4-1-7 姉と妹
魔導AIの一件以来、杏子は事あるごとに小桜へ「スマホを貸して」と頼むようになっていた。
魔導AIが異世界と繋がっているかもしれない──その可能性が、すっかり彼女の頭から離れなくなっているのだろう。
最初のうちは、小桜も適当に受け流していた。
だが、朝食の最中でも、大学へ向かう前でも、夜に部屋へ来た時でも、杏子は思い出したようにスマホを欲しがる。その回数が増えるにつれ、小桜の中にも少しずつ苛立ちが溜まり始めていた。
「また? もういい加減にしてよ、お姉ちゃん」
「いいじゃない、ちょっと見るだけだから」
「“ちょっと”じゃないでしょ……」
毎回同じようなやり取りを繰り返した末に、小桜はついに母親へ助けを求めた。
事情を詳しく知らない母親は困ったように苦笑しながらも、「杏子、あまり小桜に無理を言わないの」とやんわり姉をたしなめる。
すると杏子は不満げに口を閉ざし、どこか拗ねたような顔のままリビングのソファへ腰を下ろした。
そのまま何も言わずにテレビをつける。
だが、流れている番組を本当に見ているわけではないことは、小桜にもすぐ分かった。
小桜もまたリビングへ戻り、少し距離を空けるようにソファの端へ腰を下ろす。
そこからそっと姉の様子を窺った。
杏子はテレビ画面を見つめたまま、何も話そうとしない。
普段の彼女は、賑やかで、どこか人を圧するような強さを漂わせている。
けれど今の杏子は、妙に静かだった。
まるで、欲しいものを取り上げられた子供のように不機嫌で、それでいてどこか落ち込んでいるようにも見える。
小桜はそんな姉の横顔を見て、胸の奥が少しだけ痛んだ。
しばらくして、不意に杏子が口を開く。
「小桜」
その声は、思っていたよりずっと真面目だった。
「……何であんた、わざわざここに来たの?」
小桜は思わず肩を竦めた。
その問いは、ただの興味本位ではなかった。
まるで、自分の本心を見透かそうとしているような鋭さがあった。
小桜にとっても、その質問に答えるのは少し怖かった。
「えっと……それは……」
言葉が詰まる。
だが誤魔化してはいけない気がして、小桜はゆっくり視線を上げた。
そして、小さく息を吸ってから口を開く。
「闇の女王のことを知りたかったんだ」
杏子の肩がわずかに動く。
小桜は続けた。
「悪の化身とか、世界を滅ぼす存在とか、そんな風に言われてたけど……でも、本当はただの人間だったって聞いたから」
そこで一度言葉を探し、少し迷う。
それでも小桜は、意を決したように続けた。
「もしかしたら、仲良くなれるんじゃないかなって思ったの。お姉ちゃんとも……」
その言葉を聞いた瞬間、杏子は驚いたように目を見開いた。
だが次の瞬間には、いつものように口元へ薄い笑みを浮かべる。
「ふっ……やっぱりあんたって、お人好しよね」
呆れたような声音だった。
「敵と仲良くなろうなんて、そんな甘いこと考えるんだから」
杏子は小さく鼻で笑う。
けれど、その笑みに以前のような刺々しさはなかった。
どこか穏やかで、少しだけ照れ隠しのようにも見える。
小桜はその変化に気付き、胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
まだ完全に心を開いてくれたわけではない。
魔法のことも、異世界のことも、二人の間には整理しきれない感情が山ほど残っている。
それでも以前より、ほんの少しだけ距離が近づいた気がした。
やがて会話は途切れ、再び静かな時間が流れ始める。
テレビの音だけがリビングに響いていた。
けれど、その沈黙は不思議と居心地が悪くなかった。
まるで互いの存在を確かめ合うような、穏やかな静けさだった。
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