分)は工廠の職人が削り出した宝物。作業の道具代わりに使って傷つけるわけにはいかんからな」と呟きながら、彼は軍用ナイフ代わりに銃剣の鋭い切っ先を使い、信じられないほどの正確さで木材の節目を削り、接合部を噛み合わせていく。

「水瀬殿、無理のない範囲で、そこの乾燥した小枝や枯れ草を集める『伝令・収集任務』をお願いしたい」

佐藤上等兵は、社交不安障害で他人と話すのが苦手な私を気遣うように、しかし毅然とした「軍隊の役割分担」として優しく命令をくれた。

学校のクラスの「空気」は読めないけれど、こういう明確な役割なら、私にだって分かる。

「は、はい……! あります!」

私はスウェットのポケットに手を突っ込み、自室で読み込んできたサバイバルマンガの知識を必死に思い出しながら、一番火が点きやすそうな、カラカラに乾いたシダの葉や小枝を黙々と集め始めた。自分の行動が、誰かの役に立っている。それだけで、胸の奥が少しだけ温かくなった。

数時間もしないうちに、佐藤上等兵は銃剣一本で、流木とヤシの葉をガッチリと組み合わせた、雨風を完全にシャットアウトできる見事な居住スペース(即席陣地)を完成させてしまった。帝国陸軍の野戦築城技術は、伊達ではなかったのだ。


2.サファイアブルーの襲来


「よし、燃料も集まったな。これより発火作業へと移行する」

佐藤上等兵は、私が集めた枯れ草の山を前に、二本の流木を擦り合わせる「摩擦発火法」を始めた。銃剣の背を使って木屑を削り、凄まじい速度で棒を回転させる。

やがて、細い煙が立ち上り、佐藤上等兵がそっと息を吹き込むと、パチパチと小さな、しかし力強い「火」が熾った。

「わあ……凄い……」

私が思わず歓声を上げた、まさにその瞬間だった。

バシャーーーーン!!!

静かな波打ち際から、鼓膜を引き裂くような激しい水音が響き渡った。

「敵襲か!?」

佐藤上等兵が瞬時に三十年式銃剣を構え、私を背中に庇う。

水飛沫の向こうから姿を現したのは、太陽の光を浴びてきらきらと輝く、見事な金髪(ブロンド)のロングヘアだった。

彼女は、サファイアブルーに美しく輝く魚の尾ひれを、怒らせるように何度も砂浜に叩きつけていた。昨日、佐藤上等兵の命を救い上げた、あの美しい人魚――ロロだった。

「ふ、ふん! 昨夜せっかく海から引っ張り上げて助けてあげたのに、朝になっても挨拶の一つにも来ないなんて、なんて失礼な人間たちなのかしら!」

ロロは、透き通るような青い瞳を吊り上げ、顔を真っ赤にしながら言い放った。

なぜか、完璧な人間の言葉だった。

彼女の細い両腕には、自分の身体ほどもある、南国特有の丸々と太った特大のシイラが抱えられていた。ロロはその巨魚を、私の足元へ向かって「どさっ!」と放り投げた。

「ほら! これは通りすがりの、慈悲深くて、とっても綺麗なお姫様人魚からの差し入れよ! お腹が空いてるなら、ありがたく食べなさいよね! べ、別に……あなたたちとお友達になりたいとか、寂しいから仲間に入れてほしいなんて、1ミリも思ってないんだからね! 勘違いしないでよ!」

あまりにも絵に描いたようなツンデレっぷりに、流木に座ったクマのぬいぐるみがパチパチと目を動かした。

「……極めて典型的なチョロイン属性クマ。ありがたく補給物資として受領するクマ」

「な……っ!? 誰がチョロインよ、この動く毛玉!!」

キーキーと怒る金髪のロロちゃんを前に、佐藤上等兵は破顔した。

「ハハハ! 命の恩人のうえに、これほどの兵站(食糧)まで運んでくださるとは! 感謝に堪えん。水瀬殿、これより調理を開始する!」

佐藤上等兵は手際よく、三八式歩兵銃の背嚢から、長年使い込まれたアルミ製の『飯盒(はんごう)』を取り出した。そして、三十年式銃剣の鋭い刃を使い、特大の魚を流れるような動作で鮮やかに三枚におろしていく。

