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4-3-15 秘密保護魔法

小桜が目を覚ますと、ぼんやりとした視界の向こうで、一人の中年男性がこちらを覗き込んでいた。


髪はぼさぼさで、白衣には細かな皺が目立つ。いかにも研究以外には興味がなさそうな、どこにでもいる研究者という印象だった。とても切れ者には見えず、研究所の片隅で黙々と実験を続けていそうな人物である。


──だが、どこかで見た気がする。


先ほど、この男が部屋へ入っていく姿を目にしたような、そんな曖昧な感覚だけが胸に引っかかっていた。


「……こんなところに何の用だ?」


男は気だるそうにそう尋ねた。


その声は平坦で、敵意も威圧感もない。だからこそ、かえって現実味がなく、不気味だった。


小桜は反射的に身を起こし、自分の身体を見下ろす。


姿隠しマントの魔法は完全に失われ、自分の姿は隠れることなく露わになっていた。どうやら侵入時の連続使用で、魔力を使い切ってしまったらしい。


(しまった……!)


胸が大きく脈打つ。


どう切り抜けるべきか思考を巡らせるが、答えがまとまるより早く、廊下の向こうから慌ただしい足音が近づいてきた。


「小桜ちゃん!」


聞き覚えのある声に振り向く。


そこには恵麻が立っていた。乱れた呼吸を整えながら、険しい表情でこちらを見つめている。


「フェルナンデス主任、失礼しました! 妹が勝手に入り込んでしまって……本当に申し訳ありません!」


恵麻は小桜の腕をそっと引き寄せ、そのまま深く頭を下げた。


小桜は一瞬戸惑ったものの、状況を察すると慌てて合わせるように頭を下げる。


「ご迷惑をおかけして、すみませんでした……」


男──フェルナンデス主任は面倒くさそうに息を吐き、ひらひらと手を振った。


「まあいいさ。次は気をつけるんだな。それにしても……こんなところで何をしていたんだか」


最後までどこか気の抜けた口調だった。


その言葉を背に、小桜と恵麻は足早にその場を離れた。


—-


ゼノン本社を出た二人は、近くのカフェへ入った。


店内には穏やかな音楽が流れ、控えめな人々の話し声が静かに響いている。その落ち着いた空気が、張り詰めていた神経を少しだけ和らげてくれた。


飲み物を受け取ると、恵麻は小桜の向かいへ腰を下ろし、真剣な表情で切り出した。


「小桜ちゃん、何があったの? どうしてあんな場所にいたの?」


その問いに、小桜は言葉を失った。


本来なら、自分で説明できるはずだった。


どこへ行き、何を見て、何をしようとしていたのか。


なのに、その肝心な部分だけが綺麗に抜け落ちている。


「……ごめんなさい」


小桜はゆっくり首を振った。


「何があったのか……全然、思い出せないんです」


恵麻は眉を寄せた。


疑いたいわけではない。


だが、小桜が嘘をついているようにも到底見えなかった。


「でも、おかしいの」


恵麻は静かに続ける。


「私の魔導AI、アエクティウムが突然SOSを受信したの。それで指定された場所へ急いで向かったら、あなたが倒れていたのよ」


小桜はますます困惑した。


自分が助けを求めた覚えなどない。


それどころか、二重扉を抜けたあとの記憶だけが、濃い霧に包まれたように思い出せなかった。


その時だった。スマホの中から、グラビティウムが静かに口を開く。


「フム……どうやら、あの部屋には秘密を守るための高度な術式が施されていたようだな」


「秘密を守る……?」


「おぬしがあの部屋で見たもの、聞いたもの、その事実だけを封じる術式だ。部屋を出た瞬間に発動するよう設計されていたのだろう」


「そんな……」


小桜は頭を押さえた。


確かに何かを見た。


何か決定的なものを知った。


その感覚だけは残っている。


だが、その輪郭に手を伸ばそうとするたび、記憶は霧の向こうへ溶けていった。


恵麻は不安そうに尋ねる。


「……じゃあ、もう一度あの場所へ行けば、思い出せるかもしれないってこと?」


「理論上はな」


グラビティウムは落ち着いた声で応じる。


「記憶は失われたのではない。外へ持ち出せぬよう封じられているだけだ。術式の内側へ戻れば、一時的に封印が解ける可能性はある」


わずかな沈黙のあと、珍しく困惑したような声音で続けた。


「だが妙だな。ここまで強固な秘密保護魔法であれば、術者自身にも相応の制約が及ぶはずだが……」


恵麻は首を傾げる。


「そんな魔法、本当にあるの?」


「少なくとも、今のサーラの症状はそれ以外では説明できぬ」


グラビティウムは低く鼻を鳴らした。


「じゃあ、次は私も一緒に──」


恵麻のその言葉を聞いた瞬間だった。


小桜の背筋を、説明のつかない悪寒が走る。


心臓が早鐘を打ち、全身から冷や汗が滲み出した。


「……嫌」


理由は分からない。


記憶は失われているはずなのに、身体だけが激しく拒絶している。


このまま、もう一度あの部屋へ踏み込めば取り返しのつかないことになる──そんな警鐘だけが、本能の奥底から鳴り響いていた。


小桜は小さく首を振る。


「もう行きたくない」


さらに一度、強く首を横へ振った。


「絶対に」


恵麻はその表情を見て、それ以上何も言えなくなる。


視線だけを落とし、自分のスマホの中にいるアエクティウムを見つめた。


淡い光をまとったアエクティウムもまた、沈黙したままだった。


やがて、グラビティウムとアエクティウムは一瞬だけ視線を交わす。


小桜の記憶を取り戻すべきなのか。


それとも、二度とあの場所へ近づけるべきではないのか。


答えは誰にも出せない。


店内には食器の触れ合う音だけが小さく響き、穏やかな時間が流れていた。


だが、その静けさとは無縁に、ゼノン最深部に眠る秘密だけは、誰の心にも拭いきれない影を落としていた。


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