4-2-13 勝利と救済
杏子はビルの上階から身を乗り出すようにして、小桜の一挙手一投足を見つめていた。
視線は一瞬たりとも逸らさない。
「早く魔法を使いなさいよ、小桜……!」
焦れたように、小さく吐き捨てる。
しかし、その期待とは裏腹に、小桜は不意に片膝をつき、その場へしゃがみ込んだ。
ちょうど建物の陰になる位置だ。
杏子のいる場所からは、小桜の手元だけが見えない。
「何やってるのよ……」
杏子は眉をひそめる。
「そんな所に隠れたら、見えないじゃない……!」
歯噛みしながら身を乗り出すが、それ以上は角度が足りない。
⸻
その頃、小桜は静かに地面へ視線を落としていた。
自由な右手で、小石を数個拾い集める。
「こんな形で使うことになるなんてね……」
小さく苦笑する。
親指と人差し指で石を挟み、ゆっくりと狙いを定めた。
「いくよ」
乾いた破裂音。
弾かれた小石は空気を切り裂き、銃弾のような速度で飛び出した。
「っ!」
恵麻が反射的に身をひねる。
石は頬をかすめ、鋭い痛みだけを残して背後の壁へ弾け飛んだ。
「何……?」
恵麻の表情が揺らぐ。
「魔法じゃない……?」
「何とも器用な技だ。」
グラビティウムが感心したように呟く。
「あれも魔法の一種か?」
「違うよ。」
小桜はもう一つ石を指へ挟んだ。
「指弾。」
少しだけ笑う。
「魔法が使えない時の、とっておき。」
二発、三発。
間髪入れず小石が飛ぶ。
石は一直線ではない。
恵麻が鎖を振る軌道を読み、わずかな死角を縫うように襲い掛かる。
「くっ……!」
恵麻は鎖鎌を振るい、小石を打ち払う。
金属同士がぶつかるような甲高い音が路地へ響いた。
だが、鎖鎌は本来、人を拘束するための武器だ。
無数の飛礫を受け続けることは想定されていない。
一本を弾けば、次が来る。
分銅を振れば、別方向から石が飛ぶ。
「この……!」
恵麻のリズムが少しずつ崩れていく。
そのわずかな乱れを、小桜は見逃さなかった。
一方で、小桜の親指にも鋭い衝撃が積み重なる。
弾くたび、爪の付け根へ鈍い痛みが走る。
それでも次の瞬間には、黄金の光が傷を癒していた。
「こういう時は助かるね。」
ブルヴィータの生命力は、指先の損傷すら瞬く間に修復していく。
だからこそ、小桜は迷わず撃ち続けられる。
連射はさらに速くなった。
「くっ……!」
ついに恵麻は鎖を手放し、距離を取り直そうと後ろへ跳ぶ。
「この瞬間を、待ってた!」
小桜は一気に間合いを詰めた。防御一辺倒だった少女が、初めて攻勢へ転じる。
剣道で鍛えた踏み込みが一気に距離を消す。
恵麻が鎖を引き戻すより早く、小桜は懐へ飛び込んだ。ブルヴィータの怪力なら、一撃で勝負は決まるはずだった。
(でも、それはできない)
杏子に本当の力を見せるわけにはいかない。
恵麻が態勢を立て直すより早く、小桜は手加減した掌底を叩き込む。
「ぐっ……!」
乾いた音が響く。
掌底は恵麻の胴を正確に捉え、体勢だけを大きく崩した。
恵麻は数歩よろめき、そのまま地面へ倒れ込む。
衝撃でスマホが手から滑り落ち、石畳の上を転がった。
「終わりだね」
小桜は静かに歩み寄り、転がったスマホを拾い上げる。
画面には、魔導AIのアプリが表示されたままだった。
「これが……魔導AI」
静かに見つめる。
「あなたを縛っていたもの」
「返して!」
恵麻が必死に手を伸ばす。
「それだけは駄目!」
泣き叫ぶような声だった。
しかし小桜は躊躇しない。画面を静かに操作する。
アプリが削除された。その瞬間だった。
恵麻の身体から糸が切れたように力が抜ける。膝から崩れ落ち、その場へ座り込んだ。
「終わりました」
小桜は静かに息を吐く。
グラビティウムも低く頷くような声を響かせた。
「見事であった。少なくとも、この者はもう魔導AIへ依存できぬ」
小桜は気づかれないよう、ビルの上階へそっと視線を向けた。
杏子はしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて小さく肩をすくめるように背を向けた。
その姿が見えなくなるのを確認して、小桜はようやく長く息を吐く。
(……これでいい)
肩の力を抜くと、恵麻の前へゆっくりしゃがみ込んだ。
視線を合わせる。
「……何があったんですか?」
責める声ではない。
「辛かったですね、私が話を聞きます」
その一言だった。
恵麻の瞳が大きく揺れる。
張り詰めていた何かが、音もなく崩れ落ちた。
「ごめんなさい……」
震えた声が漏れる。
「本当に……私は……」
言葉にならない。
涙だけが次々と頬を伝っていく。
小桜は何も急かさなかった。
そっと肩へ手を添える。
「大丈夫」
穏やかに微笑む。
「ゆっくりでいいです。聞かせてください」
恵麻は何度も頷きながら、小さな子どものように泣き崩れた。
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