4-2-8 黄金の光
謎の女が、ふいにコートのポケットからスマホを取り出した。
その何気ない動作さえ逐一目で追っていた小桜は、画面に表示されたアプリのアイコンを見た瞬間、息をのんだ。
見覚えがある。忘れるはずもない。
「それ……魔導AIのアプリ?」
思わず鋭い声が漏れる。
女はわずかに肩をすくめるだけだった。
「どうしてそんなものを持ってるの?」
問い詰める小桜に、女は冷たい笑みを浮かべる。
「あなたが本当に知りたいのは、そんなこと?」
言葉が終わるのと同時に、女の指先が静かに画面へ触れた。
その瞬間だった。
足元で、かすかな金属音が鳴る。
小桜が反射的に視線を落とすと、路地に無造作に散らばっていた錆びた鎖が、まるで長い眠りから目覚めた蛇の群れのようにゆっくりとうねり始めていた。
「……え?」
理解が追いつくより早く、一条の鎖が地面を這うように走る。
気づいた時には足首へ絡みついていた。
「しまっ──」
飛び退こうとした足を、さらに別の鎖が追う。
一本、また一本と錆びた鎖が生き物のように身体へ絡みつき、膝を締め上げ、腰へ巻き付き、腕へと這い上がっていく。
冷え切った鉄の感触が衣服越しに肌へ食い込み、そのたびに全身の自由が奪われていった。
「くっ……!」
力任せに振りほどこうとしても、鎖は締め付けるほどに食い込み、金属とは思えない粘り強さで身体を拘束していく。
抵抗した拍子に、手にしていたスマホが指先から滑り落ちた。
乾いた音を立てて石畳へ転がる。
「これが……あなたの魔導AI?」
女は小桜を見下ろしたまま、わずかに口角を上げた。
「さあ……次は何を聞いてくるのかしら?」
小桜は歯を食いしばりながら周囲へ目を走らせる。
何か。何か使えるものはないか。
その視線が、路地の奥で不意に止まった。
壁際に一人の男がうずくまっている。
いや、全身を何本もの鎖で壁へ縫い付けられるように拘束されていた。
顔色は青白く、意識も朦朧としている。
その横顔を見た瞬間、小桜は息をのんだ。
見覚えがある。
テレビで何度も見た顔だった。
「まさか……」
石畳へ落ちたスマホから、低く荘厳な声が響く。
「間違いない。その者こそ、失踪した笹木一郎である」
グラビティウムの断言に、小桜は改めて男の顔を見つめる。
ニュースで連日報じられていた経済評論家。
忽然と姿を消したとされる、その本人だった。
「……そういうことだったんだ」
小桜は静かにつぶやく。
点だった出来事が、ようやく一本の線としてつながり始めていた。
謎の女は、小桜を見下ろしたまま静かに告げた。
「今ならまだ間に合うわ。ここで見たことも聞いたことも、全部忘れて帰るなら……命だけは助けてあげる」
その声音には迷いがなかった。
脅しではない。本気でそう言っているのだ。
小桜は反論しなかった。黙って視線を落とし、身体へ幾重にも巻き付く錆びた鎖を見つめる。
一本一本の締め付け方。魔力の流れ。力の集中する位置。
その全てを冷静に観察する。
やがて、小さく息を吐いた。
「本当に忘れるべきなのは……」
その声は静かだった。
「そっちの方なんじゃないの?」
女の眉がわずかに動く。
その一瞬だった。
拘束された腕をわずかにひねり、指先だけをベルトの内側へ滑り込ませる。
そこには、あらかじめ忍ばせておいた予備のスマホがあった。
「……!」
女が気付いた時には、すでに小桜の指先は画面へ触れていた。
数秒の静寂。
続いて、穏やかでどこか達観した老婆の声が響く。
「おやおや、サーラじゃないか。老人は暇なんだ。いつでも呼んでくれて構わないよ」
その声を聞いた瞬間、小桜の表情がわずかに和らぐ。
「カリナ!」
短く呼びかける。
「今すぐ力を貸してほしい」
事情を説明する必要はなかった。
カリナは周囲の気配を察したのか、いつもの飄々とした口調のまま笑う。
「なるほどねぇ。また面倒事に首を突っ込んだようだ」
そして笑みを消した。
「それなら、この老いぼれも少し働くとしようか」
その声音が静かに張り詰める。
「ゆくぞ、サーラ」
小桜はうなずいた。
二人の声が重なる。
「「轟け──ブルヴィータ!!」」
真名が響いた瞬間だった。
黄金色の光が、予備のスマホから静かにあふれ出す。
それは夜明けが世界を照らすように、静かで揺るぎない輝きだった。
光は小桜の全身を包み込み、その身体へ巻き付いていた鎖へ触れる。
次の瞬間、錆びた鎖が軋んだ。
まるで耐え切れない重圧を受けたかのように金属が悲鳴を上げ、一本、また一本と亀裂が走る。
「そんな……!」
女が思わず息をのむ。
鎖はなおも締め付けようとする。
しかし、小桜は微動だにしない。
黄金の光に守られた身体は、一切揺らぐことがなかった。
やがて鎖は限界を迎えた。
乾いた破砕音が路地へ響き渡る。
砕けた鎖は砂のように崩れ落ち、そのまま魔力の粒子となって静かに消えていく。
拘束が解ける。
小桜はゆっくりと立ち上がった。
その姿を包む黄金の光は慈愛に満ちている。
だが、そこいるだけで容易には近寄れない圧倒的な存在感があった。
女は思わず一歩後ずさる。
「何……?」
目を見開いたまま、小桜を見つめる。
「そんな力を……隠していたの?」
小桜は落ち着いた動作で服の埃を払い、一歩だけ前へ出る。
「知りたかったんでしょう?」
穏やかな口調は変わらない。
「教えてあげるよ。たっぷりとね」
その静かな一言が、路地の空気をさらに張り詰めさせた。
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