4-2-11 恵麻2
恵麻はゼノンでのインターン生活に深く没頭していた。
だが、その熱意が強まるにつれ、心のどこかに少しずつ歪みが生まれ始めていた。
アランとの関係も以前とは変わっていた。
彼は社内の問題を抱え込み、研究どころではない様子を見せることが増えていたし、時折意味深な言葉を残して突然連絡が途絶えることもあった。
それでも恵麻は、彼を支えなければならないと思っていた。
だからこそ、不安を打ち明けられる相手は限られていた。
大学で最も親しい友人──杏子だけだった。
ある日の夕方。
大学近くのカフェに呼び出された杏子は、向かいに座る恵麻の様子に違和感を覚えていた。
視線が落ち着かない。
テーブルの上のスマホを何度も触っている。
何かに追い詰められているようにも見えた。
「杏子、お願いがあるの」
恵麻は低い声で切り出した。
「ゼノンを攻撃している人たちを調べてほしいの」
恵麻が差し出したスマホには、ゼノンを批判するSNSの投稿がいくつも並んでいた。
研究の不正や隠蔽を疑う書き込み、中には感情的な非難まで混じっている。
杏子は画面を一瞥し、目を細める。
「急にどうしたの?」
恵麻は唇を噛んだ。
「彼らのせいでゼノンの信用が傷ついてるのよ」
感情を抑えきれないように言葉が続く。
「研究が止まれば、多くの人が救われなくなるかもしれない。アランさんだって責任を押し付けられてる」
杏子は静かに聞いていた。
だが、その言葉には違和感があった。
恵麻はゼノンを擁護しているのではない。
守ろうとしている。まるで、自分の人生そのもののように。
「それに……」
恵麻は声を落とした。
「もう、一人目を捕まえたの」
杏子は一瞬、言葉の意味を理解できなかった。
「……捕まえた?」
「うん」
恵麻はあっさり頷く。
「まだ何も話してくれないけど」
その返答に、杏子の背筋が冷えた。
冗談ではない。比喩でもない。本当に誰かを拘束しているのだ。
彼女はすでに一線を越えている。
杏子は低い声で言った。
「恵麻、それは犯罪よ」
しかし恵麻は驚かなかった。むしろ不思議そうに首を傾げる。
「どうして?」
「どうしてって……」
杏子は言葉を失う。だが恵麻は真剣だった。
「ゼノンを攻撃している人なのよ?」
それが理由になると、本気で信じている。
「少し話を聞くだけ──」
「あなた、自分が何をしてるのか分かってる? 警察に知られたら本当に終わるわよ」
杏子は強く言った。
すると恵麻は、少しだけ困ったように笑った。
まるで子供を諭すような顔だった。
「大丈夫」
そう言ってスマホを握りしめる。
「私には魔導AIがあるから」
杏子は息を呑んだ。
その言葉には何の正当性もない。
それなのに恵麻は絶対の確信を持っている。
法も。常識も。危険も。そのすべてを飛び越えてしまえる何かだと信じている。
杏子は無意識にテーブルの下で指を握り締める。
「恵麻……」
声が少しだけ硬くなる。
「その人、今どこにいるの?」
「安全な場所よ」
恵麻は迷いなく答えた。
まるで心配する必要などないと言いたげに。
「誤解しているだけだから。ちゃんと話せば分かってくれるわ……ゼノンの素晴らしさを」
その口調に悪意はなかった。
杏子はようやく理解した。
恵麻はもう、自分の立っている場所が見えていない。そして、このままでは本当に取り返しがつかなくなることを。
目の前にいるのは、先日まで一緒に講義を受けていた友人のはずだった。
けれど今の恵麻は、どこか別の場所へ行ってしまったように見えた。
杏子は黙って友人を見つめる。
ここで否定しても意味はない。今の恵麻は、自分の言葉すら聞かなくなり始めている。
むしろ強く止めれば、さらに深みに沈むだけだろう。
(どうすれば……)
そのとき、不意に杏子の脳裏に妹の顔が浮かんだ。
(そういえば、小桜も最近おかしい。本当は魔法を使えるくせに、私に隠しているに違いない)
その疑念は、ずっと胸の奥に引っ掛かっていた。
恵麻を止める方法。
小桜の秘密を暴く方法。
二つの思惑が、杏子の中で静かに一つへ重なっていく。
「わかったわ、恵麻。私が手伝う。ただし、これ以上無茶をしないように。これからは私の指示通りに動いて」
「杏子……ありがとう!」
安堵する恵麻とは対照的に、杏子の表情はどこまでも冷静だった。
(恵麻は必ず助ける)
そのためなら──
(小桜。今度こそ、あなたの隠し事を全部吐き出してもらう)
杏子は静かに目を伏せた。
計画は、この瞬間から動き始めた。
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