4-2-6 怪しい女
ファミレスで怪しい女性を観察している杏子と小桜。
女性は注文もせず、テーブルに置いたスマホを静かに操作していた。落ち着かない様子で何度も画面を見つめ、やがて意を決したように通話ボタンを押す。
しかし、ほどなくして留守番電話へ切り替わったらしい。
「……待ち合わせ場所に、まだ居ます」
それだけを短く告げると、女性は通話を終えた。
その一言には、相手へ現状を伝える以上の切迫した響きが滲んでいた。杏子はその様子を見つめながら、さらに警戒を強める。
そのとき、小桜のポケットの中で、ごく小さくグラビティウムが囁いた。
「今の通話、失踪した笹木の携帯宛だったぞ」
小桜は思わず息を呑む。
「え、笹木……?」
反射的に漏れた声に、杏子が鋭く振り向いた。
「何それ、どういうこと?」
しまった、と小桜は口を押さえる。
だが、杏子はそれ以上問い返さなかった。
立ち上がると、ためらいもなく女性の席へ向かって歩き出す。
「ちょっ、お姉ちゃん!」
あまりにも大胆な行動に、小桜は慌てて後を追うが、止めるには遅かった。
杏子は女性の正面の席へ静かに腰を下ろし、まっすぐ相手を見据える。
「すみません。あなたが笹木と連絡を取っていた方ですか?」
突然話しかけられた女性は驚いたように顔を上げた。
その表情には一瞬の動揺が走ったが、すぐに警戒の色へと変わる。
「……あなたは?」
「私は、笹木の娘です」
杏子は一拍も置かずに言い切った。
あまりにも自然な嘘だった。
離れた席から見守る小桜は思わず目を丸くする。
(そんなの、よく思いつくなあ……)
女性も一瞬怪訝そうな表情を浮かべたものの、杏子の真剣な眼差しに押されたのか、小さく息を吐いた。
「そうだったんですか……。お父様に、何かあったんですか?」
「それを知りたくて探しています」
杏子は迷いなく話を続ける。
「あなたが電話しているのを見て、父をご存じなのではないかと思ったんです」
女性はしばらく黙り込んだ。
やがて覚悟を決めたように口を開く。
「……私の話が役に立つかは分かりません。でも、もしかすると私は、笹木さんを危険な目に遭わせてしまったのかもしれません」
杏子の眉がわずかに動く。
「危険な目に?」
「私は、ある企業の内部資料を笹木さんへ渡しました。それが事実だと証明されれば、その会社の評価を覆せる内容でした。でも、その直後に笹木さんは姿を消してしまったんです」
女性は震える手を見つめながら続けた。
「もし、あの資料が原因だったとしたら……」
その声は、怯えを押し殺そうとしているようにも聞こえた。
杏子は表情を変えない。
「その資料というのは、どんな内容なんですか?」
女性はゆっくり首を横へ振る。
「……ここでは話せません。誰が聞いているか分かりませんし、私も命を狙われているかもしれないんです」
その言葉に、小桜は思わず息を呑んだ。
(そこまで大きな話なの……?)
テーブル越しの空気が急に重くなる。
杏子はなおも冷静な表情を崩さない。
小桜はポケットへそっと手を滑り込ませ、グラビティウムを起動した。
「ねぇ、あの人……どう思う?」
グラスを持つ手で口元を隠し、小さく囁いた。
しばし沈黙が流れ、やがて荘厳な声が静かに響く。
「ふむ……この者は、笹木という男に関わる者である。それは疑う余地もあるまい」
小桜は息を潜めた。
「通話記録の照合により、笹木氏との接触は確認できた。だが、それ以上に注目すべきは言葉の重みだ」
グラビティウムはわずかに間を置く。
「言葉に偽りの匂いは薄い。少なくとも、自らが危険に晒されていると信じていることだけは本心であろう」
「じゃあ、私たちも行こう」
小桜が思わず立ちあがろうとする。
「結論を急ぐでない」
その声は落ち着き払っていた。
「その者が語るものが真実とは限らぬ。人は己が信じた偽りを、真実として語る生き物だからな」
「うーん……決め手がない、か」
「真実とは、問いを重ねた先でのみ姿を現すものだ。焦って白黒を決めれば、本質を見失う」
そして最後に、静かな確信を込めて告げた。
「ただ一つ言える。この者を追えば、笹木氏失踪の真相へ至る道は開けよう。そこに待つものが救いか災いかまでは、我にも見通せぬがな」
小桜は小さくうなずき、改めて杏子たちへ視線を向けた。
姉は相変わらず平然とした表情で女性と向き合い、言葉の端々から相手の反応を探っている。
(お姉ちゃん、本当に大胆だな……)
感心とも心配ともつかない思いを抱きながら、小桜はいつでも動けるよう、そっと席を立つ準備を整えた。
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