おかえり
二時間ほど車を走らせると随分と建物が減ってくる。高速を下り、街をかすめて川が見える頃にはついに歩行者さえも見かけなくなった。そのまま背骨のような二車線の道路を少し走って大きな倉庫を目印に右折すると、左手にすぐ施設の入口が見えてくる。緩い坂道の果てには簡素なゲートがあり、機能しているのかもわからないバーが開いたままになっていた。
車を止め服装を正していると、スーが物珍しそうな顔でこちらを見てくる。たぶん正装の私を見ることがほとんどないので訝しんでいるのだろう。
「風体を気にするという思想があるとは思わなかった」
「なんて失礼な悪魔なんだ、さすがに傷つく」
「傷つかないくせに言うな」
そんなことを言いながら彼女は私が買った水を飲むと、シートベルトを外し背もたれを倒した。よく手入れされたスーツに容赦なく皺が走る。
「早く迎えに行ってあげなよ」
「それもそうだな……もしかして緊張してる?」
「多少」
怒られそうなので「スーも緊張するんだな」などとは言わず車を降りた。私だって全く、少しも緊張していないと言えば嘘になるしな。
背伸びをすると身体から枝を踏むような乾いた音がした。さすがに二時間近い車移動はこたえる。もちろん運転手以上にとは言わないが、私よりも運転手がはるかに丈夫であることを鑑みると車外で小さな文句を言うくらい許されるだろう。
「しっかし静かだな」
見渡してみると辺りは小さいアパートや倉庫がいくつかあるだけで、時折バイパスを通る車の音以外はほとんど何の音もしない。それも手伝って、快晴だというのにどことなく空気が滞留しているような感じがする。
中に入り受付で身元引受人だと告げ身分証を出すと、職員はどこか気だるげに椅子を指さした。火傷痕に無反応なのはなんというか、彼らにとってそういうのは些細なことなのかもしれないが単純にありがたかった。どうやってついたか明確に覚えていない目立つ傷というのは、どう説明して良いものか毎回悩むので、触れられないほうが楽なんだ。
掲示物の活字を一通り読みこんでいると、やがて別の職員が一人の女性を連れて現れた。黒いパーカーにショートパンツ、スニーカー姿で、腰のあたりからわずかに白いシャツをのぞかせているのは、紛れもなく彼女だった。想定よりも大人っぽくなった彼女はキャップをとって、少しはにかみながら深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。迎えにきていただいて」
「おかえり。そんなこと気にしないで」
そう一言だけ言葉を交わすと、職員が「もういいの?」という顔で戸惑いながらも私たちをエントランスへ促した。
「じゃあ伊角さん、頑張って」
「はい、ありがとうございます」
手を振る彼女に職員がどこか名残惜しそうに手を振り返すのを見て、それだけで彼女がいかに模範的な人物でいたのかが分かる。私はというと「たぶん模範的という言葉を辞書で引くと彼女が出てきて、対義語の欄には私がいるんだろうな」などと考えながらそれを眺めていた。
「模範生だったみたいだな」
「模範囚です。まあでも、普通にしてただけですよ」
何事もなかったかのようにしている彼女を見て、私はいくらか安堵する。何なら以前会ったときよりも幾分元気そうにさえ見えた。初めて会ったとき、思ってもいないことを言ったわけではないが、年頃の子は大人の愚かで軽薄な言葉にも人生が左右されてしまうものだ。
「それより遠かったですよね、ここまで。ありがとうございました」
「いいんだ、私が運転してきたわけじゃないからね」
さすがにその答えは予想していなかったのだろう、彼女は分かりやすく驚いた表情をする。こんなことで驚いていてはこの後どうなってしまうんだなどと思いながら車を止めてある場所まで来ると、スーがこちらに気づき車から降りてきた。スーはそのまま助手席側へ回ると、彼女の荷物をしまうためトランクと後部座席のドアを開けた。
「彼女がスジャン、私の助手で今日はここまで運転してきてくれた」
「えっと……」
彼女の視線は荷物をしまうスーに釘付けだった。それはもちろんとてもスーツが似合っているとか隙がなく手入れされた革靴がキラキラしているとか、そういう意味ではない。いやそういう意味でもあるのかもしれないが、スーの頭についた曲がりくねった角の前でそれらの注目度が落ちるのは明白だろう。
私はそんな二人の姿を「どっちから話しかけるんだろう」などと考えながら眺めていた。決して面白がっているわけではなく、保護者として二人の関係性を観察する必要があるのだ。
「スジャンです。御家瀬の保護者です」
「はじめまして。伊角陽咲です」
「あら、角が二人になったよ」
私の言葉に二人の視線が集まる。スーが保護者というのはまあ本来訂正するべきなのかもしれないが、別に間違ってないしそのままにしておこう。何より今訂正しようとしたらめんどくさいことになりそうだし。
「スジャンさんの角ってどうやってくっついてるんですか?」
「ああ、いやこれはついているというか」
「この子悪魔だから生えてる」
「ああ、悪魔だから」
それで納得するのかと思って陽咲の顔を覗くと、別に納得しているわけではなくて単純にもうそれどころではないというような顔をしている。伝えない方が面白そうだったから手紙では何も伝えなかったが、書かなかったかいがある。
「突然変なこと言ってすみません。可愛いですねその角」
「ありがとう、陽咲。でもあなたたちだって定期的に角を生やすイベントをしているでしょう?」
「イベントですか?」
「ああそれね、たぶんクリスマス。去年も同じこと言ってた」
「うーん、それは別に角を生やしたいわけじゃないかもですね」
「なんと説明したものか」という顔を浮かべながらも陽咲はもう一度スーの角を観察していた。
黒い角はおでこの少し上から始まり、美しく下向きの曲線を描きながら頭をくだる。そして最後に再び先端がくるりと上がるのだ。どう手入れしているのだろうとは思いながらもこの独特な重厚感が彼女の洗練された一挙手一投足にはよく似合うなと、改めて私は思った。
荷物を入れ終わるとスーは運転席に戻り、一度振り向いて陽咲のことを確認してから後部座席の扉を閉めた。私も助手席に乗り込むとシートベルトをしめて座席を元の位置まで戻す。さすがに朝が早かったから少しだけ眠い。なんたってまだ太陽が頂点に到達していない。
「悪い陽咲、少し寝て良いかい?」
駐車場を出て最初の信号で私は言った。本当はもっと話しかけてあげるべきだし話すことだってたくさんあるのだが、一旦ここはより適切な人材に任せるべきだろう。
「すみません、朝早かったですよね?どうぞどうぞ」
「大丈夫、君のせいじゃない。ちょっと昨日の寝つきが悪かっただけだ」
そう言って腕を組み目を閉じると、寄せてくるまどろみの中でスーと陽咲の会話が聞こえる。
「陽咲、本当にあなたのせいではないから心配しないで。今日このあと御家瀬はやりたくないことをやらなければいけない。だから昨日眠れなかった、それだけだよ」
「やりたくないこと?」
「そう、境界調律師の集まり、会議みたいなものだ」
「会議って聞くとたしかに御家瀬さんは好きじゃなさそう」
私が陽咲の中ですでにそういう認識をされているのが面白かったのか、くすくすとスーの笑い声が聞こえる。「こいつめ」と思いながらも言い返す気力が出ないほどの睡魔が襲いかかってきて、私はゆっくり眠りへ落ちた。