ヤシの実の殻で汲んできた真水を飯盒に張り、魚の頭や骨を放り込んで、贅沢な「アラ汁」を作り始める。さらに、身の部分は串に刺して、さっき起こした焚き火の業火でじっくりと炙っていった。

じゅうじゅうと、脂の乗った魚が焼ける最高の音がジャングルに響き渡る。

香ばしい匂いが、潮風に乗って私の鼻腔を優しくくすぐった。


3.世界一優しい、温かい食卓


「さあ、出来上がったぞ。我が連隊特製、無人島の魚塩焼きと、特製アラ汁である。召し上がれ」

佐藤上等兵から手渡されたのは、綺麗に削られたヤシの器に盛られた、出来立ての魚料理だった。

現代の学校に通っていた頃の私は、いつも一人だった。

教室の隅で、周囲のひそひそ話が全部自分の悪口に聞こえて、息を詰まらせるようにして、味のしないお弁当を無理やり喉に流し込んでいた。食事の時間は、苦痛でしかなかった。

けれど、今は違う。

私は、焼き立ての白い魚の身を、お箸代わりに削られた小枝でそっと口に運んだ。

「う、美味い……。水瀬殿、これは美味いぞ……!」

佐藤上等兵が飯盒の蓋を皿代わりに、豪快にアラ汁を啜っている。

「ふん、当然よ! 私が一番脂の乗った最高の一匹を選んであげたんだから!」

海から顔だけをひょっこり出して、金髪を揺らしながら自慢げに胸を張るロロちゃん。

「完璧な塩加減クマ。サバイバル飯としては星三つクマ」と満足そうなクマ。

口の中に広がる、魚の濃厚な旨味と、焚き火の温かさ。

「う……、ひっ……く……」

気づけば、私の目から、大粒の涙がポロポロと砂浜にこぼれ落ちていた。

「どうしたの水瀬殿!? どこか痛むのか!?」

「ちょっと、私の獲った魚に変な毒でも入ってたっていうのぉ!? 泣かないでよ!」

佐藤上等兵とロロちゃんが大慌てで私を覗き込んでくる。私は涙を袖で拭いながら、一生懸命に首を横に振った。

「ううん……違うの。……美味しい。凄く、美味しいの……。……私、学校に行けなくて、役立たずで、ずっと自分の部屋に引きこもっていたけれど……。ここにいて、いいんだなって……初めて思えたから……」

アニメのキャラTに、グレーのスウェット姿の、出来損ないの19歳。

そんな私を、誰も責めない。誰も変な目で見ない。

佐藤上等兵は、私の言葉を静かに聞くと、父親のような優しい目で深く、深く頷いてくれた。

「当然である、水瀬殿。ここは戦場でも学校でもない。貴殿は立派に薪を集める任務を全達された。ここにいて悪い者など、この島には一人も居らんのだ」

「そ、そうよ! 泣くほど美味しいなら……あ、明日も気が向いたら、別の魚を獲ってきてあげなくもないわよ! だから、明日もちゃんとここで、私のお話を聞きなさいよね!」

ロロちゃんが顔を真っ赤にして、サファイアブルーの尾ひれでバシャバシャと照れ隠しの水飛沫を上げた。

他人の視線におびえていた私の社交不安障害の傷が、時空の歪んだ無人島の、この温かくて、ありえない仲間たちの優しさによって、ほんの少しだけ癒やされていく。

パチパチと爆ぜる焚き火の光に包まれながら、私は久しぶりに、心からの小さな笑顔を浮かべるのだった。

(第2章・完)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。