4-1-25 最強の槍
紫音が渾身の片手突きを放った。
勝利を確信した一撃だった。鋭く伸びた切っ先は、真っ直ぐ小桜の喉元を捉えている。
小桜はその軌道を見極めながら、わずかに息を吐いた。
避けられない。
そう判断した瞬間、彼女は退くのではなく前へ出た。
紫音の瞳がわずかに揺れる。
自ら間合いを潰すなど、正気とは思えなかった。
だが、その驚きも一瞬だった。
「無駄よ」
紫音は確信していた。
この距離ならば、何をされようと突きは届く。
そう信じて疑わなかった。
そのときだった。
「──ブルヴィータ」
小桜はそう呟いた。
紫音は聞き取れなかった。
聞き慣れない響きだけが耳に残る。
次の瞬間。まるで見えない何かに打ち返されたように、紫音の竹刀は手元から弾き飛ばされた。
竹刀は激しく回転しながら宙を舞い、数メートル先の床へ叩きつけられる。
会場に響いた乾いた衝撃音だけが、今起きた出来事が幻ではないことを告げていた。
小桜は一歩も退いていない。
突きを受けたはずの身体も揺らいでいなかった。
場内にざわめきが広がる。
誰にも何が起きたのか分からない。
観客にも、審判にも、そして紫音自身にも。
最も強烈な一撃だったはずだ。
まともに入れば勝負は決まっていた。
それなのに、弾き飛ばされたのは相手ではなく、自分の竹刀だった。
「……え?」
紫音の口から、間の抜けた声が漏れる。
何が起きたのか理解できないまま、彼女は床に転がる竹刀を見つめていた。
「早く拾いなさい。反則になるよ」
審判の声でようやく我に返る。
紫音は落ちた竹刀を拾い上げた。
胸の奥に小さな違和感が生まれる。
だが、そんなものを認めるわけにはいかなかった。
偶然だ。ただそれだけだ。
そう自分に言い聞かせる。
「勝つのは私だ」
再び踏み込む。
鋭い片手突きが一直線に伸びる。
しかし小桜はまた一歩前へ出た。
「──ブルヴィータ」
再び乾いた音が響く。
竹刀が弾かれる。
今度は会場全体がどよめいた。
紫音の顔から血の気が引いていく。
理解できない。
理解したくない。
だが現実だけは容赦なく突きつけられる。
何度突きを放っても届かない。
全力で踏み込み、全力で突き込み、持てる技術のすべてを注ぎ込む。
それでも、小桜が一歩踏み出し謎の言葉を口のするたび、突きは見えない何かに阻まれて弾かれた。
やがて試合は止められた。
審判の宣告が静かに響く。
「反則負け」
その言葉を聞いた瞬間、紫音の表情が崩れた。
「私が……負けた……?」
観客席のざわめきが遠く聞こえる。
何が起きたのか分からない。
なぜ届かなかったのか分からない。
その答えを掴めないまま、紫音は会場を後にした。
—-
会場の外へ出ると、小桜が歩いていた。
紫音はその背中を見つけるなり足を止める。
胸の奥で燻っていた感情が、一気に噴き上がった。
「汚い手を使ったな」
低い声だった。
怒りを押し殺したような声音に、小桜はゆっくりと振り返る。
そのとき、彼女の手にしたスマホから声が響いた。
「紫音──いや、カヴァリナと呼ぶべきか」
紫音の動きが止まった。
わずかな沈黙。
その後に浮かんだ笑みは、先ほどまでの少女のものではなかった。
「カヴァリナだと?」
声色は同じ。
だが、そこに宿る気配が違う。
紫音ならば決して使わない言葉遣い。
紫音ならば決して見せない傲然とした眼差し。
「我の突きは最強の槍だ」
ゆっくりと告げる。
「防げる者などおらぬ」
その瞬間、小桜は目の前にいる存在を紫音として見ることをやめた。
「最強の槍、か」
そして少しだけ笑った。
「だったら、こんな話を知ってる?」
カヴァリナは黙ったまま見返す。
「最強の槍と最強の盾がぶつかったら、どうなると思う?」
答えは返ってこない。
だが、小桜は気にせず続けた。
「あなたを止めるには最強の盾が必要だった」
そこでわずかに肩をすくめる。
「でも、すぐには見つからなかったからね」
小桜の口元に悪戯っぽい笑みが浮かんだ。
「仕方ないから、最強の鎧で我慢することにしたんだよ」
カヴァリナの表情がわずかに強張る。
まるで何かを察したかのように。
そして次の瞬間、小桜が持っていたもう一台のスマホから甲高い老婆の声が飛び出した。
「誰が盾の代わりじゃ! 最強の盾が何かも知らん若造が、勝手なことを抜かすでない!」
その声を聞いた瞬間、カヴァリナの顔色が変わった。
驚愕。困惑。そして、はっきりとした狼狽。
「まさか……お前は……」
震えるような声が漏れる。
小桜はその反応を見て、にやりと笑った。
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