4-3-23 自然の脅威
高度を上げるにつれ、景色は目に見えて変わり始めた。
肌を撫でていた風は鋭さを増し、吐く息は白く染まる。足元には少しずつ雪が残り始め、やがて舞い上がった雪が風に乗って視界を横切るようになった。
「ちょっと……こんなに寒くなるなんて聞いてない!」
聖奈が身を縮め、震える声を上げる。
「さっきまで普通に歩けてたのに、どうして急に……」
愛蓮も腕をさすりながら顔をしかめた。
杏子は吹きつける冷たい風を正面から受けながら、小さく息を吐く。
「これが富士山の本気ってことね。ちょっと油断してたわ」
「油断どころか、これ遭難レベルじゃないの!」
聖奈は思わず立ち止まる。
風は立っているだけでも身体を押し返し、指先の感覚は急速に失われていく。このまま登り続けることが本当に正しいのか、不安が一気に押し寄せてきた。
その直後だった。
吹雪が一段と勢いを増し、視界はあっという間に白一色へと変わる。
猛烈な突風が三人の身体を揺さぶり、愛蓮が足を滑らせた。
「きゃっ!」
倒れかけた身体を、杏子がとっさに腕を掴んで支える。
「もう無理ですよ! 帰りましょう!」
愛蓮の声には焦りが滲んでいた。
「帰る?」
杏子は振り返る。
その表情だけは、不思議なほど冷静だった。
「ここまで来て引き返したら、本当に全部が無駄になるわ」
愛蓮は思わずスマホへ手を伸ばす。
「カルタリス、防御シールドを──」
「やめなさい」
杏子の声が、吹雪の中でもはっきりと響いた。
愛蓮の手が止まる。
「こんなところで魔力を使うんじゃないわ。温存しなさい」
「でも、このままじゃ……!」
「だから何」
その言葉に、聖奈も愛蓮も返す言葉を失う。
杏子は、まるで吹雪そのものを問題だと思っていないようだった。
聖奈たちには、その理由がわからない。
同じ景色を見ているはずなのに、見えている世界そのものが違う。
そんな得体の知れない恐ろしさだけが、胸の奥に静かに広がっていく。
確かにここまで登ってきた。
しかし、この先へ進める保証はない。
それでも震える身体を支えながら再び歩き始めるが、吹雪はなおも勢いを増し、一歩踏み出すことさえ困難になっていった。
やがて杏子が静かに足を止める。
「……もういいわね」
肩からスキーケースを降ろし、ゆっくりと開く。
「ここが境界みたい」
「え?」
聖奈が振り返る。
杏子は獅子の剣を雪の上へ静かに突き立て、その柄へそっと右手を添えた。
目を閉じ、一度だけ深く息を吸う。
そして静かに唱える。
「燃えよ──ブラゼリオン」
その瞬間だった。
剣身から黄金色の光が溢れ出す。
吹き荒れていた吹雪は渦を巻きながら一本の剣へと吸い寄せられ、白く荒れ狂っていた風景が一時的に静けさを取り戻す。
風が弱まり、閉ざされていた視界がゆっくりと開けていく。
くすみ切っていた刀身には再び鋼の輝きが宿り、ひび割れの奥を黄金色の光が脈打つように流れ始めた。
「すごい……」
聖奈は思わず息を呑む。
その時だった。
胸元のスマホが小さく震え、自動的に画面が点灯する。
魔導AIのインターフェースが立ち上がり、新しい通知が表示された。
『魔力供給を確認』
表示と同時に、獅子の剣との接続が急速に安定していく。
「これで……動くのね!」
聖奈の声には驚きと安堵が入り混じっていた。
「その通りよ」
杏子は満足そうに頷く。
「思ったとおり、自然そのものが持つエネルギーなら魔力に変換できる。火山としては眠っていても、山は生きているってことね」
しかし、その余韻を断ち切るように、獅子の剣が低く唸った。
「待て」
先ほどまでとは明らかに違う、警戒を帯びた声だった。
「この吹雪……ただの自然現象ではない」
杏子の表情から笑みが消える。
「やっぱり」
静かに頷く。
「この山には何かいると思ってたけど、これで確信したわ」
「何かって……まさか!」
聖奈が息を呑む。
愛蓮も思わずスマホの画面へ目を落とすが、カルタリスは沈黙したままだった。
杏子は周囲をゆっくりと見渡す。
吹雪は止んでいる。
それなのに、山全体を包む静寂だけが異様だった。
まるで、自分たちが何者かの縄張りへ踏み込んだことを、山そのものが告げているようだった。
杏子は静かに言い放つ。
「この山には神がいる」
一拍置き、視線を山頂へ向ける。
「それも──私たちを歓迎する気なんて、最初からない神がね」
その言葉と同時に、誰もいないはずの雪原を、一陣の風が音もなく駆け抜けた。
三人は息を潜める。
その先で、未知なる存在が静かに目を覚まそうとしていた。
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