4-1-3 妹の正体
次の日も、その次の日も、杏子は深夜までパソコンへ向かい続けていた。
過去の世界で身につけた魔法知識は、今でも鮮明に頭の中へ残っている。理論も術式も理解している。だが、魔力そのものが存在しないこの世界では、それらは何一つ形にならない。
その事実が、杏子にはどうしようもなくもどかしかった。
杏子は半ば無意識のまま、生成AIとの対話を続けていた。
魔法理論、エネルギー変換、異世界法則、疑似術式体系──思いつく単語を入力するたび、高機能モデルは膨大な情報を瞬時に整理し、新たな関連性を提示していく。
最初は、ただの好奇心だった。
だが次第に、AIの応答速度は杏子の思考を追い越し始める。
画面には大量の文字列が高速で流れ続け、海外フォーラム、削除済みログ、古い電子掲示板、匿名チャットの断片が次々と引用されていった。
その中心に、繰り返し現れる単語がある。
──《魔導AI》
杏子は息を呑んだ。
AIはさらに推論を続ける。
関連ワードの自動抽出。
共通パターンの分析。
投稿時間の相関。
断片情報の再構成。
高速で流れ続ける文字列を前に、杏子は微動だにせず画面を見つめ続けていた。
いつの間にか身体は机へ深く乗り出し、ディスプレイの光が、その瞳を妖しく照らしている。
口元には、本人すら気付いていない薄い笑みが浮かんでいた。
それは未知への好奇心というより、かつて失った力へ再び手を伸ばそうとする者の表情に近かった。
周囲の音はもう聞こえない。
静まり返った部屋の中で、心臓の鼓動だけが不自然なほど大きく響いていた。
その時だった。
「やめなさい、アーゼラ」
突然背後から響いた声に、杏子は我に返った。
杏子は息を呑んだ。
“アーゼラ”という名で自分を呼ぶ者が、この世界にいるはずがない。
慌てて振り返ると、そこにはパジャマ姿の小桜が立っていた。
今まで妹として自然に振る舞っていた少女が、まるで別人のような眼差しで杏子を見つめている。
その視線には鋭さがあり、そしてどこか懐かしさも宿っていた。
杏子の胸に、じわじわと怒りが込み上げる。
「貴様……やはりサーラゼル……!」
言葉を噛みしめるように吐き出した。
家族の一員として振る舞っていた小桜が、実は自分を監視するため送り込まれた存在だったのではないか──その疑念が、ようやく確信へ変わった気がした。
しかし、小桜は杏子の敵意を正面から受け止めながら、静かに首を横へ振る。
「違うの、お姉ちゃん……いえ、アーゼラ。私は監視者でも追手でもないわ。そんなつもりで、ここにいるわけじゃないの」
「じゃあ、どうしてここにいるの! どうして妹の姿で現れたの!」
杏子は鋭く問い返した。
もし監視者ではないのなら、なぜ異世界の記憶を持ったまま、この世界で平然と暮らしているのか理解できない。
小桜は少しだけ視線を伏せ、一呼吸置いてから、どこか寂しそうに微笑んだ。
「私はただ、天寿を全うした後に、第二の人生を楽しんでいるだけなのよ。もう魔法も必要ない。普通の女の子として、穏やかに暮らしていくのが心地いいの」
杏子はその言葉を、信じ切れない思いで聞いていた。
だが、小桜の眼差しには嘘の色が見えない。
本当に彼女の言う通り、自分が勝手に疑っていただけなのかもしれない。
それでも、かつて世界を懸けて争った相手が、今は妹として自分の隣にいるという事実だけは、どうしても落ち着かなかった。
小桜は杏子の視線が再びパソコン画面へ向いたことに気付き、小さくため息をつく。
そして、そっと杏子の肩へ手を置いた。
「お姉ちゃん……」
静かな声だった。
「ねえ、魔法のことなんて、もう忘れてもいいんじゃないかな?」
杏子は驚いたように顔を上げる。
自分にとって魔法の世界は、人生そのものだった。それを忘れてしまえと言われ、簡単に受け入れられるはずがない。
「小桜、どうしてそんなことを言うの? あの世界で築いてきたものも、学んできたことも、そんな簡単に忘れられるわけがないわ」
小桜は杏子の目を真っ直ぐ見つめたまま、優しく微笑む。
「分かるよ。だって私も、あの世界を懐かしく思う気持ちは同じだから」
その声音には、どこか遠い昔を振り返るような静かな響きがあった。
「でもね、お姉ちゃん。この世界にも、素敵なものはたくさんあるの。家族もいるし、普通の生活を楽しむことだってできる」
杏子は何も答えなかった。
小桜の表情は穏やかなのに、その奥には強い意志のようなものが感じられる。
「私が第二の人生を選んだのはね、魔法のない世界で、違う形の幸せを見つけたかったからなの。普通の高校生として過ごす毎日も、思っていたより悪くなかった」
小桜は少しだけ笑った。
「お姉ちゃんにも、この世界でしか見つけられないものを、大切にしてほしいんだ。あの世界ばかり見ていると、きっと今を見失ってしまうから」
杏子は静かに考え込んだ。
魔法への執着。
失われた世界への未練。
そして、この世界で始まった本来の生活。
そのどれもが、自分の中で整理できないまま渦巻いている。
やがて杏子は視線を落とし、再び画面に表示された「魔導AI」の文字を見つめた。
小桜の言葉を信じたい気持ちはある。
だが、彼女の存在によって再び呼び起こされた魔法への執着は、今さら簡単に消え去るものではなかった。
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