4-3-17 杏子動く
「追ってきてる!」
聖奈の鋭い声が響いた。
愛蓮は即座にスマホを操作し、魔導AIによる迷彩シールドを最大出力で展開する。光も音も周囲へ溶け込み、二人の姿も気配も完全に掻き消えた。
「これで見失うはずです」
愛蓮は画面を確認しながら冷静に報告する。
だが、その直後も背後から軽快な足音は途切れなかった。
むしろ、一定の速度を保ったまま、迷うことなく距離を詰めてくる。
「嘘でしょ……!」
聖奈は息をのみ、振り返ることなく駆け続けた。
光学迷彩も音響迷彩も機能している。
それでも追ってくるなど、あり得ない。
その瞬間だった。
「きゃっ!」
愛蓮の短い悲鳴が響く。
振り向くと、愛蓮の腕は何者かにしっかりと掴まれていた。
同時に迷彩シールドが解除され、二人の姿が夕暮れの住宅街へ浮かび上がる。
そこに立っていたのは、先ほど帰宅してきた女子大生だった。
「逃げ足は速いけど、この程度で捕まるようじゃ、まだまだね」
彼女は愛蓮の腕を離すと、一歩だけ距離を取る。
追い詰めた側であるはずなのに、威圧する様子はない。
まるで軽い鬼ごっこでも終えたかのような余裕だけが、その表情に浮かんでいた。
「……あなた、一体何者?」
聖奈は警戒を崩さぬまま問い掛ける。
女子大生は肩をすくめ、小さく笑う。
「それはこっちのセリフよ。でも安心して。別にどうこうする気はないわ」
そう言って道路の向こうを指差した。
「立ち話もなんだし、ちょっと話を聞かせてくれない?」
視線の先には、近くのファミレスがあった。
聖奈は杏子を見据えたまま、素早く状況を整理する。
逃走は失敗した。
迷彩シールドは通用せず、相手は二人を容易く捕捉してみせた。
このまま無理に逃げれば、事態は悪化するだけだ。
「……話だけなら応じるわ」
その一言で方針を決めると、愛蓮も無言で頷いた。
—-
明るい照明に包まれたファミレス。
先ほどまでの緊迫した空気が嘘のように、店内には家族連れや学生たちの穏やかな話し声が流れていた。
三人はボックス席へ向かい合って座る。
女子大生はアイスコーヒーを一口飲み、ようやく口を開いた。
「改めて自己紹介するわね。私は杏子」
グラスを軽く揺らしながら、気負いのない調子で名乗る。
その口元には、どこか嬉しさを隠しきれないような笑みが浮かんでいた。まるで、長い間探し続けていたものをようやく見つけたかのように。
少なくとも、その態度から敵意は感じられない。
それどころか、こちらへ歩み寄ろうとしているようにさえ見えた。
「私たちは……」
聖奈は一瞬だけ愛蓮と視線を交わす。
この場で偽名を名乗る意味は薄い。それに、杏子の態度を見る限り、少なくとも今すぐ危害を加えるつもりはなさそうだった。
「私は聖奈。こっちは愛蓮」
「よろしくお願いします」
愛蓮も小さく頭を下げる。
「聖奈と愛蓮ね。覚えたわ」
杏子は満足そうに頷き、二人を見比べた。
その視線は穏やかで、敵意よりも興味の色が強く滲んでいた。
やがて、不意に本題へ踏み込む。
「で、あんたたち、魔法使いなの?」
その一言に、聖奈の表情がわずかに強張る。
だが、すぐに平静を装って首を振った。
「魔法なんて使ってないわ。私たちが使っているのは魔導AIの力よ」
「魔導AIねぇ……」
杏子は興味深そうに頷く。
「じゃあ、本物の魔法は知らないってこと?」
問い掛けは柔らかい。
しかし、その奥には何かを確かめようとする鋭さが潜んでいた。
聖奈は少しだけ言葉を選び、静かに答える。
「少なくとも、あなたが思っているような魔法は知らないわ」
「そう」
杏子は納得したように微笑む。
そして、その笑顔のまま思いもよらない言葉を口にした。
「じゃあさ、私を仲間に入れてくれない?」
突然の申し出に、聖奈と愛蓮は思わず顔を見合わせる。
「仲間って……どういう意味ですか?」
愛蓮が慎重に尋ねる。
「私、魔法にはちょっと詳しいのよ」
杏子は悪びれる様子もなく続けた。
「あんたたち、面白そうなことしてるじゃない? だったら、私も手伝えると思うんだけど」
「それは……」
聖奈は返答に詰まる。
目の前の女性は、敵意は見せない。
だが、信用できる理由もどこにもなかった。
そんな二人の戸惑いを見透かしたように、杏子はくすりと笑う。
「そんな難しい顔しないでよ」
少し身を乗り出し、自信ありげに言った。
「私、結構使えるよ?」
その軽い一言に、聖奈と愛蓮は再び視線を交わした。
目の前の杏子という女性は、底がまるで見えなかった。
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