4-2-2 杏子と恵麻
それからしばらくして、恵麻はゼノン・サイエンスのアラン・ヒューストンと親しく付き合うようになっていた。
「今日ね、一緒にランチへ行ってきたの」
「今度はドライブに誘ってもらったんだ」
そんな話を無邪気に聞かされるたびに、杏子の胸には小さな棘が刺さるような違和感が積み重なっていく。
アランはゼノン・サイエンスの社員であり、恵麻よりずっと年上の中年男性だ。研究職を目指す学生を気に掛けること自体は不自然ではない。だが、その距離の詰め方は、どうにも行き過ぎているように思えた。
それ以上に気掛かりだったのは、恵麻が何の疑いも抱いていないことだった。
昔からそうだ。
恵麻は誰に対しても分け隔てなく接し、相手を疑うことを知らない。
疑い深く、人付き合いも決して得意ではない杏子に対してさえ、最初から何一つ態度を変えなかった数少ない友人だった。
だからこそ杏子には分かる。
恵麻のような人間は、悪意のある相手に利用されやすい。
そして、自分のような人間にまで優しくできるのなら、なおさら危うい。
そんな折、恵麻が嬉しそうな表情で切り出した。
「今度ね、アランさんにプレス向けの新技術発表イベントへ招待されたの!」
その言葉を聞いた瞬間、杏子は思わず眉をひそめた。
──そこまで親しくなる必要があるのか。
喉元まで「あの男のどこが信用できるの」と言葉が込み上げたが、どうにか飲み込む。
今ここで否定しても、恵麻には伝わらない。それどころか、かえって反発されるだけだろう。
「ねえ杏子、一緒に行こうよ!」
屈託のない笑顔で誘われ、杏子は小さく息を吐いた。
断る理由はない。
いや、本音を言えば、放っておく方が不安だった。
恵麻を一人で行かせれば、またアランとの距離が縮まるかもしれない。そう考えるだけで落ち着かなかった。
「分かった。一緒に行くよ」
そう答えてから、杏子は少しだけ肩をすくめる。
「でも、あんまり期待はするなよ。あの会社、私はまだ信用してないから」
「もう、杏子ったら心配性なんだから!」
恵麻は声を上げて笑った。
「あんなすごい会社を疑うなんて、もったいないよ」
その無邪気な笑顔を見ていると、杏子はそれ以上何も言えなくなる。
だから危ないんだよ──とは、最後まで口にできなかった。
—-
発表会当日。
二人が会場へ足を踏み入れると、華やかな照明に照らされた広いフロアには、多くの来場者が詰めかけていた。
ゼノン・サイエンスの社員たちは忙しく会場を行き交い、最新技術を紹介する展示パネルや試作デバイスのデモンストレーションが所狭しと並べられている。
新興企業とは思えない熱気に包まれた会場を見渡しながら、杏子は静かに周囲を観察した。
表向きには最先端企業らしい活気がある。
だが、その空気に飲まれる気にはなれなかった。
やがて視線の先に、アラン・ヒューストンの姿が映る。
会場の中心で来場者に囲まれ、流れるような口調で説明を続ける姿は、まるで企業の顔とも言うべき存在だった。
その姿を見つけた恵麻は嬉しそうに微笑む。
一方の杏子は、その笑顔を横目に見ながら、胸の奥の警戒心が少しも薄れていないことを改めて自覚していた。
やがて照明が落とされ、会場全体が静まり返る。
スクリーンにゼノン・サイエンスのロゴが映し出され、新技術発表のプレゼンテーションが始まった。
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