4-3-14 秘密の部屋
小桜が二重扉を抜けた瞬間、その足は思わず止まった。
目の前に広がっていたのは、まるで異世界の図書館を切り取ったような空間だった。
天井まで届く書架には、古びた革装丁の魔導書が隙間なく並び、年代も系統も異なる魔法具が整然と陳列されている。どれも現代では存在すら疑わしい品ばかりだ。
魔法に精通する小桜だからこそ、その一つひとつが秘める力の大きさを肌で理解できた。
そして、その中心に置かれた一枚の仮面へ視線が吸い寄せられる。
周囲の魔法具とは比べものにならないほど濃密な魔力をまとい、不気味なほど静かにそこに在り続けていた。
「《毒蛇の仮面》……どうして、ここに!?」
思わず漏れた声は、自分でも驚くほど小さかった。
(まさか、本当に──)
疑念が確信へ変わりかけた、その時だった。
棚の陰から、先に入ったはずの研究員がゆっくりと姿を現す。
白衣姿の、ごくありふれた中年の男。
小桜は反射的にマントを整え、息を潜めた。
(見つかるはずがない)
そう思った、次の瞬間だった。
男は突然頭を抱え、低くうめき声を漏らした。苦しそうにその場へうずくまり、肩を震わせる。
小桜は思わず眉をひそめた。様子がおかしい。
胸の奥で静かに膨らんでいた潜入成功への高揚が、音もなく冷めていく。
次の瞬間、男の震えが不自然なほどぴたりと止まった。
やがて、糸に引かれるようにゆっくりと背筋を伸ばし、静かに顔を上げる。
その目には、先ほどまでの平凡な研究員の面影はどこにもなかった。
底知れない知性と冷徹さだけが宿り、口元には薄く歪んだ笑みが浮かんでいる。
顔立ちは同じはずなのに、まるで別人がその身体を借りて立っているようにしか見えなかった。
「貴様は……サーラゼル・ヴェリルライトか?」
その一言で、小桜の思考は凍り付いた。
(どうして、その名前を……!)
彼女の正体を知る者など、この世界にはほとんど存在しない。それ以上に、彼女の姿は今も完全に隠れているはずだった。
男はそんな小桜の動揺など意にも介さず、小さく肩をすくめる。
「この顔では分からぬか。そうだな、直接会うのは初めてだった」
そして、役者が舞台に立つような優雅さでゆっくりと一礼し、芝居がかった口調で名乗る。
「我が名はロキスヴェイン・フェルサンド。グリムロス帝国魔法最高顧問──と言えば、思い出してもらえるかな」
その名を聞いた瞬間、小桜の胸に冷たいものが落ちた。
異世界で数々の魔法戦略を裏で操り、陰謀の中心にいると噂された男。
その人物が、なぜ現代の企業にいる。
なぜ、この部屋にいる。
(まさか、転生? どうやって!?)
思考が追いつかない。
ロキスヴェインは小さく笑った。
「私を知らぬということは、我が社のCEOが皇帝陛下だという事実も知らずに入り込んできたのか? 無鉄砲なやつだ。てっきり撒き餌に食いついてきたのかと思ったが……ただの小娘だったとは予想外だ」
その饒舌な言葉に、小桜は唖然とする。
皇帝がゼノンのCEO。
そんな発想は、全くなかった。
小桜が追っていたのは毒蛇の仮面だった。
だからこそ、この部屋でロキスヴェインの名が出てきた意味を理解できなかった。
「貴様の無謀さには驚かされるが、さてどうするつもりだ?」
「……っ」
小桜の頭が高速で回転するが、答えは出ない。
状況が悪すぎる。
今の装備では、この男を相手にすることなど考えられない。マントが機能しているうちに、この場を離脱するしかない。
「そもそも、どうやってここまでたどり着いたのか興味があるところだが……まあいい。これだけは言っておこう。この部屋の存在、そして私の正体を知った以上、貴様がここから無事に出られる方法などない」
その威圧感に、小桜は思わず半歩後ずさる。
逃げなければ。
本能がそう告げていた。
助けを求めようにも、グラビティウムからの応答はない。
この部屋へ入った瞬間から、完全に沈黙していた。
「貴様がここで何をしようとしていたか知らんが、無駄な努力だ。たとえ何を知ったところで、ここから持ち出すことはできないのだよ」
小桜は反射的に出口へ駆け出した。
「この部屋に入り込んだ者は、何一つとして持って出ることはできない。それは“記憶”も同じ」
その言葉が耳へ届いた瞬間、全身から力が抜け落ちる。
視界が揺らぐ。
意識が急速に遠ざかっていく。
「何人たりとも……例外はない……私を含めて」
ロキスヴェインの声だけが、遠く残響のように響いた。
そして、小桜が扉を抜けた、その瞬間。
彼女の記憶は、静かに闇へと沈んでいった。
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