4-3-20 片翼の戦士
杏子は、聖奈の家にある静かな和室で、獅子の剣を前に思案を巡らせていた。
先ほど交わした会話の余韻がまだ胸に残っている。異世界で過ごした日々が脳裏をよぎり、杏子は小さく息をついた。
「この世界に戻ってきてから、魔力を得る方法をずっと考えていたの」
穏やかな口調で語り始める。
「あっちの世界では魔力は空気みたいに満ちていた。でも、こっちは違う。魔法どころか、魔力という概念そのものが存在しない世界だもの」
獅子の剣が低く応じた。
「その通りだ。この世界では魔力は限りなく希薄だ。私が衰えたのも、そのためだ」
「でも、可能性がないわけじゃない」
杏子は静かに笑みを浮かべる。
「《白羊の盾》があるでしょう。原理はまだ分からないけど、異世界の魔力をこちらへ引き込む仕組みは、すでに存在している」
「異世界との接続か……」
剣は静かに唸る。
「だが私は、この世界へ実体ごと渡ってきた存在だ。同じ方法は使えまい」
「だから別の方法を考えたの」
杏子は身を乗り出した。
「もし私が魔法を吸収し、それを魔力として蓄えられるなら、その一部をあなたへ分け与えることができる」
聖奈が驚いたように顔を上げる。
「そんなことができるの?」
「私の魔法ならね」
杏子はあっさりと答えた。
「もちろん簡単じゃない。でも、不可能でもないわ」
剣は静かに問い返す。
「……その代償は何だ」
杏子は少しだけ口元を緩めた。
「契約よ。魔力を循環させる以上、正式な契約が必要になる」
獅子の剣は押し黙った。
契約とは、ただ力を貸し与えるだけの約束ではない。
己の存在を相手へ委ね、運命を重ねる誓約。
伝説のデバイスにとって、それは主を選ぶことと同義だった。
まして相手は──かつて世界を滅ぼしかけた闇の女王。
使命だけを考えれば、この提案は受け入れるべきなのだろう。
だが、獅子の剣としての誇りが、その決断を容易には許さなかった。
杏子は答えを急かさない。ただ、剣をまっすぐ見つめたまま、その返事を待っている。
重苦しい沈黙の末、剣はゆっくりと口を開く。
「……皮肉なものだ」
低く漏れた声には、自嘲にも似た響きがあった。
「よりにもよって、お前と契約を結ぶ日が来るとは思わなかった」
再び短い沈黙。
そして、静かに続ける。
「だが、使命を果たすためならば、私情を優先するわけにはいかない」
剣は迷いを断ち切るように言い切った。
「契約そのものは受け入れよう」
その一言に、聖奈は思わず安堵の息を漏らした。
しかし、剣は続ける。
「──ただし、条件がある」
杏子は穏やかな笑みを崩さない。
「聞かせて」
「お前が集めた魔力を、お前一人のためだけに使うことは認めない」
剣の声には揺るぎない意思が宿っていた。
「この者──聖奈にも等しく供給しろ。私の使命を果たすには、彼女の力が不可欠だ。どちらか一方だけが力を握る状況は許さん」
聖奈は思わず息を呑む。
自分のためではなく、最初から自分のことまで考えてくれていた。その事実が胸に深く染み渡った。
一方の杏子は、その言葉にわずかに目を見開いた。
笑みは崩さなかったものの、その瞳だけが一瞬だけ揺れる。
その条件は想定外だった。
短い沈黙のあと、杏子は小さく息を吐き、いつもの余裕を取り戻すように口元を緩めた。
「なるほど。均衡を保ちたいってことね」
軽く肩をすくめる。
「いいわ。その条件、受け入れる」
あまりにもあっさりした返事に、聖奈は拍子抜けした。
杏子は続ける。
「せっかく手を組むんだもの。最初から揉めるつもりはないわ。仲良くやりましょう?」
柔らかな笑みだった。
だが、その笑顔の奥に何を秘めているのかまでは誰にも読み取れない。
剣は短く応じる。
「ならば契約は成立だ」
「ありがとう」
杏子は素直に頷く。
「私もあなたには消えてほしくないの。昔はいろいろあったけど、それはそれ。今は協力して、この世界で生き残る方法を考えましょう」
その言葉は穏やかで、偽りすら感じさせない。
だからこそ、獅子の剣は最後まで表情を緩めなかった。
「勘違いするな。お前を信用したわけではない」
「ええ、知ってる」
杏子は楽しげに笑う。
「信頼なんて、これから積み重ねればいいじゃない」
その返答に、剣は何も言わなかった。
静かな沈黙が流れたあと、低い声だけが部屋に響く。
「お前たちが争えば、私の使命は果たせなくなる。それだけは忘れるな」
杏子は剣と聖奈を交互に見つめ、小さく頷いた。
「いいわ。片翼じゃ飛べないのは私も同じだもの。お互い、信じてみる価値くらいはあるんじゃない?」
そう言って意味深な笑みを浮かべる。
「……もっとも。翼が折れたとき、先に落ちるのが誰なのかは分からないけどね」
聖奈は思わず息を呑んだ。
その言葉は明らかに自分に向けられたものだった。
杏子と獅子の剣の話だと思って聞いていた。それなのに、いつの間にか自分も、その話の中心へ引き込まれている。
試されているのは、自分なのだ。
そんな実感が遅れて押し寄せ、聖奈は静かに息を吐いた。
三者の間に結ばれたのは友情ではない。
それぞれの思惑を抱えたまま交わされた、危うい均衡の上に成り立つ契約だった。
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