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4-2-19 菫

ArrowViolet──それがオラクルコードでのすみれの名だ。


弓道部のエースとして知られる彼女だったが、学校の道場よりも、自宅近くの森にある手作りの弓道場で弓を引く時間を何より大切にしていた。


父は古い武士道を重んじる人物で、幼い頃から何度もこう教えられてきた。


「矢を放つ者は、その責任も背負わねばならない」


その教えは、菫の胸に深く刻まれていた。


だからこそ彼女にとって弓道とは、勝敗を競う競技ではなく、自らの心と向き合うための時間でもあった。


しかし、その静かな日常は、ある一本の矢によって崩れ去る。


いつものように森で稽古をしていた日だった。


狙いを定め、静かに放った一矢。その瞬間、茂みから一羽の野鳥が飛び立った。


避ける間もなく、矢は鳥を射抜いた。


「えっ……!」


菫は顔色を変え、駆け寄った。


両手で抱き上げた小さな身体は細かく震え、温もりはまだ残っている。それでも命の火は、ゆっくりと消えようとしていた。


「お願い……死なないで……!」


家へ連れ帰り、傷口を洗い、包帯を巻き、水を与え、必死に介抱した。


助かってほしい。


ただ、それだけを願い続けた。


しかし、その願いは届かなかった。


翌朝、小さな命は静かに息を引き取っていた。


「私が……殺したんだ……」


それ以来、菫の心には消えない影が落ちた。


命を尊ぶために引いてきた弓が、命を奪った。


その事実だけが、何度も胸を締めつけた。


やがて、その傷は別の形で彼女を蝕み始める。


森で弓を引くたび、どこからともなく囁く声が聞こえるようになった。


『もっと強く……』


『もっと正確に……』


『生あるものを射抜け』


最初は気のせいだと思った。


だが、その声は弓を握るたびにはっきりと聞こえ、次第に彼女の思考へ入り込んでくる。


矢を番えれば、無意識のうちに鳥や小動物へ視線が向く。


「違う……私はそんなことしたくない……!」


理性では拒絶している。


それなのに、身体だけが勝手に獲物を追ってしまう。


弓を愛するほど、その衝動も強くなっていった。


「これ以上続けたら、私は──」


ある晩。


森の弓道場で一人、矢を放とうとしていた菫は、とうとう弓を下ろした。


弓を握る自分自身が、何より恐ろしくなっていた。


「もうやめよう……誰も傷つけたくない……」


そのときだった。


背後から、静かな声が聞こえた。


「なんだ、もうやめるの?」


驚いて振り返る。


そこには、見知らぬ少女が立っていた。


短めのポニーテールに、感情を読み取らせない冷たい瞳。


少女は菫ではなく、その手に握られたスマホをじっと見つめていた。


「誰? 何の用?」


「私は聖奈。ただの見物人よ」


少女は淡々と言う。


「でも、あなたの矢……少し異常ね」


菫は思わず一歩下がった。


「近づかないで。私は……あなたを射るかもしれない……」


その言葉を聞いても、聖奈は少しも怯まなかった。


むしろ、小さく笑う。


「そんなハッタリ、私には通じないわ」


一歩、また一歩と距離を詰める。


「あなたは人を傷つけたくないから苦しんでる。本気で射る覚悟がある人間なら、そんな顔はしない」


その一言に、菫は反論できなかった。


聖奈は菫のスマホを静かに手に取る。


画面を確認すると、迷いなく指を走らせた。


その手つきは驚くほど素早く、まるで画面の向こうにいる何者かと対話しているかのようだった。


「これ、気づいてなかったの?」


聖奈は画面を見つめたまま言う。


「誰かがあなたのスマホに魔導AIを仕込んでいたわ」


「魔導AI……?」


聞き慣れない言葉に、菫は戸惑う。


「あなたが聞いていた声も、それよ」


聖奈は操作を続けながら説明した。


「『もっと強く』なんて囁いていたのも、このAI。あなたの弓の才能を利用して、暴走させようとしていた」


「そんな……私は……」


足元が崩れていくような感覚だった。


自分の弱さだと思っていたものが、誰かによって植え付けられたものだった。


その事実を、すぐには受け止められない。


やがて聖奈は最後の操作を終え、スマホを静かに返した。


「これでもう大丈夫」


そう言ってから、少しだけ真剣な表情になる。


「でも覚えておきなさい。魔導AIは、人の心の隙につけ込む。真面目な人ほど、自分を責めるから利用されやすいの」


菫はスマホを胸に抱き締めた。


「どうして……助けてくれたの?」


聖奈は少しだけ空を見上げる。


「そんなの決まってるでしょ」


静かな声だった。


「未来を守るためよ」


その瞳は、自分よりもっと遠くを見つめていた。


菫には、その意味はまだ分からなかった。


それでも、不思議とその言葉だけは胸の奥へ真っ直ぐ届いた。


その日を境に、菫は聖奈と行動を共にするようになる。


心の傷が癒えたわけではない。それでも弓を置かずに済んだことだけは、彼女にとって大きな一歩だった。


やがて彼女はArrowVioletとして、聖奈の掲げる「未来を守る戦い」へ身を投じていくことになる。


ブクマで小桜たちの応援をお願いします!

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